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2011/6/16 (Thu)  -愛しき1340-

先週の店主日記で自分のバイク、ショベルヘッドSPORTSTERのお話を少ししましたが、今回は同じショベルヘッド、それも1340侫咼奪哀張ぅ鵑力誕蝓

長年愛用してる自分のバイクがアイアンXLHと言う事も有り、Iron Sportyのマニアと勘違いされがち(?)な私ですが、そんな事は全く有りません。
実はビッグツインも大好きです。 かと言ってハーレーis No.1!ってタイプでもございません。
ご存知の方もいらっしゃると思いますが、今もホンダの125をずっと乗り続けてますし、バイクは何でも好きです。 …っつ〜か、4輪乗らないと思われがち?なんですが、実は4輪も大好きなんですね。
因みに四ッ輪はキャブ&マニュアルクラッチのが好きで、凄〜く昔、箱スカとかにちょこっと乗ってた?なんて時期も有るんですが、その話は又いつか…(※後はボディが丸いのとか、1BOXとかトラックとか…荷台が有るのも割りと好き)。

そんな訳でハーレー1340奸 因みにショベル以外、勿論EVOも2カムも、又は旧いパンもご飯(…??)も大好きです。 一時期のようなEVOバッシングも下らなくて嫌いでした。 だから勿論EVOビッグツインもスポーツも好きです。 883だって『…遅い』なんて思った事もなく、形状だってCH0PPERも好き、ツアラーも好き、ノーマルも改造も大体どれも好き。
でもそんな中で敢えてあげるとどうやら1番ショベルが好きなようで、ビッグツインでもスポーツもショベルに乗ると何故か落ち着きます。 ショベルが現行の時代を知ってるせいなんでしょうか?

因みに写真は知人が元オーナーのショベルFX1340で、以前車検と調整を任された時の物。 実はこの単車、少し前にオーナーさんが諸事情で手離したので、もう現在は新しい持ち主が乗ってるかも知れませんし、まだ何処かで販売中かも知れません。 なのでこの写真は以前のオーナー時代の物。 従ってもしも現在のオーナー様が、既に何処かにいらっしゃるようでしたなら、過去の写真にてどうか掲載悪しからずお許し下さい。
…で、このFX。 実にバランス良く仕上がってかなり調子の良い車でした。
元オーナーさんから車検で預かった際、長く手入れをしてなかったので調子がイマイチだったようですが、電気系統をホンの少し、配線直したり錆取ったり接点磨いたり端子をカシメ直したり…たったソレだけで殆んど何もないように息を吹き替えしました(※実際交換したのはプラグ×2、ハイテンション・コードのみ)。
このFXはノーマル部分が多く、しかもミッションなどはとてもショベルとは思えない最高の仕上がり。 ショベルでココまで素晴らしいミッションは今だかつて味わった事がない程。
ただこのバイクはキック&セルの併用でしたが、特に始動とアイドリングとセルがイマイチで。 始動&アイドリングに関しては色々点検して見た結果、先のように各部配線とハイテンション・コードの接点の問題でしたが(※ホントただそれだけでした)、セルはスターターリレーが原因でした。

かなり前に某V誌に手前が図解入り、小ネタとしてそのリレーの不調&分解修理について書きましたが、このFXもそれと近い症状で、せっかくセルが有るのに殆んどキックオンリーのような状態でした。 先ずセルスイッチを押してもスターターリレーは“ごくたま〜に”しか反応せず、しかもリレー自体のマウントの不具合、取り付け部が折れ、フレームにタイラップしてある始末(※時々似たような状態の車を目にします)。 なので先ずリレー本体を先のV誌記事の時の方法で点検、修理を施し、それからリレーのボディにマウントステーを増設、それだけで一件落着、セルスイッチ押したら即反応!って位に調子良くなりました。
ハーレー、それもショベルとは言え、ちょっと調子が悪い程度であまり大騒ぎせず、まぁイチイチお金かけないで、もっと簡単な所?そ〜ゆ〜部分ちゃんと整備してね?って話なんですが。

因みにスターターリレー、本来は分解不可能っぽくなってますが、コツさえ呑み込めば修理は簡単です(※V誌の過去記事はソコを書いてます)。 でもそのリレー、安いから買い換えも勿論有り。 大体何処のHD関連の部品屋にも有ると思いますが、この時代='80年前後のショベルだと、ビッグツインもスポーツも結構な割合で黒いBOSH製が付いてますし、同じ部品を四輪のBMWとかベンツにも使ってる場合有るので、ある意味何処でも入手可能です。 つい1年前にも三郷市のホームセンターでベンツ他の四輪用として\980位で売ってましたので、興味有る方は是非どうぞ。

似たような話にショベル〜EVOのHDによく使ってるベアリング、安く入手出来て、しかもメーカーも色々選べるって話が有りますが、そっちは又違う機会にでも!
(※もしその話聞きたいっちゅ〜人居たら是非リクエストして下さいね!?)

2011/6/16 (Thu)  -続・服の話(後編)-

(続き↓)

とにかくメインの色を1つ決める。 そしたらそれに対して組み合わせる色を考える。
その場合、濃色や暗い色をベースにする方が割りと簡単、淡色や明るい色をベースにする方が少し高度テクニックを要すと思います。
それ基本に、ココでは黒ベースで話進めますが(※あくまで例題としての“黒ベース”なのでそこを踏まえて読んで下さい)。

…で、黒をベースに組み合わせ色、又は挿し色を加える場合。 『渋め、又は控え目に入れる』か、逆の『派手に入れる』と、大きく分けると2〜3パターン位に絞れると思います(※大雑把ですいません…もっと細かく分類すれば更に沢山有るけど、大変なのでココは大きく分ける事にしましょう)。
例えば組み合わせ色が茶系だった場合。
濃く暗いコゲ茶とかなら『渋目』になるから、例えば黒いGパンにベルト、靴位は似たコゲ茶にすると上手くまとまると思います(※補足:ベルトと靴は同じ色にするとシックリまとまります)。
それ以外に茶系を入れるのなら上着、小物止まり。 もし上着&小物に茶系を諦められれば、他の服やアイテムに“少しだけ”入ってる茶色柄や1ポイント程度、あまり面積の多い部分にこれ以上の茶系は使いません(※この場合の茶系はベルト&靴に無理に合わせなくても大丈夫)。 ようするに幾ら『渋目』でも、黒より茶系は目立つので、もうその他の“面積の多い部分”にこれ以上の茶系は使いません。

濃いコゲ茶でこれだから、淡いベージュやキャメル、よく有る明るくオレンジっぽいアメ色などの物の場合、もっともっと少ないアイテムでしか同時に使う事は有りません。
もし僕が黒いGパンで明るい茶系の、例えばアメ色のベスト着るとしたら(※僕はその色のベスト持ってないけど)…ベルトや靴や財布やその他の小物、ベスト以外なるべく黒系にしときます。 アメ色がかなり強烈なので、それ以外はもうしつこくなるので一切ヤメときます。 それでもベストは強烈な色ですから、アクセサリーもなるべく付けませんし、シャツやその他、全部なるべく黒無地。 シマもチェックも絵の入ったプリントも全〜部ナシです。
それが僕にとって(※あくまで僕なり)のバランスです。
因みにこのケースは大体2色の組み合わせ例。

例えば黒Gパンに黒ベスト、それに海賊TEEのような縞を合わせる場合。
黒Gパン、そして黒ベストでもう“黒だらけ”。 だから黒が入ったシマ柄は選びません。 他が黒だらけ、ならばシマは全く別の配色、例えば赤×白系、青×白系、又は赤×黄、青×黄とか。
このケースの場合はベルトや靴は黒のが収まるし、これで3色使ってますね。 この場合は財布も黒かな。
もし少し明るい茶系の財布を使うなら、先ずシマをやめるか…仕方なく黒×茶かな? で、ベルトと靴を財布より濃いコゲ茶で、他はもうなるべく控えて、それこそ他を黒ばかり選び、これ以上ゴチャゴチャさせないようにすると思います。 黒、明るい茶、コゲ茶でもう3色だし、明るい茶が1番目立つ以上、他の部分で又その色使うとやはりしつこい。 だからなるべく1番面積多い部分に黒って寸法。

はたまた例えば“赤”なんて強烈な色着るなら…例えば赤系×白系の海賊TEE。 Gパンは黒もイイがブルーもイイ。 でもそしたら他、例えばベストもベルトも靴も財布も全部黒。 赤が“強烈”だからもうコレ以上鮮やかなのは控えます。
でも赤、白、黒なら3色だけど、もしブルージーンズだと4色なのでは?と思った人。 …アナタはスルドイ!
これは単なる例外、世の中何にでも“例外”はつきもの…って説明になってない(苦笑)? でも2色〜3色は『あくまでも基本』と思うんです。
そうあくまで“基本”なんですね。 だから『4色目』を追加するのはその基本を踏まえての“応用編”です(※ステップアップ編ってトコ?)。
もうお解りのように、基本クリアすれば応用で更に4色、5色と可能かと。 だけどやっぱりそれは基本を踏まえた上で成り立つものなんですね。

キリがないのでそろそろ…最後に黒×赤系の海賊=縞柄の場合。
上は黒ベスト、ボトムに黒Gパン。 こ〜ゆ〜場合は先ず海賊の上になるべく真っ黒なTシャツ着て縞の露出抑える。 黒×赤の縞が強烈だから全部出さない。 だから縞を隠して強調しないようにする。 そしてベルトと靴は少しハズして茶系もイイかね。 財布は黒にしとくけど。 勿論縞の赤以外がオール黒も有り。 でも敢えてココは“隙”を作りたい気もするなぁ。 …でも3色!
例えば海賊なら…黒×赤系は決して合わせ安い色じゃなく、意外と難しい配色なんですよ?って例え話。

いつの間にか気に入りの服の話ってより、何故か何処か講習?ゼミ?みたいになってしまいましたが(苦笑)、今回はこの辺りで…。

(おしまい〜!)

2011/6/15 (Wed)  -続・服の話(中編)-

(続き↓)
それは『俺はこの色が1番なんだ』と言う色を敢えて作らない事。 それは服の色もバイクの色でも同じです。

特に我々バイクに乗る人間、そしてロック好きな人間に“黒好き”は多い。
『黒が好きで全身黒ばっかり』『黒しか持ってないから黒』『黒なら汚れが目立たない』『黒はロックっぽい、バイクっぽい』『硬派な黒、黒が不良』『黒なら失敗無さそう』『黒イズNo.1』…大体こんな理由?
実は僕も30年位前、暫く上記いずれかを勝手に思い込んで、先入観持ってた時期が有りました。
でも現在は少し違います。 何故ならそれじゃつまらない気がして来たから。

黒は確かに上手くまとまりそうに見え、“失敗”しなそうに思える?? 黒は1番濃く、1番透けず“何かを”覆い隠し、そして何となくビシッと“硬派”に見える色…なんて。 1番濃くて透けなくて、弱さ?も隠し強いイメージ…ようするにクールに見えて外さない=失敗しなそう??
だから世の中のバイクの色で黒が1番多いのかも知れませんね。 『ワルっぽいから黒』って話、確かによく聞きますね(でも果たしてそうかなぁ?)。

例えば服、もし自信ない場合、全身『赤ずくめ』とか『真っ白』とかは中々やらない。 赤でも白でも全部『1色統一』しようとすれば、これは返って難しく、かなり高等技術。 なのに何で黒ずくめだけは? それに白×白、赤×赤でも例え黒×黒も…同色同士、例えばその黒同士、微妙に“濃さ”違う場合も。 白×白、赤×赤も同じ、各々の濃さ薄さ、赤っぽい白、逆に白っぽい赤とか有るし、黒にも赤っぽい黒、白っぽい黒、そして黒っぽい黒まで!沢山種類が。
それでも全部黒ずくめ、全身真っ黒って多いよなぁ!? 黒がワルっぽい?う〜ん…ただそれだけ?う〜ん…何だか切ないや。

しかもバイク乗りは『汚れが目立たない』って理由で黒を選ぶ。 だが“黒”は意外と汚れが目立つ。 特に真っ黒な黒は。 黒にホコリ付くと何でも『白っぽく』見えて、返って汚れ?が目立つ。
例えば真新しい黒Tシャツ、色が抜けない内は“ホコリ”が目立つけど、年季が入り色が抜け、微妙にグレーっぽくなった途端、ホコリも大して目立たない。

だから黒は返って意外と難しく、特に全部&全身『真っ黒』は返ってえらく難しくなる場合も有る。 返って“失敗”する可能性も出て来て、返ってセンスが問われる。 ようするにセンスがないと殺風景になって、それこそかなり『つまらない』。
難しくて大変な組み合わせ、知らずにやったら逆効果になる場合も有り得る訳ですね。
ようするに黒はある意味の究極、黒に始まって黒に終わる…みたいな?
因みにこれは服もバイクの塗装でも一緒かな。 一見簡単そう、外さなそうな黒だけど、返ってセンスが問われるし、汚れ?ホコリ?目立たないと思っていても、返ってホコリだらけで目立ってしまう事は“よく有る”失敗?だったりね。
だったら他の色と上手く組み合わせた方が効果的、そして逆に上手くまとまったりします。
もし黒が好きならば、例えばその黒を際立たせる赤の使い方、黒を際立たせる白の使い方が有るハズだから。 勿論その他の色、青でも緑でも黄色でも。
それに例えば青の濃度、又は種類(※赤めの青だとか緑めの青だとか、赤と茶が混じった青とか…)を含めたらそれこそ星の数程の“色”が有るのだから。

従ってもし黒の服ばかりなら、ただでさえ黒が多いんだから、それこそ違う色=『挿し色』加えた方が黒は効果的に映える=際立って見える訳。
ようするに例えば黒をベースに他の色を組み合わせるって事なんですが、先のように全身真っ黒で返って難しくして、センスが問われて逆に失敗する位なら、せっかくだったら上手く効果的にまとめるって事。
勿論僕も今でも“黒”の素晴らしさ、良さは有ると思います(※ココでは黒の細かい濃度の話は置いといて)。 でもそれは何も『不良っぽい』だとか『汚れが目立たない』とかの、そんなちょっとつまらん理由じゃない。 今はもっと1つの“色”として楽しんでる(※因みにデザインなどの世界では黒や白は一般的な“色”として認識されず、“無彩色”と言う分野)。
例え服でもバイクでも…黒が好きだからこそ、その物、その部分、そのアイテムによっては『敢えて黒は選ばない』って事が効果絶大。

そして例えばその黒ベースで考えて見ますと…例えば黒のGパンをメインに組み合わせを考える時。 ベースの黒を含めて2色、又は“3色”以内程度で全体を構成するのを基本にしたら上手くまとまる場合が多い。
因みにこれはあくまで1つの“例題”で、決して『黒ベースの場合に限る』話じゃございません。 例えどの色をベースにしてもこの“全体を2色〜3色以内で構成する”は基本です。

(やっぱ長い!又続き…→)

2011/6/15 (Wed)   

-続・服の話(前編)-

前回までにポロシャツ×ベスト×チャッカブーツ、スポーツジャケット×カウボーイブーツ等々、手前が近頃気に入りの組み合わせなんかの話をさせて頂きました。
でも少し補足させて貰いますと、それは決してよくある『バイク乗りの服装はせず、街に溶け込むスタイルで単車乗るのがスマートね』なんて、そんな話をしてるのでは全く、まっ〜たくありません。
それは違う、全然違う。 話が長い上に説明が下手と言う、この致命的欠陥のせいで(…)、読んで頂く皆さんにはかなり解り難い文章になってる事を心よりお詫び申し上げます(ホント申し訳ない!)。
しかしそ〜ゆ〜バイク乗りのお洒落の是非…みたいな話には、申し訳ないが殆んど興味ないです。

『革とデニムでハードに着てこそ真の…』とか、反対に『それはダサい、バイク降りたらサラッと街に溶け込んで…』なんて両極端な話、何かどっちもどっち…の話にはサッパリ興味が湧きません。
そ〜ゆ〜意味じゃなく、好きな物を好きなように、ただ単に着たい時に着たいよ〜に好きに着るっちゅ〜レベルなんです。
例えば乗るバイクの形や種類や排気量で着る物やヘルメット変えたりも全くしませんし、原チャリだろうがハーレーだろうがその日の気分で着たい物着ます。
でももっと厳密に言えば『バイク乗るからこれを着よう』ともそんなに思わないんですよ。
上手く言えませんが、バイクと服、僕の場合はあまり密接じゃないのかも知れません(その傾向、夏は特にね…)。 だからもし『バイク用』が有るとすれば、それは全て『冬用』かも知れません。
ようするに防寒関係オンリー。 確かに防寒着だけはちゃんと有りますね。 ただやっぱりバイク・オンリー“バイク専用ウェア”が全面、デザイン面に出てる物は殆んど好みません…と言うか嫌いです(笑)。
それにあまり沢山重ね着すんの嫌なんで、どれもかなり保温性良いか、又はそれ相当に“改造”して有ります。

防寒着以外でバイクの時しか着ないのは、ベストと手袋、ヘルメット位かな? …メットは“服”じゃないけど。 それにやっぱりヘルメットは好きじゃない(苦笑)。 何故ベストだけ?…は、上手く言えないのでご勘弁ですが。 あ、どうでも良いけど僕、グローブって言葉、あまり使いません。 僕にはあれらは全部“手袋”なんで。

そう言えば例え『冬用』でも、幾つか所有する革ジャンの中で“バイク専用”は1つしかないです。 因みにそれは前にフルオーダーした1点物で、防寒&乗車姿勢用なんで普段はあまり着ません。 ただライダー・ウェアが嫌いな僕が唯一フルオーダーした物なので、表面的には何処がどんなかよく解らんような仕上げ、なるべく“目立たない”地味〜な外見です。  他の革ジャンは着たい時に着るので、歩きなのに革ジャン、バイクなのに革製品着ない、なんて事はしょっちゅうかも知れません。 ようするに僕の場合のバイクと服の関係は、決して『比例』せず、又反比例もしない。 それぞれ全く『別次元』、互いにどちらも基準にない関係と言うか、バイクが先でも服が先でもないんだと思います。 そ〜ゆ〜所はいい加減なのかなぁ?(笑)

余談ですが、最近は革ジャンより革ハーフコートが気に入りです。
若い頃から割かし好きだった革のハーフコートですが、もっと痩せて細かった若い頃よりどうも現在の方が自分にしっくり来る気がしています。
でも革のハーフコートって何故か中年に多い=オジサン率高い気がします。
かくいう僕もドップリ中年ですし(苦笑)、お腹周りがごまかし安いのかなぁ?…(涙)

そう言えば服を着る時の基準(※単車乗るか否かに関わらず)、TPOは気にしますがそれは冠婚葬祭メインですし、他でも礼儀優先かな。 失礼が有っちゃマズい際はトコトン気にしますが、それさえなけりゃど〜でもイイなぁ。
ダラけてたいならダラけた服着てるし、キメたい時にはキメてたいし。 先のポロシャツしかり、ブーツしかり、スニーカーしかり。
でもキメ過ぎ=やり過ぎは嫌。 出来れば少し“隙アリ!”ってのが基本かな?(※僕は時々他人様に『地味派手』と言われますが、それは多分僕特有?の“好み”、アイテム、種類、素材やシルエット&色含めて全体の雰囲気、そして組み合わせ方がきっとそうなんでしょうね…)。  それにもし“やり過ぎ”が有るとすれば、それは誰かを笑わす為?楽しませる為の“ウケ狙い”がメインになりますね。 ようするに『ネタ』ってやつ?(※それ以外じゃ面倒臭いもん…苦笑)

でも服を着る際、カラーリングはとても大切。 ようするに“色”の組み合わせは結構気にします。
それから着る服の“色”を敢えて限定しないようにもしてます。 ようするに1色に自分を固執させないようにする事。

(…とココで又続く→)

2011/6/12 (Sun)  たまには服の話…(終)

(続き↓)

しかしなるべく簡単&軽めの内容のつもりで書き始めた“たまには服の話”だったのに、いつの間にか脱線だらけだわ、又長いわで…。
一体ど〜すればイイんだろ?この『1回始めちゃうと中々終われない』自分の性格が…(体質?)。
『気に入り着こなし&アイテム』の話題なんて、スッカリ何処かへ消えてしまったし(※その辺りはどうか 銑0未鯑匹鵑粘弁!って感じ?)。

例えば僕の親しい、プライベートでの仲間達。
バイク仲間でも有る彼らなんかも誰1人、所謂バイク乗り専用ウェアとか着てないかも知れない。
因みに内1人はこのWebにリンクしてるブログやってるけど(※ヒント:中々鯨?を迎えに来ない、世のため人のために働いてるお坊さん)、他にも前の地獄Webの元管理人とか、宮崎VMにバンド出演してた奴とか…色々居るけど、取り敢えず、元ウチのお客さん出身って人は何故か1人も居ない(…どゆ事?苦笑)。 っつ〜か、普段はあまりウチの店にも来ない(※正確には一応皆さん僕の仕事を邪魔しないよ〜に、気を使って頂いてるのですが→そこはホント感謝してる)。

とにかく彼らなんかも、皆さんバイク乗るし(※今ん所H・Dばかりかね?)、でもバイク専用ウェアは全く誰〜も着てなくて、かと言って所謂ストリート系?なんて雰囲気の人は更に皆無。 上手く説明出来ないけど、結構その辺り“テキトー”って感じで、どちらかと言えば下手すりゃデパートかスーパー?で売ってるよ〜なもん着てる人すら居る(※それか六本木辺りのホストみたいな格好とか)。

自分も含めてそんなこんなの現状だけど、だからなのか?最近特に再びバイク専用の服や物には興味が薄くなっている(※バイク本体も段々凄い改造には興味が失せてる)。
そんな最近の僕が造る某か、例えばバイク乗る際に、もし適してた場合…それって単なる偶然じゃ駄目かなぁ?なんて思う今日この頃。
上手く言えないけど、僕もバイクに乗るから、何と言うか、特別意識してないで造ったら、偶然バイクに乗る時に、たまたま具合良くて、それがたまたま“合致”してしまったと言う感じと言うか。 ようするに偶然の産物って言う感覚?
決して『バイク用に造るぞ〜!』って気合いは入ってなくて、『あれ?何か結構具合イイかも?』って感じの、もっとホントもっと、気が付きゃたまたま出来ちゃったみたい?って言う、結果論って言うの??…そんな感じのやつ。
そ〜ゆ〜捉え方して貰えるなら何かと助かるかも知れません(※ようするに海賊TEEもたまたま偶然バイク乗りが好む仕上げになったと言う事だと思います)。

意味解んないようなつまらん事を延々ダラダラと書いとりますが…とにかくバイク・ウェア&グッズってカテゴリーとかジャンルのそれは、特に最近どうも造るのも自分が着るも妙にゲンナリしてしまうって話なんですが。
だからか?最近特にお客さんの持ち込みの服のデザイン変更=仕立て直し=改造&修理は妙に嬉しいし(※タンスの肥やしを直して着るって何かエコ?で特に嬉しい)、服以外でも例えば1オフ・バッテリーケーブル製作とか。 他店さんのデザインとかイラスト製作とか。
そ〜ゆ〜仕事が妙にノレるのは確か。

だって自分が財布とか装飾品とか段々興味失せてるのに、それを例え“仕事”だとしても、お客さん達に無責任にドンドン推奨する事なんて中々難しいですから…。
考えりゃアイデアなんてもんはど〜にか出てくるもんですが、気分、テンションばっかりは無理矢理上げるのって結構難しいですわ。
まぁこの辺りはプロとしては失格かも判らんですが。

そんなこんなの現在なんで、やっぱり今年の夏もベストにラコステのポロシャツ着て(※やっと話が戻った!)、ニットのストレッチのGパンにまるでドレスアップ用?みたいな黒スウェードのチャッカ・ブーツや紫のスウェードの靴履いて…そんでもって普通〜に動く自分のバイク達に構わず乗るって寸法なんですが。

しっかしここ数日で又スンゴイ量の日記UPしたな〜? 自分でもびっくりよ。
こんな沢山書くと又暫く書けなくなっちまいそ〜で少し不安なんですが。
まぁでもストリートライドWebの連載も有るし、その辺りはそれで大丈夫かな(笑)。
それに新作海賊TEEの件、ちゃんとお知らせ出さないといけないかも知れないし、そろそろそっちもまとめ始める事に致します。 じゃ又!

PS:やっぱり言うのをタメらうけど(※決して不安煽りたい訳じゃないから)…ちょこっと嫌な話、又ここんトコ耳鳴り&身体のバランス変なんで、何処でいつどの程度のとかは判りませんが、とにかく地震、どうか皆さん気を付けて。
勿論東京も例外じゃなく、朝か昼か夜中か大か小か遠くか近くか判りませんが…(※出来れば外れて欲しいのよマジで。だからそこはホント悪しからず…)。

2011/6/12 (Sun)  たまには服の話…

(続き↓)

そんな訳でRIDER→BIKERに…それを表現する言葉が変わってからも僕はどうしてもその“専用ウェア”って言うコンセプト自体にキツ過ぎる窮屈さを覚えてしまう。 ただもしも、クリーンな正統派バイク乗り=RIDERじゃなく、多少ダメダメな部分が有る(?)しょ〜もないBIKERの為のウェアだよん!ってンなら話は別(?)。
そ〜ゆ〜もっとカタ苦しさのない、もっとフリーな、自由なイメージのそれだとしたら、もしもそうだとしたなら“BIKER'S WEAR”でも賛成、大いに歓迎かも知れない。 ようするに例え日本人でも、もし『RIDERじゃない、BIKERなんだ』って言うンなら、そのスタンス?は、そこはそうじゃマズイんじゃない?って色々も有るんじゃないかとね。
え?解り難い?…う〜ん…。
あ、でも決してそれは海外の1%文化を崇拝するとか、それを基準にしてって意味じゃないよ? そんな少年少女みたいなニュアンスじゃないですよ。 …かと言って軽〜いノリでのBIKERって意味でもなく、もっと、う〜ん…。 やっぱ解り難い?…だよなぁ。
こ〜ゆ〜時はホント自分の文章力のなさに自分でイライラしてしまう…(やっぱ上手く説明出来そうにない…すまん!)。

まぁとにかく正統派ライダーってのに、どうも僕はイイ思い出?イメージ?が無いからか?まだ多少の偏見が残ってて、今だに少し気後れしてしまうのか?ことライダー専用ウェアに関しては、その過剰とも思える装備と機能…風の侵入をどうカットして、何処そこにパッドが入り、転倒時にはどう身体を守り、何処に何々用のポケットが有り、ヘルメット着用時には何たらかんたら…グローブをしたままの手でも○▲*◇◎…。 何だかもうお腹一杯になってしまう。
あくまで個人的にだけど…大体転倒(=失敗)してまで身を守ってくれなくて良いかな?と思うし、ヘルメットだって大嫌いだっちゅ〜に…(※でも任意保険にはちゃんと入ってます…苦笑)。
しかしそんな自分が一部世間では“バイク乗り御用達”と言われたりする?物を造ってる。 この矛盾?は時々ある意味非常に複雑である。

例えば鎖付きの財布。 古くはトラッカー・ウォレットと言われて、最近ではチェーン・ウォレットとも言われる代物。 かくいう自分もかれこれ30年位使っている。
初めてチェーン・ウォレットを手に入れたのは遥か昔の1982年かそこら。
しかも『脱落防止にイイかも』なんて、そんな単純な理由から。
たまたまそれまで使ってた二つ折りの“普通の財布”が、単車で走ってる最中、ケツのポケットから脱落してしまうと言う事件?が有り、それで落とさない為の“紐”を付けてた。
と、ある日、偶然見た海外のバイク雑誌に出ていたトラッカー・ウォレットを発見、『こりゃイイかも』と思ってたら、丁度たまたまバイトしてた原宿の店でそんなのを作ろうって話になったので、早速それを1つ購入。
黒い皮革に2ヶボタン、銀色の鎖のそれはそれまでのどんな財布より重圧で、正直初めは何かイマイチ使い難かったし、何せまだ'82年頃、世間ではまだ殆んどのバイク乗りでさえ、そんな財布使ってない所か“認知”さえされてない時代ゆえ、周りの人々からは『何ソレ?鎖まで付いて…ソレが財布なの?』って。

そんなこんなを経て現在までずっと、あれ以来このタイプの財布を使い続け、ウチの店のオリジナルやらも色々造ったけど…何て言うんだろう?最近ちょっと何だか少し持つのが面倒くさい。
これ読んでるお客さんに対して衝撃発言?だったりしたら大変申し訳ないが…ホントちょっとそれ、素直な本音です。 かと言って今んトコ、代わりになる財布には出会ってないので普段はやっぱりまだコレ使ってますが、店に居る最中とか、ちょっとその辺にって時だと殆んどポケットから外して“脇”に置いてる始末。
ついでに言うと最近は殆んど指輪もつけないし、リストバンドやブレスレット、その他一切がっさいの装飾品?の類いが全〜部面倒くさい…。
バイク乗る時ですら、出来れば身体に何もつけたくない。 しかし、よくよく考えりゃバイク乗る時こそ装飾品は殆んど何も身につけない方が理想的かもね? ヘルメット&手袋だけで十分かも知れないなぁ…ヘルメット嫌いだけど。 ただでさえ聴こえ悪ぃのに更に聴こえねぇし(…願わくばそこはもう1度ノーヘル時代に戻りたい…)。

まぁでもホント、最近のこの出来れば何にも持ちたくない願望はなんだろね? この仕事してる自分にゃ、ある意味致命的ですらある…。
ホントそれ位、財布、キーホルダー、指輪、眼鏡、時計、そして携帯…全部面倒くさい。 出来れば持ちたくない(苦笑)。 …って一体何の話してるンだっけ?
気に入りアイテム&着こなし中心の話だよなぁ?…脱線し過ぎて戻れなくなった(冷や汗)。

…ほ〜ら、やっぱり続く→

2011/6/12 (Sun)  たまには服の話…

(続き↓)

ブルーデニムのカットオフとブルージーンズの場合、最高、1番グッと来る組み合わせ。
やれたブルーデニムのカットオフ=ベスト、そしてブルージーンズに無地の白いTシャツ!
ヘインズとかフルーツオブザルームなんかの普通の半袖の白T。 やっぱこれ最高。
勿論カットオフが黒、Gパンが黒もイイ(※余談だけど片側だけブルーデニム、もう片側は黒ってのはかなり好き)。
だけど中身は無地の白T!…黒の無地もイイけど…でもやっぱり絶対白がイイ!

少し反れるけど'96年、米国のカリフォルニアの某街の、あまり有名じゃない、とあるバイク屋。
癖毛のブロンドの長髪を束ね、TATTOOだらけの素肌で白っぽく色が抜けたブルーデニムのカット(ベスト)×同じく色の抜けたGパンをカットオフした短パン(※ハーフ丈じゃなく、短パン!)、ビーチサンダルって姿の白人BIKERに会った。
歳は30〜40代?細身だけどかなりの長身、額に赤いバンダナ、メタルフレーム=金ブチの眼鏡、同じく金の時計以外、ウォレットもジュエリーも余計な“飾り”は何も付けてない。
唯一の飾り?持ち物は刃渡り30〜50臓って位の馬鹿デカいハンターナイフ?サバイバルナイフ?を腰から下げている。

はたまたもっと昔、'80年代初め、デイトナかスタージスの裏通りを写した写真、それとよく似たスタイルの若いBIKERを目にする(※顔が違うので多分先の人とは別人?)。
やはり細身だけど彼はちょいマッチョ…でも同じくブロンドの長髪を束ね、やはりTATTOO剥き出しの素肌=裸、色の薄い?抜けた?カットオフ、そしてやはりそんな感じの薄色カットオフGパン=短パン。
彼の場合は白い?靴下を履き、長めの編み上げブーツを履いていたが、やはり殺風景な位ウォレットや飾りは何も持たず、やはり腰には長〜いナイフ!
パッと見、ロックスターみたいな白人の若者?で、妙に日焼けしてて、荒っぽい(野暮い?)CH0PPERに跨がってなけりゃ、まるで“海の家”の従業員みたいな雰囲気の写真(※多分ホントは筋金入りのBIKER)。

時を違えて見たこの2人、どちらも無茶苦茶カッコ良かったけど、下手すりゃゲイ?って感じの着こなしなのに、全くそんな感じには見えなかった。
決してファッションじゃない迫力、それがまさしく説得力。
だから全く“ゲイ”には見えなかった(※因みに彼等のあのナイフのデカさは普通に持ったら取り敢えず『銃刀法違反』ですな…)。

話は少し変わりますが、既に過去の雑誌のインタビューやコラムやエッセイ執筆などで少し話した事なのですが…
僕は所謂ライダーズウェアって言う、“バイク乗り専用”ウェアが苦手でした。
古くは1970年代からどうも駄目で、当時は特に無理なアイテムでした。
詳しくは省くけど、どんなに何をどうされようが、その全体から醸し出す、何処か正統派ライダー=オートバイは正しく乗りましょうって雰囲気が無理、苦手。
因みに色やデザインの事じゃなく“ライダー専用”って言う、その匂いの事。
どんなにどうアレンジしようが、決して消せなくて(少なくとも僕には消えてくれない)、必ず“匂って”来る。 とにかくそれが生理的に無理…。
造ってる時&デザインしてる時、多分“バイク・ライディングしてる最中のライダー”の事のみに割り切ってるって言うのが全ての原因かも知れない。
でも、とにかくそれが当時からずっと、どうにも無理だった訳ですが。

例えば自分の造ってる物などを各誌に取り上げて頂いた際に『BIKERが造る、BIKERの為の…』とかのタイトル?付けられると、どうも段々元気なくなって、凹んでしまう…。
“RIDER”が“BIKER”に、言葉が変わっただけって感じだし。
日本人が簡単にBIKERと言う言葉を使うから特に…(※僕は出来るだけ使いたくないから余計に嫌だ)。

とにかくRIDERを無理矢理BIKERに変えられても、“専用”って言う、その妙な部分にやはり何か『正統派オンリー』みたいな、何かそんな硬〜いイメージを持ってしまう。
多分僕の勝手な偏見?みたいなのがかなり有るんだろうけど。
もしかしたら'70年代当時に味わった、僕らが受けた差別?みたいな部分も少しトラウマ?になってるのかな?

『お前らはバイクを愛してない○○族だ』『お前らにバイクを乗る資格はない』『お前らが居るから一緒にされて迷惑だ』『あっち行け、シッシッ!』的な思考を持ってたのが、この所謂“正統派ライダー”ってやつが大半で。
ようするに彼等は何かちょっと、“真面目ぶってる”ように見えてしまい、何かちょっと『我々は下に見られてる』なんて言う、こっちはこっちで妙にイジケてしまって…それが何処か何か余計に我々を反抗的に駆り立ててしまってた気もします。

…あれ?一体何の話だっけ?

→続く→

2011/6/12 (Sun)  たまには服の話…

(続き↓)

夏、これからの季節。
毎年夏になるとやっぱりポロシャツ。
特にカットオフや皮革製を含め、ベスト×ポロシャツって組み合わせが好み。
因みに通常のポロシャツの着こなしに興味はなく、ベスト=ポロシャツって言うのが僕の図式。
ある意味最高、極上の組み合わせと思ってます。
特に黒ポロシャツなんかホント最高。 勿論その他の色も全部好き。 ただ無地オンリー。 線とかは入ってちゃ嫌。 そして首元のボタンは2ヶ!

メーカーはラルフローレン、ポロ、ゴールデンフリース〜無名まで、何でも好きだけど、個人的にはやっぱりラコステかな。
フランス製=フレンチ・ラコステも米国ラコステ=アイゾット社のも好き。
とにかくあの胸の1ポイント=ワニマークが入ってると嬉しい。
ベスト着てるから見えないけど(そう言えばラコステのパチもん?のクロコダイルは最近あまり見ないけど、まだ存在してる?)
そんな感じで無地のポロシャツをベストに合わせ、ボタンは一切止めず、全開=フルオープンで着ます。
下にTシャツ着ないで基本的には素肌に着て裾はパンツ・イン。
これが好き(勿論エリは立てない…苦笑)。 とにかくベスト×ポロシャツ最高。
因みに最近は海賊TEE(長袖or七分袖)の上にポロシャツ着るのもちょっとイイなぁ。

ベストに合わせる夏のお気に入りをもう1つ。
それはハワイアンシャツ、所謂アロハ。
アロハの時は革ベストがグッと来る。
因みにベストに合わせるアロハの色や柄に基準はなく、どっちかって〜と素材が重要で、コットンよりシルクやレーヨンのが革ベストと合わせたくなるかな(柄も色々好み有るけど)。
シャツの裾はパンツ=ズボンの外、でも第2ボタン位までちゃんと止める。
僕の場合、首が太いので(苦笑)、正確には第3ボタンまでだけど…。

さっきのポロシャツ×ベストもこのハワイアンシャツ×ベストも、足元はスニーカーじゃなくてブーツがグッド。
エンジニアよりカウボーイ・ブーツかハーネス・ブーツが気分だけど。
しかし最近はポロシャツ×ベストに真っ黒スウェードのチャッカ・ブーツを合わせたい。
デザート・ブーツなんかもイイね。 でも色だけは絶対黒、それに絶対スウェードね。
だけどデザート・ブーツの丸っこいデザイン、そしてクレープソールって言うラバーの底が少しカジュアル過ぎて個人的にはちょっと違う。
ここはやっぱりもっとドレッシーなチャッカ・ブーツが気分。
黒いスウェードのチャッカ・ブーツ、底は決してフラットじゃなく、ちゃんとカカトが有るタイプで、なるべく無骨なアメリカン・デザインじゃない、もっと華奢なヨーロッパっぽいスッキリとした細身のデザインのがイイ。
ソックス=靴下はアーガイル(ダイヤ柄)なんて最高。
本来バイクとイメージ合わないようなそれらを、無地のポロシャツ×ベストに合わせてバイク乗るのが最近妙に気になります。

靴と言えばスウェードのマウンテン・ブーツも妙にイイ。
色は茶色や黒より赤だの青だのの“変わり種”が気に入ってる。
多分お洒落ボーイ用?みたいなそれ、少し前にスウェードの紫のに廻り合い、これをいつものベストや黒Gパンに合わせてバイクに乗る。
これ又オイルレザーのじゃなくて、スウェード。
色もポピュラーじゃないカラフルなやつ。
足元だけ変わり種で返ってそれがイイ感じ。

お気付きかも判りませんが…ようするに殆んどバイク乗りの世界に無縁なナニガシかと、定番の?バイク乗りの世界の物を一緒にしてしまうと言うか。 昔っから有る、普通にバイク乗るような格好に、ちょっと違うニュアンス入れてって言うか。
ことさらバイクを意識してる訳でもなく、かと言って真逆?のファッション誌風のお洒落って訳でもなく。 そう言う何かのジャンルには入らないって言うか。
何かの“お手本”に洗脳されてるような人だと『???』と、理解不能?…又は気付かない?って感じの“何処かが何か違う”組み合わせ。
解らん人には絶対判らんかも知れない、そんな組み合わせ(解って貰う必要は全くないけど)。 そんな感じが最近特に気に入ってます。

因みにWの革ジャン、所謂ライダースジャケット。
意外と単車より4輪乗ってる人が着てた方が妙に格好良く見えるのは私だけ?
それから麻のスーツでコテコテ1%路線のTシャツ合わせ、メタルフレームのサングラス、ついでにストローハットでも被ったら…南の島か避暑地が似合うと思うのも私だけですかね?
麻のスーツ、強烈な絵柄のBIKER'S TEE、それを石田純一さんみたく(?)裸足にスリッポン履いて、ちょっとイタリアンな伊達男風…って、多少時代遅れも入ってるかも知れないけど(笑)。
…でも何かこ〜ゆ〜ノリ、妙に好きだな〜。

→続く!

2011/6/12 (Sun)  たまには服の話…

個人的に気に入ってるアイテムや着こなし(?)組み合わせを幾つか。

例えばブーツカットのGパン。
ブーツカットにはスニーカーを合わせるのが好き。 ただコンバースに代表されるデザインや最近よく見掛ける派手なタイプじゃない、全身が真っ黒なやつ。 ここ数年は皮革で底まで真っ黒けのNIKEのハイカットを愛用。 でもナイキのマークのブーメランみたいな?白い模様は嫌で黒で塗った。
勿論ブーツカットにブーツも履くけど、ブーツカット×黒皮革スニーカーの組み合わせは特別好き。

そしてブーツ、それもカウボーイブーツの場合。
その時の上着はスポーツジャケット=ベースボールジャックを合わせるのが好み。 因みにスポーツジャケットとは巷でアワードジャケット、レターマンジャケット、チームジャケット等と呼ぶ、所謂スタジャンの事。
『スタジャン』はVAN JACKET INC.の商品名=造語なので、ここでは敢えてスポーツジャケットと書きます。
そのスポーツジャケットにカウボーイブーツ=所謂ウェスタンブーツ、これ最高。 個人的には特にベージュのスウェード・カウボーイブーツがGOOD。

余談ですがスウェード靴にミンクオイル塗ると最高。
この方法は30年位前('80年代?)、雑誌ポパイで紹介され、それ読んで以来好んでる手法。 特にベージュ系のスウェードにミンクオイル塗りたくると独特“泥々”で渋い、焦げたパンみたいな風合いになるのがイイ(※当然雨にも強くなります)。

尚、スポーツジャケット×カウボーイブーツの時は裾が長めのテーパード、細身のGパンを合わせる(※勿論Gパンの裾はブーツの外)。
この組み合わせは映画『リーサル・ウェポン』のリッグス刑事=メル・ギブソンからの影響。 スポーツジャケット×テーパードGパン×カウボーイブーツに白の無地Tシャツ…凄くイイ、好き。

再び余談。
Gパンは黒デニムor黒ツイルかブルーデニム、その他茶系も好みです(茶色Gパンは“さすらいのライダー・ブロンソン”みたいのがイイ)。
ブルーデニムの場合は何でもない普通の14オンスが1番好きだけど、黒Gパンはデニムより少し薄手のツイル=カツラギが好き。
デニムでは15年以上前にハリウッドランチマーケットのオリジナル製品で、有名な某御大2名が企画したらしい『バイクマスター』って、17オンスだか19オンスだかのブーツカットのGパンが中々イイ。 色はブルーデニムとブラックの2種類で、形状はブーツカット1種類。
15年以上前に厚手Gパンのハシリみたいな、それもバイク乗るのに適した形状のが既に存在してた訳だけど、当時ブラック買って気に入り、すぐブルーも入手。
細かいトコは省くけど、ポケットもカッティングもかなり絶妙なバランスで良かった。
ただもうちょい生地は普通、せいぜい15オンス位までが好みですが。

あ、ハリウッドランチマーケットはまだ青山キラー通りに在った最初期時代に('70年代)、イチ早くベンディビスを扱ってて当時それの黒いツイル?のを愛用しました。
それ30年以上経過した今でも大してダメージないので現役と言いたいトコだけど、さすがに今はサイズが入らない(笑)。
だから今売ってるベンディビスの黒、表面的にはよく似たのを再入手してみたけど、生地は相変わらずツイルか何かで良いが、シルエットが全然違う。
昔のはスッキリ無駄のない細身のパイプドステム(※先細り=テーパーしない真っ直ぐなストレート)だったのに、今のはダブダブ形状。
で、細く縫い直して暫く愛用したけど、それも最近ついにサイズが無理に…(苦笑)。
代わりに最近はディッキーズのあまりダブダブじゃないやつ、割りとGパンっぽい感じの黒と、紺のストレートのチノパンみたいの履いてる。
ディッキーズのも生地はツイルか何かで結構イイ。
でもディッキーズのはポリエステル素材?で汗をあまり吸わないのがツラい。

それと15年位前、米国のカタログ本でLevi's“テックス(TEX)ツイル”517っていう、ブーツカットでストレッチ素材のダブルニット(※ゴルフ用パンツに有るアレの事)のを見た事が有り、前からかなり気になってたのだけど、少し前それの黒を偶然発見して入手。
このテックスツイル517、多分カウボーイがドレスアップする時に履くような物?で、Levi'sお得意のスタープレスト=前立て?スラックスみたいなプレス(※縦のスジ)が入り、アイロンしなくてもプレス跡が消えない、昔風に言えばパーマネントプレス(死語?)ってやつ。
このTEXツイル517も最近のお気に入り。
これの難点も素材がポリエステル?で全く汗を吸わなくて、夏は汗だく、冬は冬でストレッチ素材の為、風通し良過ぎて寒い。
基本的にバイクには不向きなんだけど、でも関係ない(笑)、これでバイク乗っちゃう。

…△愨海→

2011/6/11(Sat)  IT'S MY MOTOR!(後編)

(続き↓)
そう言えば過去に僕のこの手入れ方法を聞いたメカニックが『洋服屋に何が解る!』と言ったとか?(※因みに直接聞いた訳でなく、所謂又聞きです)。 でもウチ=地獄商会、服は造りますが“洋服屋”じゃないんだけどね(苦笑)。 『何屋だ?』って話は今まで散々してるし、少なくともこの“店主日記”読んでる皆さんには今更又改めて説明する必要もないと思うけど、それより何よりイチイチ『何屋』って代名詞がないといかんってのも妙な話だと。 “地獄商会”って屋号だけでイイじゃん? だってウチは地獄商会“屋”さんなンすよ(笑)。 とにかくウチは特に何屋でもなく、単車=全部商売って訳でもなく、でも必要な人に必要な物は供給してるハズ。 だから無責任かも?だけど、例えばこんなバイク整備の話しても、ノウハウ?を世間にアピールする必要がなく、誰がどう思おうが損も得もない、無理に解って貰う必要もない。 勿論アイアンスポーツの“オーソリティー”に成りたい訳がない(笑)。 僕にとってのこの手の話題は、単なる経験談ってだけ。 なのでそこを誰かが参考にしてもしなくても、それは自由。 本来こ〜ゆ〜事は各自が自分でチャレンジ、自分なりの“答え”を見付けてくのが本筋と思うし、僕は自分でトライするつもりがない人に何かをワザワザ教えるのは嫌い。 従ってこれらは全て僕なり(だけ?)の方法。 ただ1つ言えるのは、僕はこれで愛車を25〜6年乗り、3つのメーター、何本?何十本?かのタイヤを消費し、それでも我が轟天号=アイアンは、今だに現役で走り続けてるって結果が漠然と有るだけ。
因みに今だに高いタイヤを入れた事はなく、最近又換えたけど、又々予算の関係でいつものD社のK527に…。 実はこの20余年コレしか入れた事がなく、マジで違うの履きたい(※もうちょい上の性能のが欲しい)。
それからブレーキパッドもやはり安いタイプで、『ショベルはブレーキ効かない?』って質問に対し、安いパッドでバリバリ効きます!ってのが答え(勿論ノーマル・キャリパーで)。

少し戻ります。
先のトランス(プライマリー)オイルの続き、先ずはクラッチ調整をワイヤーでなく、プレートの調整でキチンとして頂くとして、後はシフトチェンジを優しく確実に行うクセを付けて下さい。 因みにワイヤーのグリスアップ、僕はスプレー滑降油じゃなくEgオイルを注入します。 このチェンジを優しく確実に…は今はもう無きHBJ誌別冊“SPORTSTER”の連載コラムで1度解説してるので、細かい部分は省かせて頂きますが、よくニュートラから1速へ『ガツン!』と蹴り入れるシフト方法、アレはNG。 もっと優しく“次へ送る”感じで(※先のSPORTSTER本で、『毎日やるクラッチの暖気』『2段階シフト』も解説しましたが、勿論それらは全て有効です)、そんな方法をマスターして乗り続けてくと、『あれ?最近シフトが軽く入るぞ?』となると思います。 …と、同時にシフトノイズも静かになり、シフト時のショックも減り、とても良い感じのシフトに生まれ変わるかと(※これらはアイアンスポーツに限らず、マニュアルクラッチの全ての単車に該当するかも)。
先の調整&扱い方、アイアンの場合は例えば信号待ちで車体を完全に止めてしまった後、中々ニュートラルが出ない…なんて車両程、簡単に素直にニュートラルが出るようになったりします。 特にローからだとエンジン止めない限り、中々ニュートラが出ないアイアンスポーツの話をよく聞きますが、先の調整&このシフトのクセ付けで、その煩わしさから解放されるかも?です。 ローからだと無理で、セカンドからなら何とかニュートラ出るって人もこの方法でちゃんとローから出るようになるかもです。 そうやってクラッチ&シフト機構を優しく“育てる”のが大切。 そうすればアイアンのプライマリーケースにどんなオイルが良いか…なんて悩み?はいつの間にか解消、『どれでもいいかも!』って感じで、クラッチも滑らず、シフトもナメらか軽くなってるかと。
でもバイクに限らず何かを10年位続けた頃って、それなりに自信も出来て“解ったつもり”になるのかも知れませんね。 自分もこの単車に乗って10年位経った頃が1番“頭デッカチ”でした。 今考えるとかなり恥ずかしいですが(汗)、更にずっと乗ってく内にそ〜ゆ〜ウンチクやちょっと神経質気味?だった思考も減り、もっと気楽に考えるようになりました。 …と、同時にアイアン自体もすっかり素直に、それこそ“普通”に走るようになりました。 では!

PS:長年乗るともっと違う面で驚く事が…例えば20年以上使った部品がある日突然ポロッと弱々しくもげたり、各部が金属披露や“肉痩せ”してる場合が有る訳だけど、ホントいきなりポロッ…なんで凄くびっくりします。 同じ車両に20〜30年乗らない限り、あまり味合わない世界かも?…ですがね。

2011/6/10 (Fri)  IT'S MY MOTOR!(前編)

…と、その前に訂正1つ。
久々更新のΔ能颪い榛7邱罎離丱ぅ屮此現在石巻に居る(本来福島いわき市の)Y.H氏、どうやら掲載は来月の模様…。 皆様申し訳ありません、間違えました。 すみませんが来月号までお待ちを…。 以後気を付けますので悪しからずお許し下さい。
因みに今月号には福島須賀川市のWさんの取材記事が掲載されてます。 巻頭の“ハーレーと生きる理由”で、超ロングフォークのCH0PPERで奥さんと雨ン中走ってる写真、黒×サンフラワー海賊の男性です。

では本編。
以前にも書きましたが、現在元HBJのスタッフが作る“ストリート・ライド”ってWebマガジンで連載コラムを仰せつかってます(※当HPのお知らせコーナーからも行けるので興味有る方は是非どうぞ)。
そのストリートライドの担当さんから、最初依頼受けた時は『何かメッセージ書いて』って事だったけど、改めてメッセージを…って言われると緊張して?中々思い付かない。 んじゃ一体何を書けばイイ? そしたら担当さんが『今まで乗った事有るバイクの話』って案をくれた。 だからストリートライドWebの連載コラムは古い話ばっかで申し訳ないけど、当分は昔話中心になると思うんで悪しからずです。
で、今日はそんな僕の現在の愛車『轟天号』の話。 ご存知の方も居るかもですが、我が轟天号は1980年型HD・XLH1000。 Iron Sportと言われるショベルヘッドのSPORTSTERで、昔は人気が低かったCRフレーム車。 5年落ちの中古として1985年の11月か12月に出会い、'86年1月から乗り始め、以来25年だか26年だかの付き合いになります。
そんな絡みか解りませんが、時々他のショベルSPORTSTERに乗る人に質問される事が有り、なので今回はそんな人々からの『よく有る質問』ってやつを。

ランダムに書きます。
『AMF時代のIron Sport、又は1000侫好檗璽弔浪れ安い?』
答え→全くそんな事は有りません、以上! …ってそれじゃ納得しないだろうね(笑)。 でもホント大丈夫。 因みに電装ちゃんとしてれば特に(※これは新旧関係なくハーレー全般に言える事ですね)。 それと容量が小さ過ぎるバッテリー使ってると解りませんが。 コイルやトランジスタ、又はポイントもレギュレーター…マウントやアースや錆処理キチンとしてるならそんな簡単に死なないと思います。 僕は25〜6年間、まだコイルが1回も死んでません。 因みに純正のままです。 もしかしたら明日死ぬかも知れないけど、25〜6年使い続けて死ぬ訳だから仕方ないと思ってます。
点火も純正トランジスタのまま、ポイントにもしてませんがまだ大丈夫。 それより何より各部の絶縁処理、結線部分の錆&ガタ=緩み、配線の異常な曲がり、挟み込み、古い配線の硬化、等々…そ〜ゆ〜所のが大切かと。

『扱い難い?』…これも全く大丈夫、普通に動きます。 …と、言うか、アイアンは個人的にはかなり普通の単車だと思います。 アイアンスポーツ神話?みたいなのが有るとすれば、多分それが少し大袈裟かと。 昔からバイク乗りは、特定の車両をことさら伝説化する悪いクセ?みたいなもんが有ります(苦笑)。 ショベルスポーツと言えどもたかだか人類産。 未知の生物の産物じゃ決してないので大丈夫。

『クラッチ重い?』…対策品も色々有りますが、ストックでもちゃんと調整すれば大丈夫、意外とアッサリ軽くなると思います。
ギヤ&クラッチオイルに関しても、世間で言う程気にしなくて良い気がします。 スポーツ・トランスフルードはEVO用と言われるようですが、僕は現在までに#30又は20W-50のEgオイル、そして勿論トランスフルード(純正〜レブテック〜その他各オイルメーカー等の色々)、その他にも各オイルメーカーのギヤオイルまで、25〜6年の間は色々試しました。 でも特にコレじゃなければ…って感じのはなかったです(昔STP2本入れてる人も居ました)。 しいて言えばちゃんと交換してれば大丈夫って感じ。 因みに僕はEgオイル2回に1回はミッション(プライマリー)オイルとEgオイルのフィルターを換えますが、そのEgオイルは大体1000疏行で換えます(※除くツーリング時)。 従ってプライマリーのミッションオイルもせいぜい2000舛埜魎垢任后 尚、その際はEg&トランス、どちらもドレンボルトのワッシャ、シールテープも交換します(※銅ワッシャは良い)。 漏れが多い人はワッシャ毎回換えてるかチェックして下さい。

『アイアンにトランスフルード入れるとクラッチが滑る』…もしかしたら原因はフルードじゃなく、ハンドル変えてませんか? もしハンドルを変えたなら、必ずクラッチプレートの調整をして下さい。 ワイヤーだけでは調整不足、それだと滑り安いかもです。 トランスフルードより、粘りの強いEgオイル使う場合有るのは、“漏れ”防止って感じかな?

…続く→

2011/6/9 (Thu)  久々更新─(完)‐

続き(ラスト)↓

久々の連続更新、ラストはちょっと楽しい話題。

突然ですが、昨日又々新しい海賊TEE製作の準備を開始しました。
近々、多分6月中旬頃までには諸々詳しい情報をまとめ、各メディアさんにも知らせる予定で、そしたらこのWebの“お知らせ”ページにも内訳やら詳細を、まだ文字中心だけど管理人さんにUPして貰おうかと思います(管理人さん、宜しく!)。

海賊TEEで思い出したけど、カドヤさんとのコラボの1つ、海賊TEEをモチーフにした?アームホルダーみたいな『サマーシールド』って製品。
あれカドヤさんの広告とかで『袖だけ海賊TEEと異名を持つ』って書いて有るけど…それ、ちょっと違う。
多分僕が最初あの製品の企画をカドヤさんから聞いてデザイン依頼受けた時、『腕だけパイレーツ』って言って、多分それが元ネタになってる?って思うけど。
でも『袖だけ海賊TEE』と『腕だけパイレーツ』じゃ、その響きっつ〜か、リズムっつ〜か、ノリっつ〜のが全然違うンですよ、僕には。
個人的には頭につく“腕”と“袖”が先ずキーワードなんだけど、『袖だけ海賊TEE』だと申し訳ないけど何かちょっとカタいイメージなの。

しかし『袖だけ海賊TEE』と『腕だけパイレーツ』、何処が違うの?大して違わないじゃない?って人も多分沢山居ると思います。
確かに一見そうかも知れません…でも!やっぱりかなり違う。
多分このニュアンスの“違い”を理解して貰える人が、ウチの店=“地獄商会”を正しく理解してる人なんだと思うンだけど…そう思わない?
とにかくこの『腕だけパイレーツ』と『袖だけ海賊TEE』の違い、決して“微妙”な違いなンかじゃなく、僕にはかなりデッカイ、かなり決定的な違いなんです。
だからこの“違い”が判る人が絶対ウチを理解出来るンだと思う訳。
う〜ん、我ながら良い“例え”…な〜んて、誰も誉めてくれなそうだから自画自賛して見たりして…(たいへんよくできました?)。
でもこう言う部分はやっぱり出来れば“正しい”リズムで行って欲しいんですよね。
だからとにかくアレはやっぱり『腕だけパイレーツ』!

あ、そう言や肝心のカドヤさんにソレ伝え忘れてるかも!?
でもこれは決してカドヤさんに対してのクレームって訳じゃなく、要するに“地獄商会”を理解する為の単なる例題って所だから、そこは誤解なきように宜しく。
そんな訳で一見どうでもイイ話、だけどウチには結構こ〜ゆ〜ノリってのが大切って話。
でもこ〜ゆ〜場合ってやっぱりROCK'N'ROLLに免じて許して貰うべき?(←※この地味〜なネタ…果たして解るだろうか?)

え〜そんな訳で、久しぶりに長々ズラズラ書きました。
久々更新の章、 銑┐泙覇匹鵑把困い突難うございます。
震災以降、中々何か文章を書く気にならないまま、そのまますっかり今度は『文章書くのが面倒臭い』と言う、単なる“無精”になってしまった訳ですが…(※完全に言い訳ですね…汗)。
相変わらずパソコン苦手で、この文章も全部、全て必ず携帯から書いて、それを先ず1回パソコンに送信、それをパソコン内でコピペして(※最悪そこで文字数とか編集して)、やっとこの店主日記が1話完成って言う、この“手間”が凄く面倒臭い…。
かと言って、もしパソコンで直接書くと、たった数行文字入れるのに1〜2時間要してしまう…。
だったらまだ携帯から書いた方が時間の節約になるんだわ。
要するに僕はまだまだパソコン初心者のまま、だからコレしか今んトコ方法なくて、おまけにどうやら文章を“要点だけ簡潔にまとめる”才能に乏しい。
従ってどうも上手くまとまらず、中々キリない(苦笑)長〜い内容になってしまう。
だから1回に一気に書いて、暫く何も書きたくなくなってしまうのかも知れませんが(※ストリートライドWebに連載中のコラムもこの携帯からよ!→因みにスマートフォンじゃなくて普通の携帯)。

そんな訳で今回は震災以降久しぶりの更新ってのも有り、地震の事やら何やら最近の色々を一気にランダムに支離滅裂に(笑)沢山書いて見ましたが、ROCK'N'ROLLに免じて許してね?(…しつこい?)

最後に又話変わるけど、去年久々に演ったライブの主催者さんが、今年の冬辺りにチャリティーのライブを計画してて、もしかしたら僕が参加してるバンドも出るみたい。
多分都内の何処かで11月以降になると思うんだけど、それに関しては又詳しく決まったら必ずお知らせしますが。
因みに主催者さんは、現在のこの状況をいつしか人々が忘れてしまう事を危惧してるので、“今スグ”より秋以降の予定でチャリティーライブを計画してるそうな。
取り敢えず僕は例の千葉や茨城や“関東”も支援対象に入れさせて!ってお願いさせて頂きました。

…久々更新の章-(完)-!

2011/6/9 (Thu)  久々更新

続き↓

そう言やあの最初の3/11の地震の時、店の前の公園に凄い沢山の人が避難して来て、一時は200人位?『この近所、こんな沢山人居たの?』って位、ホント大勢の人がすぐ目の前に。
激しく、しかも不気味に長〜い“揺れ”の後。
その沢山“避難”して来てた人達が、多分ホンの一握りなんだろうけど(…と信じたい)、一斉に携帯で写真撮り出した。 集まって記念撮影みたくニヤニヤ、ピースしたりギャーギャー騒ぎながら…OLやスーツ姿の会社員。 煙草吸いながらゲラゲラ笑いながら。
僕も吸うけどさ(※ヤメない!)、誰もが初体験、初めての恐怖…その直後だよ? ガス漏れとかしてるかも知れないンだぜ?
それ確かめもしないで…取り敢えず店の目の前、こ〜ゆ〜奴に巻き込まれんのか?って正直、一瞬、ムッとした。

又ある時。
計画停電と余震だらけの日々の頃。 結構強い余震のその直後。 単車で外灯の消えた真っ暗な夜の道を移動しなきゃならなかった時。
僕も周りの車も、皆さんたった今しがたの強い余震を警戒し、かなり徐行、様子見ながら走ってた(※因みに余震だらけの頃は交通量が異様に少なく、道路は何処もガラガラ)。
そん時、後ろの更に後ろ、2台後ろの黒い車が僕の後ろ、タクシーを煽ってる。
片側一車線、しかもさっき大きく揺れたばかり、更に外灯は軒並み消えて辺りは真っ暗。 徐行は必須。 なのに…。
結局ソイツは後ろのタクシーを無理矢理抜き、今度は僕をせっつく。
ジッと、ひたすら耐える。 いつしか二車線、そして信号、停車、すぐ真横に来る。
見るとまぁ絵に描いたよう、運転席に軽そうな?ヘラヘラなニィちゃん、助手席に頭弱そうなおネェちゃん。 全く悪気ないのか?こちらの視線にすら気付かず、ニヤニヤしてるニィちゃん、その隣でボ〜っとクチを開いたまま、無表情のおネェちゃん。
正直ムッとしたが、この非常時にエネルギー使う相手じゃないと忘れる努力。 やっと大人になれたか?なんて。 ホントはもう体力も自信もないから我慢してるだけかもね?…(苦笑…)。

そうかと思うと3/11の夜、帰宅難民と車で溢れ返り、パニック、大渋滞の道路の真っ只中。 はたまたそれから数日続いた大混雑の最中、ガソリンスタンド。
例えば大渋滞の道路、動けなくなった車や他のバイク、彼らにお先にどうぞ!と道譲った時(※凄い数の車やバイクが完全ハマってて、警察全く居なくて代わりに誘導したって感じなんだけど)。
例えばセルフのスタンド、給油待ち&給油中&給油終わって出たい車がゴチャ混ぜで、右往左往する人だらけ、スタッフも人手が足りなくてこなせない雰囲気の様子、給油中だった僕の単車をタンクのキャップ開けたまま、ちょっとズラして出れない車を通した時。
大渋滞もスタンドも、どちらのケースも先を譲った車やバイク、それらに乗る人達のクチから肉声による『有難う!』って言葉を聞いた。
そん時フッと、こ〜ゆ〜の何だか久々だなぁと思った。

いつからだろね?そ〜ゆ〜時に会釈もなく、目も合わせず、まるで当然?って顔する人が増えたのは。
当たり前、道を譲るのも、声に出して言うのも、お互い、当然だったハズ。 道路の上で会う見知らぬ人は“敵”じゃない、礼の“声”も“会釈”も普通なのにな。

全くいつからだろ〜ね。 全くいつから人は偶然居合わせたアカの他人と大した意味もなく“競い合う”ようになった? いつから下らんレベルの“自己主張”するようになった? 競い合いも自己主張も、もっと深い事だから“意味有る”ハズなのに。
いつから人はキチンと声で話さなくなったんだ? メールやネットの影響?
確かに顔が見えないメールやこういうWebじゃサッパリ判らん事も多い。
でもそれだけ?…ホントの所、どうなんだろ?(※個人的にはそれより最近の過剰な体罰禁止?みたいのが影響してる気がしてる…絶対殴られないと思うから他人を最初っからナメてるんだと思うけど)。

震災以降、人間の大切な部分、挨拶だったり気持ちだったり、そ〜ゆ〜部分、ちゃんと思い出した人も居るかも知れないね。
最近そんな感じのアレコレ、普段の街中でも時々目にする。 味わうよ。
でもその一方で相変わらず?思い出したのは“震災直後”だけ? もう既に元のダメダメに“戻っちゃった”人も結構見る。 全然他人の事考えず、広がって歩くOL団体、オバサン団体、そして女子中、高校生軍団…。
女性ばかりなのは気のせい?と思うけど(苦笑)、セコい詐欺しかシノギが無くて、ズル賢い卑怯な喧嘩しかしない、全然日本ぽくない893?も含め、それじゃ絶対カッコ悪くて“男の中の男”じゃなくなってるだろ!(苦笑)って。
そんなこんな、こ〜ゆ〜ご時世だからこそ、死ぬまで“美学”持ってたいと思うのだけどね?

→続く!

2011/6/8 (Wed)  久々更新

続き↓

震災後、千葉、茨城、福島、宮城、岩手…通販とかで話した事有る方、遥々来店してくれた事の有る方、かなり前に会った久々の人や、更に友人まで、実に様々な人達と連絡を取ったのですが、何と言うか皆さんホント凄い。 上手く言えないが全員から凄い生命力みたいなもんを感じたの。
通販TELだけでまだ会った事ないけど、福島いわきのHさん、昔々会った事有るインパクト大の同じく福島の須賀川のWさん、去年の年末に遠路遥々来店してくれた宮城は亘理のSさん、久しぶりに話した茨城ひたちなかのIさん&Sさん、同茨城笠間の友人、千葉の南房総のAさん、他にも東京を心配してくれ連絡くれた大阪のNさん、北海道は旭川の3T、同じく北海道の札幌のAさん、鳥取のHさん(※管理人さんがお世話になりました)、愛知のNさん(※GWは遠路遥々来てくれて有難う)、そして福岡A店のオーナーATさんまで…もう書き切れない数の方々と個々連絡取り合いました(※ATさん、その節はホント色々お気遣いTHANKS!)。

被災地から今回は地震がなかった地域まで、ホント沢山。
そんな中で、偶然?必然?とても不思議な縁も有った。 始まりは今回の震災の直前、前日の3/10の事。 1本の通販問い合わせのTEL。 そのTEL中、今度はキャッチで同じく通販問い合わせTEL(※正確には取り置き希望)。
どちらも計2名共、初めてご連絡頂いた方々。 1人はY.Hさんと言う男性で出張先の宮城は石巻市からのTEL(Y.Hさん、本来は福島いわき市在住→※先出の同いわき市のHさんとは違う人)。 もう1人は岩手県大船渡市のK.Nさんと言う男性。
お互い、特にお知り合いでないお二人、単なる偶然、ただ単にほぼ同時刻にTELを頂いた。 普段なら全く気にならない、そんな偶然。 しかし…それからたった1日で全てが変わる。 震災直後、TVのニュース。『津波…?…石巻?…大船渡?』…唖然と愕然となり、寒気がして鳥肌が立った。 昨日TELくれたお二方の地域、ホンの1日前、ほぼ同時刻に聞いた2つの住所…。 偶然?…何とも言えない、血の気が引くような感覚が全身を襲う。
地震直後は東京も大パニック、店のTEL、携帯も全部不通になり、回復したのは半日〜1日経って。 しかしそれから約10日、お二方との連絡は付かない。 通販で契約してるヤマトに問い合わせても知りたい情報は得られない。
お二人共に初めて連絡頂いたので、まだお顔も知らない訳だが、でもやっぱりどうにも安否が気にかかる。
正直ちょっと諦め出した頃、震災から約10日経った3/21。 再び店のTELが鳴る。 何と、出張で石巻市に滞在中のY.Hさん!?…生きてた!
ご自身もバイクも奇跡的に助かったと。 再度鳥肌が立つ。 しかし今度は血の気が戻る熱い感じ。
そしてY.HさんのTELから数分後、今度は大船渡のK.NさんからTEL!
…津波で単車が水没したり、家も浸水したけど彼は生きてた!(※愛車も流されなかったそう) 再々度鳥肌が立ち、更に血の気が戻る。

5月になりその内の1人、石巻に居たY.HさんがGWに地元福島いわき市に帰省、何と今度は奥さん連れて突然ウチに来店!?(※現在Y.Hさんは再び石巻に単身赴任中)…GWの真っ只中、突然の出来事。
こっちが行くならまだしも、わざわざ来店してくれるなんて!?…正直びっくりだよ。
しかもこのY.Hさん、とにかくとにかくイイ男。
タッパもデカく、プロレスラーみたいな体格、30代なのに厳つい面構え…だけどホントにイイ男!
とにかくホント、まるで清水の次郎長の登場人物?って位、イイ男オーラ全開!
『こんな素晴らしい男、まだまだ居るんだ』って、久々本気でシビレた(奥さん惚れたの判る気がした、マジで)。
何処からか“旅姿三人男”が聴こえて来そうになりました。
そんなY.Hさん、かなりシャイでかなり無口、だけどホント内面の器のデカさ、そしてとにかく血の濃さって言うか、血の温度みたいなのが伝わって来る人(マジで凄くイイ目してんの!)。
体格だけじゃなく、強い男ってやっぱりホント、優しいんだな、柔らかなんだなって改めて感じさせてくれた(Y.Hさん&奥さんTHANKS!)。
そう言えば近々発売のバイブズに、Y.Hさんや先に挙げた福島の須賀川市のWさんの走りの模様が記事になってるそう!
そのWさんなんかも凄く優しく凄くタフ。 他でも先に挙げた人々、こ〜ゆ〜熱くタフで優しい凄い人多い。 旭川の3Tなんかもそう!鳥取のAさんなんかもそう! 冒頭で羅列した人、マジで皆さん殆んどそんな感じ。
でね、そんな人々が例の海賊TEEの愛用者だったりする。 それ考えるとやっぱり例えば海賊TEE以外でも、これからも流行ろうが流行るまいが売れようが売れまいが(苦笑)、グッと来るもん創ってかなきゃなぁ、なんて思う。 だってグッと来る人ばっかなんだから。

…まだ続く?→

2011/6/6 (Mon)  久々更新

続き↓

震災直後、ガソリンが無くなり食料や飲料やその他色々な物が一気に消え、花粉症のティッシュ1箱、消火器1本買うも一苦労だった。 買い占めみたいなあ〜ゆ〜現象は妙に気後れ?する性格にて、あの人達(※買い占めした人達)はきっと被災地に物資を送ってる人なんだと思い、ついに水は1本も買わずに過ごした。 それにいつか必ず“身体に入って来てしまう”と、世間で幾ら言われても最初から水道水のみ。 こんな馬鹿野郎がもう53年も生きさせて貰った訳だし。

あの最初の地震の日、僕は店に居た。 店内の照明が点滅し始め、一瞬駄目かと思った。 その時とっさに自分がしたのは玄関閉めて(※本来地震の時は逆)、天井が落ちて来そうで愛車の上に自分の身体を被せた。 上手く言えないが、その時『命の次にバイクが大切なんじゃなく、俺は命よりバイクが大切』と思った。 多分本気で馬鹿なのかも知れない。 イイ歳して全くもって人様に笑われ?いや怒られそうな事思った。 でもあの時確かにそう思った。 正しいか間違ってるかはあまり興味が無いが、多分僕は本気でそんな人間なんだと思う。

突然話変わり、4月の初め、やっとまともにガソリンが買えた頃。
静まりかえる上野〜浅草界隈を走った。 久しぶりに地元の旧友を訪ね、久々“静かな”台東区を走り、妙に懐かしく、何故かとても落ち着いた。 いつの間にかアチコチ賑やかで小洒落た店だらけになり、いつの間にか沢山異国の住人が増えた我が街。 店が軒並み閉まり、多くの外人が消え、そしたら昔の台東区が在った。 震災すら夢だった気がする位、静かでのんびりした昔の上野〜浅草を思い出し、妙に落ち着いた。 不謹慎だがその時一瞬『あの頃の街に戻るのなら悪くないか』なんて思った。 上手く言えないが、確かに今より昔の方が“人間らしく生きてた”気がした。 『昔は良かった』なんて話、それもこんなご時世にそれを思った事は、自分自身何だかちょっと複雑なんだけど。

再び話変わり、真岡市へ行った時、85歳の叔父が『こんな時に自分のような年寄りはお国の為に何も役に立ってないのがツラい』と泣いた。
海老名のホームの現在痴呆の親父からもつい最近似たような言葉を聞いたのを思い出した。 余談だけど、親父は痴呆で新たな記憶は最大2時間位しか持たないから、既に大地震すら忘れてる(※皮肉なもんで、ある意味それが今回は助かってる)。 そんな痴呆の親父も時々(突然?)普通に話す。 ある日親父が『仕事忙しいか?』と聞くので『少し忙しいよ』と答えた。 すると親父は『そうか、良かったな。俺は毎日何もする事がない。生きてる意味がない』と言った。 全身から血の気が引く位の衝撃を食らった。 うっかりまともに答えた自分を恥じた。 以来親父の前で一切仕事の話はしない事にしてるが、それを再び叔父からも聞いてしまった訳だ。 男として“役目”を見出せないで居る我が親父、そして叔父の切ない心が突き刺さって来た。 これが“老い”なのか…? 正直ショックだった。 自分の使命感が無くなる年齢まで生きると言う事を正しく理解していなかったのかも知れない。 果たして自分は堪えられるだろうか?

震災直後、暫くの間、これから自分はどうしてくべきか考えた事が有る。
プライベート、仕事、両方で。 現在世間は何処もかしこも経営が苦しい。 今度ばかりは人間の努力じゃどうにもならないか?って位、悪化の原因はデカ過ぎる天災、そしてご存知人災。 ウチも例外じゃない。 こ〜ゆ〜状況だからいつもの方針変えてくべきか? こ〜ゆ〜時は堅実に所謂“売れ筋”造るべき? …でもやっぱりそれは出来そうにない。 こ〜ゆ〜時だからこそ、今までの方針曲げるべきじゃないと思った。 だから近々アイデアまとめるつもりの新作海賊TEEもやっぱり従来通り=売れ筋無視、売れなさそうな(苦笑)新たなバリエーションを考案しようと思います。 上手く言えないけれど、それがまだ役目=使命の途中の僕の進む方向と思う。

再々話は変わるが世間では震災以後、結婚する人が増えたらしい。 守る者が欲しい、一緒に暮らす人が欲しいと言う気持ちからかも解らんけど。 だが僕はある意味少し違う心境。 整理しとく事、やり残してる事を改めて考えた。 上手く言えないが、自分なら震災以降の結婚は凄く悩む(※既に離婚してるけど)。 僕はあの地震の直後、自分1人では守れない人間の多さに悩んだ(※先のバイクの話じゃなくて人間の事)。 身内や親しい人間がアチコチの場所に暮らしてて、身の周りにゃ80〜90歳の高齢者が多く、おまけに女性が大半。 ようするに53歳の僕が下手すりゃとても若い部類、しかも男が凄く少ない(※仲間達以外で)。 正直全員は守れない。 無理かも知れない。 全くどうすりゃイイのかね。

…続くのね…→

2011/6/6 (Mon)  久々更新

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しっかし地震、まだ時々有るね(※果たしてこれは余震なの?)。 揺れなくなったなぁと思うと、又再び何処かで揺れる。 先週も各地で何回か来ましたが、東京が故郷の我々も正直恐怖。 多分今、東京の住民に聞いたら殆んど99%近くの人が東京も更にデカいの来るのでは?と不安有ると思う。 ココ上野なんて土地低いし、すぐソコ、たった2〜3分で巨大な隅田川で、実は東京湾からもそんな離れてなく、我々も決して津波の恐怖は無縁じゃない気がする(因みに唯一の高台=上野の山は徒歩だと15分位かかる…)。 上手く言えないけど、以前は自分の故郷ココ東京が何かイマイチ好じゃない時も有ったが、今はそんな故郷、我が街を前より少し好きになったみたい(我ながら勝手なもんだ…)。

そう言や先のアパート話で思い出したけど、市川のアパート、先日見たら建物を囲むようにグルッと一周ひび割れが有り、建物自体が地面と“分離”して、少し地盤沈下してる所も有った。 ど〜りで最近小さい震度のでも妙に揺れると思った…(土台がやられたって事?)。 取り敢えずアパートの場所は例の液状化危険地帯(※最大レベル)なんで少し心配になり、前に大家さんの関係者に聞いてみたけど『ここは全然大丈夫』って…ありゃ嘘かいな(苦笑)。
最初の地震で食らった地獄商会内の壁のひび割れも、度重なる余震(?)で順調に育ってますが(…)。 まぁ店のひび割れはその内エポキシボンドか何かで直そうと思うけど(※エポキシボンド、かなり量使いそう…)。

それより何よりこの地震続きで自分の持病も再発したらしい。
15歳の時に失くした左耳、三半規管の問題なんだけど、あれ以降(=15歳以降)、長年もうこの症状は出なかったのに。
耳片っぽだからヘッドフォンなんて意味ないし(苦笑)、昔ソニーの“ウォークマン”が発表された時だって、ヘッドフォン不要だからモノラルの“イヤホン”使ってた程。 耳が1ヶっつ〜のは“見た目”じゃ絶対解らんから、そう言う点じゃ普通の人と全く同じで、妙な特別扱いされなくて済むし、両方聴こえない人達から比べたら殆んど健常者。 ただ本人達にしか絶対解んない“色々”が有るだけ。
確かに不便な時も有るし、最初バイクに乗った時も、音楽演り始めた時も、初めはそれなりに簡単、容易じゃなかった。 でもそれでもこうして今でも単車に乗り続けられてるし、今でもロック・バンドを演れて、Vo.も担当させて貰えてる。
とおの昔に決別したハズだったんだ、この症状、平行感覚のズレとは。 そして新たな耳鳴り。 普段からずっと、聴こえない方の左耳ん中ではずっと、絶え間なくずっと高周波の耳鳴りが居る。 しかしコレは15歳のあの日から、ずっとずっと今まで僕と決して離れず連れ添って来た音だし、意外とデカい“音”のソレは、もうとっくに慣れっこ。 普段は全く気にならない(耳鳴りがしない方が不安な位)。
それがどうだい、それとは違う“音”がする。 しかも聴こえる方の耳、右耳に聴こえる(※新たなやつは正確には頭の上でする感じ)。 …と同時に再び、15の時以来、実に約40年ぶりにこの平行感覚のズレ、歪み、ようするに意味不明にヨロけたり、何もない所で転んだり。 あの嫌〜な感覚まで約40年ぶりに帰って来やがった。 全くあの時完全“克服”したと思ってたのに。 それもこれも原因は全てあの地震から。 最初の地震、あの3/11以前は全くなかったのに。 簡単に言えばあの日から自分の身体が勝手に地震を予知?してしまう現象に見舞われてる。 しかも結構当たってしまう(別に全く、当たっても全然嬉しくない!)。
あ、でも別に超能力とかじゃないし、何処でいつとか、どんなのが来る?とかまでは解らんから。 それに小さい震度のはそんなに感じないし、例えば自分の所が揺れるなら震度2以上とかで、距離ある場所のだと震度4〜5以上とかだったりする。 大体12〜24時間位前から感じ出すみたいで、前日位に新たな耳鳴り(※震度大きいと音質変わる)&平行感覚のズレが始まる。 正直うざったい。 感じたくなんて全くない。 だが身体が勝手にそうなっちゃったし、ホント全く当たりたくないのに結構当たって嫌になる(確率80%〜95%位)。 でも人に話すと不安煽るし、暫く人に話せなくって結構悩んでた。
“右側”に来る耳鳴りも聴こえる耳だけにマジうるせ〜し、平行感覚の方は不意に突然ヨロけるし。 おかげでこの数ヶ月で2度派手に打撲した。
マジでこんな能力?要らないが中々消えてくれない。 因みに不思議なもんで、唯一ヨロけないのがバイク走行時のみ。 でも信号待ちとか、押したり引いたりとか、“地面”に足をつくと途端に駄目みたいで、ここ数ヶ月で『あっ!』、あわやって一瞬が何回有った事か(※取り敢えずもし信号待ちとかで会っても、決して隣に来ないでね?マジで…)。

…又続く→

2011/6/6 (Mon)  久々更新

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でも実際には政治家達に何も出来ない自分は一体何だ?と思う。 反面、やはり昔の学生運動の陰?な所にも多少疑問が。 因みに学生運動の時代、僕は子供だったので深い部分まで理解してないけどリアルタイムで少し見た。 取り敢えずその親戚が言った一言以来、何か小骨が引っ掛かったような気分。 その少し悶々とした気分になる度、昔実際に起こった小さな?事件を思い出す。 それをここで今書くのは『良い子は真似しないで』の気持ちも有り正直少しためらうのだが…そこは読んでる皆さんが『大人』と信じて少し。 細かい部分は思い出せなくて大変恐縮ですが、確か何処かのマル走OBがCB750FOURで、独り国会議事堂に突っ込んで自殺した話。 それがどんな背景か、はたまた単なるハタ迷惑な話かどうかは判らない(ホント恐縮です…)。 だが当時『単身CB750FOURで国会議事堂に突っ込んで自殺』って部分に妙なモヤモヤを覚えた気がする。 事件の背景&真実そのものよりその行為自体に。 それが後々僕に多少なりとも影響及ぼしたか以前ウチのオリジナルで、富士山が噴火するような天変地異に、HDビッグツインとCB750FOURの“2ヶ1”バイクに乗る男が国会議事堂をブッ壊してるイラストを描いたTシャツを造った。 アレの原画を描いた時、先の事件が頭の片隅に有った。 事件の背景を知らない自分がこんな事を言うのはホント不謹慎なのだが…どうも僕はまるで“CB750FOURの特攻隊”の印象を得てしまったのだと思う(※因みにマル走のそれではなく、本来の特攻隊の事)。 …と、何だか少し気分が変になって来たので、突然ですが話ちょっと変えます(身勝手&無責任ですみません)。
ウチは夜間営業の為、普段は外の照明=外灯がついてますが、現在節電の為、夜も外灯消してます。 初めて地獄商会にご来店の際は外灯消してる分、普段以上に“目立たない”からどうか迷わないように…って感じですが、それより何よりエアコンが節電に有効らしい。 最近は日本もまるで四季がなくなったか?と思う程、冬からいきなり夏、夏から一気に冬んなったりですが、これからいよいよ夏本番。 冬にウチ来た事有る方はご存知と思いますが、僕はエアコンの暖房が大の苦手、よって冬のウチは今時なら四畳半暮らしでももっとマトモな物有るだろう?って言われそうな位小さなストーブ1つ。  だからなのか?ウチに冬来る人は店ん中でも上着脱がない人も多い(ようするにウチは冬寒い店…苦笑)。 でも夏は違う。 夏だけは唯一エアコン使う。 ウチの店は窓がなく、風が抜けない。 なのでエアコン消すと店ん中は異常に暑い。 数年前、エアコン壊れたまま夏を過ごした事有るが、店ん中は軽く40゜c前後になった。 頭に氷巻いて裸同然で店に居た為、びっくりした方も居たらしいが(苦笑)、今年もアレをやらんといかんかなぁ? 節電は昼間メインだから夜営業のウチはあまり意味ないって意見も有るけど、どうなんでしょ? でも現在住んでるアパートなどは今だにエアコンが無い。 “壊れてる”訳じゃなく、元々…ない。 ようするに昔の一般家庭と同じ、扇風機1つで夏を乗り切るが、そんな暮らしがもう6年位続いてる。 おまけにアパートは窓が1つしかなく、しかもその窓は陽も全く当たらない北向き、風も全く来ない方向にある為、どんなに強風の日でも風は抜けない。 取り敢えず冬は外より寒く、夏は外より確実暑いアパート…そんな中でしょっちゅう、夏場でも鉄板焼をする。 こうして毎年夏は湿気と異常な室温と戦いながら暮らしてる為、もしかしたら既に意外と暑さに強い?鍛えられてる?なんて気もするし、確かに熱中症なんて無縁?もしかしてなってても気付かない?のかも知れないが…(苦笑)。
そこで夏場は室温毎日40゜c?のアパートで暮らす我々流、エアコン無しで夏を乗り切る方法を少しご紹介。 先ず夏は家に居る間ずっと氷巻いて裸同然で過ごす(※でも幾ら何でも全裸は…なので“葉っぱ”か何かで…を隠す)。 そしてスーパーで保冷氷を沢山貰って来て、それをバケツか何かに入れて扇風機を当てる(※因みにコレをウチでは『クーラー』と呼ぶ)。 寝る時はその保冷氷をタオルに巻いて、枕にしたり背中に敷いたりして寝る。 それでも『もう我慢出来ない!』って時。 これはもう水風呂しかない。 ぬるま湯じゃなく、完全な水風呂。 どんなに暑くてもそれ入ると意外に『ギャー』って言う位冷たく感じて、頑張って肩まで入ると子供の頃、学校のプールで唇が紫になるまで遊んだ事を思い出す。 とにかく水風呂、これ入ると暫く暑くない。 因みに僕はかなり暑い日、1日数回これに入る。 興味有る方は是非!
※こんなだから夏場は唯一エアコン有る店が救いなんだけど…反面エアコンなんて無い時代に育った自分がいつしかそう言う物に慣らされてしまったのは悔しい。
…まだまだ続く→

2011/6/6 (Mon)  久々更新

→続き。
それとさぁ、又違う事も引っ掛かってた。 知っての通り、今回東北はとんでもなく大変な事に。 だけど支援の話になると、絶対“東北”メイン。
でもさ、もしかしたら忘れてる人も少し居るかも知れないけど、茨城、そして千葉の旭市とかも津波にやられたんだぜ? 壊滅地域有るでしょ? 津波以外にも今僕も住まわせて頂いてる千葉県市川市のお隣、浦安や埼玉県や東京でも江東区とか江戸川区でも被害有った訳でしょ。
千代田区の九段会館、神奈川県でも横浜とかでビル崩れたり、町田市も静岡、長野、書き切れない(他の地域の人、ゴメン!)。 だからホント上手く言えなくて申し訳ないけど、千葉の旭市とか浦安市の事も茨城の事もやっぱりちゃんと被災地として同等に扱わないといけない気がします。 決して被害の大小とかじゃなく、津波以外の被害もやっぱり決して軽くはないんじゃないかって事なんだけど。
さっきも少し書いたけど、僕は“店”として今の所、支援グッズや義援金集めはしないけど、例えばこんな僕でも良いって人やお店いらっしゃったら、例えばイラストの原画とかなら勿論無償で描かせて頂くつもりです。
作業スピードはかなりノロいんで、時間はちょっと“急ぎ”無理かも知んないけど。 でもホント、もしこんな僕で良かったら他店さんや個人さんで支援Tシャツとかステッカーとかグッズか何か造る為の原画とかデザインとか、そ〜ゆ〜類いのが必要な人居たら、どうぞ気軽に言って下さい。 もし自分のような者で良ければ喜んでやらせて頂く所存です。
…でね、もしそんな奇特な方がいらっしゃった場合、唯一条件が有るんです。 それは支援地域に“東北”以外にとにかく同等扱いで千葉や茨城や、ようするに“関東”も入れさせて頂けませんか?って事なんですよ。
我が故郷、ローカル東京。 そのすぐお隣、すぐ近くの千葉や茨城の事を、もっともっとよく考えてかなきゃ我々同じ関東の人間はやっぱり何かいかん気がしてて。 だからと言って実現性の有る大した事は考え付いてないですが(情けないです、ホント)。
でもホント、関東もアチコチ、確かに東北に比べたら被害規模が小さく感じるかも知れないけど、ホント被災して家無くなった地域とか、例え家有ってもホントまともに暮らせないような地域が有って、先の浦安市も実際見てみて絶句した。
だからと言っては何ですが、もしホント自分のような者にもしホントにそんな原画やデザイン依頼来たら、どうか先の関東や千葉や茨城やその他、最近中々世間の目が向かない地域の事を、どうか“同等”に扱わせて下さい。
でもあくまで、もしちゃんと依頼が来たらの話ですし、本当に依頼来るか否か…それは全く自信ないンですが。 でももしそんな事有ったらホント宜しくお願い致します。

話は変わるけど、ガソリンがやっと入手出来た4月に栃木県に行った。 僕は生まれも育ちも上野だけど、お袋の故郷は栃木県の真岡市って所で、僕の従兄弟とか親戚とか知り合いとか、約4世帯位がその真岡市のアチコチに住んでる。
その真岡市は親戚達曰く、あの日3/11は震度6だったらしい。 そんな訳で各親戚んちも屋根とか色々被害有ったけど、他に祖母の墓が被災した。 祖母と同じ墓地に有る叔母の墓は無事だったけど、祖母の小さな墓に隣の巨大な墓が崩れて来たと。 僕がまだ幼い頃他界してしまった祖母。 とにかくどうにも気になり『まだ余震有るから来るな』と言う従兄弟や叔父叔母の意見もゴメンして真岡市へ。
親戚達の家はアチコチひび割れ、壊れた屋根、出荷停止の野菜の数々。 親戚の1人は整備工場営んでるけど風評被害とやらで廃車の処理が出来ないそう。 そんな親戚が言った一言が気になった。 『お前らの世代、ちょっと気骨がないと思うよ』 彼はいわゆる学生運動の世代。 だから彼からすれば我々がこの国の政治に関心薄過ぎと感じたんだと思う。 確かに僕は政治に疎い。 だが暴動起こす事が正しいとも思ってない。 でも確かにとんでもない政治家達に対して、何も投げる手段がない。 勿論だからと言って、国会議事堂に火炎ビン投げるのがイイと思えないし、ダイナマイト巻き付けてく度胸?もない。 せいぜい東電の元社長をタービン建家に閉じ込めたくなったり、時々セント君に見える総理大臣より妙にムカつく妖怪みたいな小沢さんのマブタをアロンアルファで接着したくなったり、何か勘違いしてる?って雰囲気で『そんなだから政権交代になったんだぜ』って言いたくなる自民党の谷垣さんに『リアップ効くよ』って教えたくなったり、大っ嫌いな都知事の息子に『明日の天気は?』って聞きたくなったり、枝野さんに『故郷はムーミン谷ですか?』って質問したくなる程度で、ホント何も出来ない。
…又々続く→

2011/6/6 (Mon)  久々更新

久々の更新です。
なかなか更新しない内に気が付けば約5ヶ月ぶりの更新になってしまいました(番外編を除く)。
何も自粛しとった訳では有りませんが、もし更新を楽しみにしてた方が1人でもいらっしゃったならホントすみませんでした(果たして本当にそんな人が居るのだろうか?…はどうか突っ込まないで下さい)。

3/11の震災、あの直後はすぐには冷静になれず、更新する内容がいまいちまとまらないまま、冷静になって暫く経ってから何か書こうかな…と思っていたのですが、そのままいつの間にか今度はすっかり更新無精になってしまいました(汗)。

原発も被災地への復興も進まないまま、相変わらず余震来たり、今まで地震なかった地域まで揺れたり、台風来たり、おまけに病原菌やら何やら…もうホント何が何だか、地球規模でヤバいって時に、何か政治家達にドンドン更に事態を悪い方に加速されちゃってる現在で。
民社党もそうだけど、自民党も腹立つ。
だけどその話すると、余計イライラするからこの辺でヤメときますが…。

突然ですが、子供の頃、近日の下谷神社の大祭の時(※因みに今年は中止だそう…勿論生まれて初めての中止!)。
御輿の側に祭りに寄付した人々や会社の名前が上から“沢山寄付した”順に表示してある看板(?)が有りました。
自分も含め、皆まだ人の気持ちすら思いやれない小さな子供だったから仕方ないけど…それを眺めながら『誰それの親父は凄ェ〜!』とか『誰々んちはケチくせぇ!』とか“家庭の事情&経済状況”なんて全くお構い無しに皆勝手な事を話してました。
あまりその手の話題が好きでなかった僕はその時、ただ黙って自分の家の事=親父の話題が出ない事を祈ってました。
でもやっぱり誰かが言った。
『お前の親父、会社やってんのにケチ』って。
当時の親父は会社=工場を経営してたけど、多分そんなに景気良くない頃で、下から数えた方が早い位置に居た。
勿論悔しかったけど、それ以上に何だか凄く悲しかった。
イチイチそんなもん張り出すってしきたりが。
まぁ祭りのそれは神社側の“感謝”みたいのが有るのは解るけど、それでもやっぱりあの雰囲気は今でも嫌い。
以来僕はそ〜ゆ〜部分を公表するって言う習慣が割りと苦手。

だからもし、上手く言えないけど、今回のような災害時にもし何か寄付とかしたとしてもそれは一切秘密にしてたいと思ったりする。
特にインターネットで不特定多数の人が目にするような、こうしたある種“公”の場所では何も話したくない。
勿論何か運動みたいな部分を呼び掛けるのは全然構わないし、それは素晴らしい事。
まさにインターネットが役に立つ。

でもそれ以外は嫌。
もし寄付する時も絶対無記名。
先日ある人に『寄付された側は誰から頂いたか知りたいと思う』と言われたが、勿論それもある意味間違いとは思わないし、むしろそれなりに正しいさえ思う。
だけどやっぱり“匿名希望”もアリだと思うし、多分自分はそっち。
もし今後も自分が何かしらの寄付みたいのするとしたら『たまたま拾った』と思って欲しいと思うのは駄目?間違ってる?
多分凄く小さな寄付程度だと思うし。
じゃもし多額の寄付なら?(多分絶対僕の器じゃあり得ないけど…苦笑)
やっぱりそれでも公表は苦手かも(しつこいようだが現実の僕の器じゃ絶対あり得ないけど!…)。

TVのCMで『1つになろう日本』って言うフレーズ聞く度に、そう言うの、多少個人差有っちゃ駄目なんですかね?なんてちょっと思ったりする訳で。
だからか判らんけど、こうした公の場所へ『被災地にお見舞い申し上げます』みたいなフレーズも僕は簡単に書けないでおります。

別にそれ自体が間違い、それ自体が悪いって意味では決してなく、どうもそう言う決まりフレーズ?的なのだと、どうも企業っぽいって言うか、自分の本当にリアルな言葉じゃないって言うか…、何かピンと来ないって言うか。
ホント上手く言えないけど、“店”としても例えば義援金や支援グッズをウチは敢えて作らず、もしそれを買って貰うなら、その分お客さんには何処かへ寄付して貰った方が何か良い気がしてたし、他のお店の支援グッズ買って貰った方が絶対良いと思った訳で。
お客さんの財布は各々1つづつだから、金銭的余裕だってその同じ1つの財布から出てく訳だし。

そんなこんなも有って、この店主日記もいまいち書く気=更新する気が起きなかったンだけど(ホントすみません…)、例えばウチみたく1つの店とか製品造ってる所でも『この商品を買ってくれたら幾ら幾ら寄付します』みたいなのを、公表しないでコッソリってのもアリじゃないのかなぁ?…なんて。
それじゃ駄目?

…毎度お馴染み、続く(→)です。

2011/4/29 (Fri)  店主日記★番外編★

久々の更新ですが今回いきなり番外編。

以下がWebマガジン『STREET RIDE』に僕が書いた本来の原稿です(※何の事か解らない方はお手数ですが当サイトのゲストブックの手前884’からの書き込みをご覧下さい)。

-単車がくれた希望-

はじめまして。
この度は連載コラムを担当させて頂く事になりました地獄商会の林です。
僕は絵を描いたり、何かのアイデア考えたり、ミシンを踏んだり、服や物を造ったり、時にはオートバイ本体を修理したり…と、様々な作業する仕事をしてますが、定期的な間隔で決まった枠の範囲の仕事をするのが大の苦手です。
例え文章でも溜まった時に沢山一気に書く!のが合ってる為、定期的で枠が決まった連載コラムはどうにも少し気が重いですが、何故かご依頼受けてしまったので(?)、とにかく頑張ってみますね。

僕が生まれたのは地獄商会が在る場所=台東区東上野、東京タワー完成間近の1958年2月の事。
単車に目覚めたのは1969年、確か小学生だったと思います。
それまで夢や目標など描いた事ない子供だったけど、とある漫画がきっかけでHDのXLスポーツスターに興味を持ち、同時に2輪車に強く憧れ、一瞬でそれ=バイクが生きる指針となりました。

そして最初に単車に目覚めたあの日から16歳で実際に免許を取るまでの4〜5年間は、今でもはっきり憶えてる位、本当に果てしなく長〜い数年間に感じました。
しかしやっと16になる寸前の15歳、とある事で片側の三半規管が麻痺、と同時に左耳の聴力も失いました。
それがきっかけで転機を向かえ、少し突飛な色々を経験し、それまでの自分とは180度違う人生が始まりました。
でも、あれほど指折り数えて心待ちした16歳の誕生日は結局免許を取りに行ける境遇になく、結果約2ヶ月遅れの昭和49年=1974年4月10日、半ば無理矢理、なるべく密かにスグ取れる原付免許を取り、やっと本当に乗り始める事に。

そして地元上野の幼馴染みの家が中古2輪店だった為、そこにたまたま有ったそれ、中古のDAXホンダST50・SPORT-兇鯀ぶ。
正直DAXは望みの単車とは程遠かったけど、とにかくクラッチ付きなら何でも良く、それと価格、それでDAX、それが初バイク。

当時のDAXには50と70佞2種類有り(※90佞妊曠ぁ璽觀造違うマイティDAXと言うのも有った)、'60年代『♪ダックスホンダ〜ダックスホンダ〜♪』のCMで話題になり、4輪に搭載目的で生産されたハンドルが降りたたみ式の初期型の流れを組む(※車重が重過ぎて実際4輪に積むのはかなり無理が有ったけど…)、遠心クラッチ=ノークラで3速ギヤのモデルが幾つかバージョン有ったのと、更に4速ロータリーギヤでマニュアルクラッチ、ノークラ・バージョンと違い折りたためない固定式ハンドル等々を備えたSPORTシリーズと言うDAX最上級バージョンのSPORT-機SPORT-兇有った。
そのSPORTシリーズ、気鉢兇梁腓な違いは4スト水平カブ系エンジンの真下を通るダウンチューブ風のメッキのサブフレーム(…と言うより“後付け”パイプステー)の有無、Fフォーク周り、スピードメーターがヘッドライトに内臓か別体かの違い等々。

当時はまだ今のような過去のモデルに興味持つ人は皆無に近く、とにかく新しく、とにかくニューモード、新型こそ憧れ。
特に僕の育った環境では新しい物は全部憧れ、だから少しでもより上のグレードを求めてた。
まだ世の中ここまで発展してなくて、金銭感覚含めて今とは全く違う事情や価値観だらけ、まだそんな時代。

そんな僕の初の愛車、中古の50DAX。
色はガンメタ風の純正色で、メーカー正式の色名称はゼロ・ブラック(今だにシビレる響き!)。
先ずは軽く絞り入れたハンドル(※この軽く…が当時はダントツ洒落てて、そんな感覚を僕らは『シブい』と表現した)、そして旭の77で武装(?)。
でも納車日にいきなりウィリー試みて初ゴケ…。
しかし全く懲りず(苦笑)、そのままアクセルターンの練習を。
そして翌日は朝からずっと雨、しかもドシャ降りだったにも関わらず、単車に乗れたのがもう嬉しくて嬉しくて。
誰かに見せたくて、近所の友達の家々を片っ端から回り、上野と浅草だけでメーター100キロ増えた。
2.5箸靴入らない燃料タンクは当時我々下町のくそガキ達の中では唯一気軽に満タンに出来たけど、排気量のデカい単車に比べてどうにも色々チープな装備だったし、非力だから走る時は常に全開だった。
しかし、それでもついにやっと、現実に単車に乗れた喜びは狂ったみたく嬉しかった事をよ〜く憶えてます。

…以上。

※諸事情により今回の店主日記は番外編でした。
通常のは近々書く予定ですので悪しからず!

2011/1/11(火)  新年初更新。

昨年は2匹の愛猫に相次いで先立たれた為、新年のご挨拶を控えさせて頂いてました。

なので年頭のご挨拶がすっかり遅くなりましたが、何卒悪しからずお許し下さい。

そんな訳で年賀状頂いた皆様、何のお知らせもお返事もしないままで大変申し訳ございませんでした。

改めてここにご無礼お詫びさせて頂きます。

実は先日1月8日、昨年10月末に逝った兄猫:美智之介より先に逝ってしまった弟猫:風空太郎の一周忌でした。

あれからもう1年…。
ホントあっと言う間の1年でしたが。

その節はご心配&励まし頂いた皆様、本当に有難う御座いました。
心より感謝致します。

只今なかなかゆっくり更新してる時間がないので、新年1発目の店主日記は異例に短いですが(苦笑)、今回はこの辺で…。

今度時間有る時に又たっぷり(?)更新致しますので、これ又悪しからずご勘弁下さい。

とにもかくにも!本年も宜しくお願い申し上げます。

尚、本日1/11(火)は出張の為、お休みさせて頂きたいと思います。
なのでそちらも宜しくです!
従ってご来店&お問い合わせ、その他は明日12日(水)以降にお願い致します。

PS:カドヤさんからやっとこ発売された炎娘69・ROCK ON THE ROLLのTシャツ×3種類もどうぞ宜しく!

2010/12/26 (Sun)  続・更新テトリスぁ張薀好

続き↓

と言う訳で、2009年はとても短いスパンで計14種類の海賊TEEを造りました。
取り敢えず当初の目的『代替え供給』の目的を果たし、一応の需要と供給をクリアしたと。

只今製作中のを含めたら通算58種類にも登る、ある意味“異常な種類”が存在する海賊TEE。
なので過去モデル愛用者の全ての再販リクエストまで含めたら、それに全て応えた訳じゃないのは判ってますが…。

余談ですが、バイブズ誌'09年10月号の『バイカーMONO語り』での“歴代オールモデル年表”に使った海賊TEEの内、TYPE-(8)以前のモデルは一切在庫はないので宜しくです(過去のがまだ有ると誤解した?問い合わせを複数頂きました)。
あの撮影に使った物は、TYPE-(9)〜将(11)以外、全て色々な方々の個人所有です(※因みに'09年モデルの在庫は問い合わせ下さい)。

先にも少し書きましたが、私も所有してない物も多々有り、半年かがりで複数の様々なオーナーさん達から各々大切にしてる“私物”をお借りしてやっと撮影が実現したと言う、もしかしたらもう2度と出来ないかも知れない?結構大変な撮影でした。
かなり膨大な数と種類で、“年式別”に並べるのが現実問題として、どうにも私以外の人間には不可能で、撮影も約8時間におよびました(※その為、インタビューは正味15分程度だったと思います)。

因みにもしそのバイブズを所有してない方で、過去の海賊TEEに興味有る方はバックナンバー入手が可能と思います。
尚、バックナンバーは在庫有れば編集部から直に買うのが1番確実と思いますので是非問い合わせて下さい(2009年10月号です)。

それから全モデルを自分で所有してない為、あそこまで写真入りは無理、多分文章メインになると思うけど、その内当Webでも過去モデルの詳細を年表みたいにしときたいと思いますが(※取り敢えずそれはその内…)。

話戻ります。

そんな訳で去年、一応の需要と供給をある程度満たしたつもりだったし、全国&史上初、ご存知福岡のアタカヤさんが正規取り扱いして頂く事にもなったので、今年は取り敢えず“海賊TEE以外の仕事”に集中しようとしてました。
去年海賊TEE製造に追われ、遅れ遅れになってた他の作業に集中しよう、と。

上記アタカヤさんのTシャツの原画や、諸々のオーダー製作、バイク本体のリペアも預かってるし、ついこないだはやはりご存知カドヤさんのTシャツの同じく原画など…とにかく海賊TEE以外の仕事が色々がたまってたので。

そんなこんなの内に宮崎VM&THE海TEE・JAM参加。
マジで『海賊TEEの集い』なるものが催される事になるなんて全く考えた事もなかったけど(※某誌で『地獄商会の海賊TEEミーティングをやる』との文章読んだ時、本当にただただ唖然、何が何だかサッパリ判らんかった…)。

そしていつの間にか再び海賊TEEの在庫が又欠品だらけ。
気付けば又々問い合わせに『すみません、その色売り切れ…そのサイズ売り切れ』を繰り返す日々。

滅多にやらない出店。
海賊TEEも久しぶりならミーティング参加も本当久しぶり。
そんな宮崎VMでの出店でも、ど〜見ても全くサイズが合わない海賊TEEを買ってくお客さん。
『変だよ〜ヤメなよ〜』幾ら言っても無駄。
あ〜無理矢理…。

何かそれ違うぞ?って気持ちが偽らざる本音。
宮崎から帰った後も。
だからつい又『ただ縞シャツ欲しいなら何処か違う所行きなよ〜』と言ってしまう日々…(やっぱ○○失格?)。

そんなこんなで今回の新作製造。
取り敢えずポピュラーな配色が一切ないのに、予約の数は何故か'09年の4月より、9月の時より更に増えて、先週の日曜の予約開始のTELの数も結局過去最高。

巷に縞シャツが溢れてるせいなのか?それとも雑誌の影響か??
それとも又別の理由かどうか…正直言うと私にも何が何だかサッパリ判らない。

だけど何かが確実に変化してる。
期待も有るが同時に不安も沢山。

今回のようにポピュラーな配色を一切出さず、ある意味『海賊TEE・NEOシリーズ』的な、馴染みない配色のみを製造する事。
新しいチャレンジを色々やり続ける事に生き甲斐感じる私としては、今回のような反響に対し、そんな試みに賛同して頂けたのか?それともやはりただ単にブームか?と、一抹の不安を抱きながら出来れば判って頂いてると信じたい限り…。

海賊TEEは果たして本当に必要な所へ、正しい所へ正しく行き渡っているのかどうか?
やはり単に『今は縞シャツだ〜』と思ってる人は、何か違う某かにしたらどうか…?

勿論、例え初めての方だとしても『どうしても海賊TEEが欲しい』と思って頂ける方は是非1度宜しく!

(END)

2010/12/26 (Sun)  続・更新テトリス

続き↓

去年'09年バージョンを出した時の話。
海賊TEEとしては約6年ぶり、長袖バージョンとして約7年ぶりに製造した訳ですが、その時の予約開始日は実に衝撃的でした。
確かに海賊TEE製造を暫く休んでた約6〜7年の間、再販を望むリクエストはずっと続いてました。
…ですがそれでもあの日は本当にビックリしました。

現在は既に世の中に“リブ付き縞シャツ”は沢山有り、その分野=ジャンルとしてなら、海賊TEEは決してもう珍しい唯一の存在じゃないと思います。
そしてそれは先の『6〜7年海賊TEEを造らなかった理由』の大まかな2つ以外の、もう1つの理由でした。
率直に言えば業界全体に“ネタ不足”の気配がして、我も我もとソコに群がってるようにさえ感じられ、それが同業者“物創りの人間”として、妙にシラケて見えてしまってたのでした。

なので約6&7年ぶりに海賊TEEを再製造したのは、あくまで先の熱望リクエスト=毎月のようにかかって来る『海賊ま〜だ〜?』の問い合わせTEL、わざわざリクエストする為に来店する人、ハタ又クタビれた海賊TEEの写真をメールして来るような、そんな人達の為に『何とかしないとマズい』と言う、ある種の強迫観念?みたいなもんからでした。

決して諦めてはくれない(苦笑)しぶとい熱望リクエスト、そして昔からの愛用者さんに対してオフィシャルとしての責任上の『代替え部品&交換部品の供給』的な、“おかわり”みたいな感覚で再製造を決めました。
なので'09年4月発表の海賊TEEは“TYPE-機匹虜童修里茲Δ福TYPE-=初期型そっくりな色合い具合でTYPE-気汎韻犬2種類用意したり、TYPE-靴旅×ライトチャコールを“縞幅”変えただけで再販したり、同じくTYPE-靴能个靴森×レッドの縞幅と“赤”を微妙に変えた黒×スカーレットを出して、完全な新仕様や新色は黒×青系と初登場プチタートルのチノ5型にとどめました。

しかしそれでも予約開始日時にTELが殺到するなんて、全く想像すらしてませんでした。
普段は凄くゆったりした雰囲気、割りと静かな我が店のTEL。
それが一変した一瞬でした。

予約開始時間にラジオの時報。
…と、同時、ピッタリ寸分の狂いもなくTELが鳴りました。
正直かなり焦って、思わず『ビクッ』としてしまった記憶が有ります(苦笑)。

そしてそのTELを取った途端、殆んどまだ何も話してない内に間髪入れず、怒涛の如くキャッチ(ホン)の嵐、嵐、嵐…。
普段と違う、全く慣れない事態に一体何が起こったのか暫く理解が出来ず、TELラッシュにオタオタ…。
まるで外タレのコンサート・チケット予約のセンターとオペレーターみたいになった私と我が店のTEL。
程なくしてどうやらTELは悲鳴を上げたらしく、何と!?初の回線パンクを経験…。
正直ちょっと怖かったです(女の子なら鳴いちゃいそうな位…)。
取り敢えず予約ラッシュを一通り終えても、まだ自分の置かれてる立場、身の回りにおこってる事態がイマイチ理解出来ず、暫し呆然としてました。
それなりに過去から良い評判を頂いてた海賊TEEですが、それは全く異次元のレベル、未知なる体験でした。

実はこの2009年4月、海賊TEE久しぶりの再製造の時、次回作として“第2弾”も既に予定してました。
それはこの第1弾の配色内では『まだカバーしてない過去の配色』に近い、ようするに上記『代替え供給』のまだリクエストに応えてない色が少し有ったので、それを第2弾として予定してました。
しかしそれはこの'09年4月の“海賊TEE復活第1弾”から約半年以上先の'09年冬位を予定してたのですが、それはこの予約開始日の“ラジオの時報”と共に木端微塵にフッ飛び、又この時の復活バージョンTYPE-照売直後の'09年4月末〜5月初旬、GW明けには完全に予定変更余儀なくされる事となりました。

主要サイズが発売日からたった1〜2週間で欠品になり、これじゃやっと久しぶりに海賊TEE出したのに、再び『売り切れました、すみません』を繰り返す日々に逆戻り…。
焦りました。
そんな訳で'09年(去年)の年末に予定してた復活バージョン第2弾は大幅に予定を前倒しして、急遽去年の9月に発売しました(※バイブズ誌で特集組まれた時)。

その時の完全再販はTYPE-供靴旅×オレンジ、TYPE-兇旅×黄カバーで『黄色』部分を変えたバージョン、他はTYPE-困罵った配色を微妙に色変えたバージョンを2種類、そしてTYPE-供靴任離船裡院2型に配色を近付けたチノ6型を出し、残りはいつものように新色にして計8種類出しました。

因みにこの時の予約開始日も“時報”ピッタリにTELラッシュ。
取り敢えず回線パンクは防げましたが、やっぱりキャッチホンはフル活動でした。

→い愨海→

2010/12/26 (Sun)  続・更新テトリス

続き↓

先週12/19(日)の海賊TEEの新作予約開始日のTELの数。
正直慌てました(繋がり難くてヒヤヒヤした方々、本当にすみませんでした…)。
海賊TEEは去年2009年の4月と9月、2度に渡って計14種類も製造しました。
その時も予約TEL受付開始時間、時報と共に本当にハンパない数のTELがかかって来てしまい、パニックになりました。

しかし去年'09年のそれは、それ以前の約6年間海賊TEEを出さなかった為におこった一時的な現象と思ってました。
実際長い間、海賊TEEの製作を休んでましたし、だからそれにシビレを切らした方々が一気に殺到したので異常事態になったのだと解釈してました。

'02年、長袖バージョンのTYPE-(6)を出してから7年ぶり。
'03年に7分袖のTYPE-(7)、3色半袖のTYPE-(8)、袖ナシのTYPE-(9)と長袖以外の海賊TEEの別バリエーションを同時に発表してから6年ぶり。

海賊TEEを出さなかった約6(7)年間。
『海賊TEEまだ〜?まだ〜?』と問い合わせが途絶えず、それと葛藤する日々でした。
この6&7年間、これを言われなかった“月”は有りません。
6&7年で単純計算、トータル72ヶ月〜84ヶ月。
…その間、自分でもホントよく耐えました(涙)。

因みに長い間出さなかった理由は先に話した海賊TEE、海賊TEE言われる事に対してアーティスト(もどき)としての自分自身のジレンマ。
そしてとにかく製作費用がかかるのでその問題。
大まかに言うとこの2つ。

特に費用に関しては、散々話したように今まで世に馴染みが無い事ばかりチャレンジして来たツケ。
それらの開発?資金に投じた費用は借金が殆んど。
誰か別にスポンサーや援助してくれる人も居ないし、他に何かで荒稼ぎ出来る才能も無いし…で。
その6〜7年の間に何とかそれまでの借金を全て返し終わり、やっと色々スッキリ『もう当分借金嫌だ〜』となってました。
そんな訳で『早く新しい海賊TEE造れ〜』の声に意地でも負けまいと?毎日戦い続けてました。

しかしお客さん達も一筋縄ではいきません(苦笑)。
その内、10年〜15年以上着続けたクタビレ海賊TEEの現物やら証拠写真やらを送りつけてくる人まで出てきました(ホント皆さん色々考えますね…)。
さすがに頑丈な海賊TEEも10〜15年の酷使でアチコチ綻びも目立つようになった姿を見せられて…。

先ず1番の感想は、『こんなに沢山の人がまだ着てくれてたんだ?』でした。
正直そこまで多くの皆さんに飽きずに愛用して貰えるとは思いませんでした。
“消費文化”と言われ、流行り廃りを繰り返す飽きっぽい世の中です。
なのでそれは滅茶苦茶嬉しい誤算、感激で衝撃の事実でした。

皆さん必死にヤフオクなんかも探したそうです。
そしてそれでも滅多に海賊TEEは出なかったようで、ある意味“っぽい”検索ワードは大体“違う某か”だったようです。
もう涙が出そうでした。

それでやっとその気になりました。
『ここで応えにゃ男じゃない』。
マジでそう思いました。

そっからはある意味一気。
いきなり馴染みない銀行に飛び込みで『金貸して』と言い、1つ駄目なら即次!と、それを毎日繰り返しました(実話です)。
大体の銀行にはただただ『唖然』とされましたが…。
全くのコネも付き合いも無い銀行にいきなりコレを繰り返してたので、まるで新手の銀行強盗?と思われてたのか、結構時間と労力要しました(苦笑)。

余談ですが、どの銀行さんもコチラの素性が判らんから書類だけではイマイチ信用しない。
必ず『何故ウチの銀行選んだの?』と聞く。
そして『金の使い道』も疑ってる。
だけどこちらはその銀行を選んだ理由が『近かったから』『何となく(漠然と)』『取り敢えず来てみた』などのどれか…。
借金理由→『シャツ造る』。
…ただそれだけ。
ホント馬鹿の1つ覚えみたいにこれを繰り返しました(※アホだけど事実…)。

取り敢えず毎日こんな頭悪い会話繰り返して、最初はかなり怪しまれたようですが(…?)、根負けしたのか?半年位かかった辺りで段々アッチ(銀行さん)とも仲良くなり?無事資金調達完了。
因みに何故だか支店長さんや重役さんとも沢山会う羽目になりました(脂汗)。
おかげでウチはアチコチの銀行で話題になった模様、暫くの間ウチはまるで“有名店”の仲間入りしたようでした…(苦笑)。

そんな訳で2009年に本当に久しぶり、長袖バージョンの海賊TEEを製造した訳です。
でもそれは6〜7年もの間、一切諦めずずっと待望リクエストを続けてた本当に多くの“異常にしぶとい”皆さんの熱意に負けた?結果と思います。

→へ続く→

2010/12/26 (Sun)  続・更新テトリス

若い頃はただ単純にX'masが楽しかったような気がしますが、今は毎年X'masを過ぎたらもう新年かと焦りの方が大きくなります。
年末たっぷり走り回れた頃が何だか少し懐かしいですね…。
そんな訳で多分今年ラストの連発日記だと思いますが、再び海賊TEEの話題を連続更新します。

さて只今製造中の新作海賊TEE…
お知らせページに有るように生地が仕上がりました(※写真が下手で実際の色合いを完璧に伝える事は不可能のようですが…)。

仕上がった生地を見て…
ちょっと自分で鳥肌立ちそうでした。
率直な感想として、先ずとにかく美しい。
今回ちょっと、真剣に秀作揃いになったかも…。

いつもは自分の為と言うより、お客さん達の為の製品としての部分、製作者側の感覚としての“美しさ”に重点を置いて配色バランスを気にして来たのですが、今回は正直“自分で絶対欲しい&着たい”と素直に思いました(※自分で過去モデル全てを所有してる訳じゃないけど、取り敢えず今回は全色欲しい)。

過去造った52バリエーションの内、'00年1月発売のパンジーパープル×マグノリア(TYPE-)、そして'02年7月発売のアメリカンチェリー×マグノリア(TYPE-)のこの2配色、実は私の中での歴代2トップ、個人的に大のお気に入りでした。
しかし今回はこの歴代2トップすらもしかしたらNo.3以下に下がる可能性も?と言う位、見た瞬間“衝撃”を食らいました。
それ位今回の6種類、どれも最高です。

中でも個人的“新2(3?)トップ”になってしまいそうな位、凄く気に入ってしまった配色も幾つか有るのですが、それについてはここではちょっと書きたくないので、もしどうしても気になる方はTELor来店時にでも直接質問して下さい。

上手く言えませんが、今回の6種類、過去15年間海賊TEEを造って来て、今回の53〜58作目にしてやっと何か少し成熟?させる事が出来たような、やっと自分も少し大人になったような(苦笑)、そんな気がしています。

先の 銑粥椨]辰力続日記で話したように、海賊TEE=不良BIKERのイメージ、又は'60〜'70年代のBIKER風…としか認識して貰えなかった部分を、今回は完璧にスッ飛ばせたかも知れない!?…と、思える程に今回の生地は全色滅茶苦茶シビレる配色に仕上がった気がしてます。
とにかくつい自分でブッ飛んでしまった位に興奮しました(苦笑)。

チノレプリカ#7の最終型に至っては、もしかしたら過去#1〜6型の中で最も'50sな色使いで?最も良い雰囲気かも知れないと思いましたし、何より歴代チノレプリカの中でとにかくダントツ渋い。
とっても粋でアダルトな雰囲気、まさにチノ最終型に相応しい感じがしてます。

その他のも含め、今回の6種類はどれも雰囲気最高、あまり好きな表現ではないけれど、凄く“お洒落”な雰囲気に仕上がった印象が有ります。
何だか自画自賛してるようで、ちょっと馬鹿みたいだから(汗)この辺にしときますが、とにかく只今凄くドキドキしてます。

因みにファイナルするのはあくまでチノ・レプリカ・シリーズの事で、海賊TEE自体の製造はまだまだ当分続けるつもりです。
と、同時にポピュラーな雰囲気の海賊TEEは造るのを暫く控えたい気分なので、そう言う意味で海賊TEEの誕生のきっかけ、元々の原点の1つ“映画『乱暴者』のチノ”のイメージから離脱する必要性を感じただけで。
だから海賊TEEの製作自体をヤメたいという訳ではないのでそれは誤解なきよう&ご安心を。

実はそんな部分をつい先日次号バイブズ誌(※新年1月発売号)の巻頭付近の『バイカーフェイス』と言うモノクロ1ページに取材されました(興味有る方は来月号をどうぞ読んで下さい)。
因みに取材は例によって前日深夜に突然のオファー→翌日取材本番、しかも同誌〆切前日と言う、相変わらず突貫スケジュールでしたが…(苦笑)。

そんな訳で、今回の新作は自分でも久々の興奮を隠せないのですが、15年前の海賊TEE誕生時のような、この手の縞シャツがまだ一般的じゃなかった頃の、ある意味あの頃の“判る人にしか判らん”マニアックな物に再度なるのかな?と言う位かなり良い雰囲気の生地になったと思ってます。

何せ全てはこの生地、そして配色具合“色合い次第”なので。
例え似たような配色でもその色と色の濃淡バランスがイマイチだと、急にガキっぽくなると言うか、ダサくなると言うか、安っぽくなる。
だからこの色合い具合の調律を始め、縞の幅、及び縞の位置バランスは毎回非常にシビアな問題なのです。
なのでその辺りを気にしない人にはハッキリ言うとあまり売りたくない部分かも…。
そんな訳で時々『なら何処かよそで探して…』と言ってしまうのですね…。

→△愨海→

2010/12/19 (Sun)  瓦鉢々洪桂眇澄

続き↓

相変わらず携帯メール→パソコン→コピペで日記UPを繰り返し…いつまで続くのかと自分でも心配でしたが、そろそろラストの章。

あ、今ホッとしたでしょ?
フフフ…じゃまだ続けよ〜かな〜?

さていよいよ今夜は新作海賊の予約開始ですが…(取り敢えず今回はTEL回線パンクしないで欲しい)。

所で海賊TEE、今回の新作…
当Webのお知らせページに有るように、海賊TEEも今までのイメージから少し脱する時期と思いました。
先で散々話した通り、バイク乗り、ことハーレー乗りの中では縞シャツ=BIKER的アイテムと言う図式が定着してしまう兆しとか。
過去『縞はROCK』と言われ、それを払拭したいと思った。
そしたら今度はそれが『BIKER』に変わっただけ…。
もしその原因に、少しでもウチが海賊TEEを造り続けた事が関わってるのなら…その責任は有ると思います。

我々人間の世界は、例え何をどうやっても、常に何かが流行り何かが廃るを繰り返すもんかも知れません。
凝って飽きるを繰り返す。
善くも悪くも人間だから、なんでしょうか。
そしてそれは我々バイク乗りの世界もきっと同じかも知れません。
少し悲しいけれど…。

しかし物創りの仕事に就く以上、何とか飽きない物、飽きられない物を創りたいと。
だが例えば海賊TEEを活用している皆さんは、例の『乱暴者』や、その他諸々BIKER映画のイメージなど、もう殆んど関係ない所に位置してる気がするんです。
それを宮崎VMに参加したおかげで判った気がします。
もう誰も海外のシーンやオールドアメリカンのイメージなんて追ってなく、すっかり消化してしまった印象を受けました。
追う所か日本の皆さんの方が何処か世界をリードしている気さえ感じました。

現代は若者のバイク離れ、車離れの時代とか。
何だか一見寂しいニュースですが、逆に考えると高齢化した分、ひょっとしたらそれだけベテランが増えたんじゃないか?と思います。
日本の皆さんはもうとっくに自立してるんだ、と思いました。
だとしたら今はもっと違う印象で着れる海賊TEEを考えても良い時期か?…と思った訳です。

確かに海賊TEEは縞模様。
だけど1つのスポーツウェア。
ある意味その原点に帰って、横縞シャツを不良っぽいイメージと捉える人々があまり好まないような雰囲気や配色で新作を構成してみようと思いました。

勿論とても不安です。
だけど宮崎でも東京でも私が感じた手応え…
皆さんとっくに自分で見抜く目を持っていると感じた手応え。

もしそれが事実なら今更イメージ不要、お手本不要。
なら今なら既存のイメージ、某かの古臭い『映画』なんかのイメージなんて感じない、もっと本気で洒落っけある配色がイイ。
『合わせ安い』なんて絶対言えない、逆に自由な発想要するような『気合い入れたら上手く着こなせないよ』って言う、難しい配色で。

上級者用(笑)?
勿論感性さえ有れば例え初心者だって着こなせますが。
そんな配色。

オールドBIKERのイメージ…そんな事に縛られないで我々物の創り手は何か違うアタック思い付かなきゃならない。
腐ってもプロか。

'98年、海賊TEE・TYPE-垢濃遒澆織▲織奪と多少近いかも知れませんが。
しかしあの時とは又少し違う気分です。
'98年=40歳の時の私と、今'10(〜'11)年、52から53歳になる直前の私。
過去の自分と今の自分のある意味勝負みたいなもんかも知れませんが。

だから『乱暴者』とは今回いったんお別れ。
それの記念で今回のがファイナル(※でも6、7年普通に着れますので当分無くても大丈夫)。
いつか又、世間が1つのイメージから解放され頃…それを忘れた頃に又オーソドックスな雰囲気のを再度造れば良いかな?…と。

気にならない人から見たら、確かに黒は単なる『黒』、白は単なる『白』。
実際奥まで入った事がないまんま、入り口付近で理解すれば、そう。
…でも、だったらやっぱりコレは要らんでしょう?

似たもんと同じもんの微妙な違いって何?
遠くで見てたらそうなのかな。
近く行ってもホントに似てる?

でも例え似たようなもんでも多量に有ればいつか飽きる、やがてシラケる。
だから明らかに違えてしまえば入り口さえも近付かない?
…さすがにそこまで面倒見切れない!

今はシマが注目?
了解、だったらそれだけはしっかり敢えて“意識”してみようかと。

売れ筋造れば即売れる?
だけどやっぱりそりゃ出来ない。
今更変えられないのよ、性格だから。

仕方ないのよ、性格だから!

不人気店営む、半人前アーティストの意地。
新作海賊TEE、不人気バージョン発進!

…(完)…?

2010/12/19 (Sun)  換洪袈犬ぁ

続き↓

話は戻りますが、今では15年前とは違い、横縞シャツ&黒Gパン…どちらも単車乗り、ハーレー乗り、チョッパー乗りの“定番”と呼ばれるようになりました。
もう昔のようにそれらをヘビメタがどうのROCKがどうの言う人も滅多に居ません。
しかし今度は“BIKERの定番”なんですかね?

先ず私はどうもこの『BIKER』なる言葉が苦手で、似たように苦手な言葉に『1%』や先の『不良』などが有る為、普段それらの表現を極力避けてるのですが…(その話はいつか又の機会に)。

本題に戻ります。
取り敢えず縞シャツもブラックGパンも今はBIKERの定番…。
え?…です。
何で、頭にイチイチ『○○の』が付くの?…です。

'96年にブーツカットの黒Gパンをヘビメタ用、ちょっと細身の黒Gパンをパンクス、そして縞シャツをROCKのシャツと認識する変な勘違いが嫌で、もっと自由に捉えて欲しいと願った。
あれから随分時が経ち、もういい加減大丈夫かな?と思ったら今度は『BIKERの定番』か…。

確かにウチは世間的には“BIKER”と認識される方々の為の物を多く造って来たし、多分その方向の店の1つ(※あくまで日本の感覚でのBIKERの事)。
そのウチが黒Gパンや縞シャツを多く扱った事はもしかしたら現在の『縞シャツ&黒Gパン=BIKERの定番』、この図式を新たに作ってしまった原因、又新たに世間に誤解させる要因を作ってしまったのだろうか?

もしそうだとしたら責任上何とかしなきゃいけないとさえ思う…。
“物”は創りたいし、素晴らしい製品も造りたい。
『作品』と呼んで頂ける位、何か歴史に“残る”ものもいつか作りたい。
しかし余計なイメージ、誤解は出来るだけツクリたくない。

確かに製品にバイクに乗るのに適した機能を授ける事は有る。
だがそれはあくまで『隠し味』だったり『副産物』。

昔々1970年代に、地元上野のバイク街の用品コーナーで売ってた『ライダー用品』。
バイク部品メーカーが出してる皮革製品だったり靴だったりヘルメットだったり。
私はその多くが大嫌いだった。
そもそも『ライダー用』っつ〜のがどうにも嫌だった。
イマイチなデザインもさることながら、私には不要な機能が満載のそれら。

どうにもセンス悪い邪魔な部品が沢山付いたノーマルの単車がイマイチ好きになれず、どのバイクも自分の所有車になった途端、常に“儀式”のように先ずメーカー名で有るタンクマークを取り去った。
改造してたのも大体がとにかくノーマル車では気に入ったのがただの1つも無かったからだ。

その私がライダー専用用品を好きになる訳がない。
それはドダイ無理…。

だからウチの製品に過剰な機能はない。
単車乗りとして機能性のみを追求してる訳じゃナイ。

ただ感覚的に何が必要で何が要らんかの見極めしてるだけ、それをあくまで『最低限』入れて製品を造ってる。
ただ本当に最低限=最小限しかそれは入れない。
何故なら“足りない部分”は各々の皆さん=それを使うお客さん達各自が、自分で考えて、自分で更に必要な物を“買い足して”欲しいから。
そしてその買い足す物は、出来ればウチじゃなく、他の様々なお店で買って欲しい(※勿論お客さん達が自作するのも良いと思う)。

だからウチには頭の上から足の先まで、バイク乗りに必要なグッズ全般は扱いがなく、『ある一定の部分』のみの“特定”の部分のみが製品として有るのです。

ようするにお客さん達にウチ1軒で全てのグッズを揃えて欲しくないからなんですよ。
だってそんなの絶対格好悪い。
頭の先から足の先まで1つのブランドなんて、全身GUCCIやHERMESでキメた成金オバちゃんみたいだし。

お客さんを格好良くするのがウチの役目。
その為にはウチに無い物を是非とも他店に行って探して欲しい。
だから昔っからこの方針は曲げない。

そしてそんなウチは、ライダー用品、ライダーウェアが大の苦手な私が営っている。
だからウチの製品は、あくまで必要な人達の“ツボ”のみが隠し味になってる品々のみ。
バイク乗りに適した機能は決して満載していない。

そんな私のやって来た事が、例えば縞シャツや黒Gパンを、もし又々世間に違うイメージを持たせる手伝いを、少しでもしてしまったとしたら非常に責任を感じる。
だから敢えて言わせて頂ければ、縞シャツも黒Gパンも決して『BIKERの定番』…ではない。
全くない!

ただあくまで“BIKER”と呼ばれる人達に『妙に似合う』と言う程度。
因みに『BIKER』と『RIDER』はあくまで違う、と言うニュアンスで捉えて欲しいと思います。
そしてあくまでそれは『日本人の感覚』としての話。

→瓦鉢,泙蚤海。

2010/12/19 (Sun)  海發靴してもう年末?

続き↓

例えば先の黒×赤、又は黒×白、そして黒×グレー系の海賊TEE。
これらは所謂『売れ筋』と言われる配色かも知れません。
先の『不良』イメージを持つ人も居るんでしょうし、それ以外にも判り安く、又合わせ安い配色なんでしょう。
私はこれらの配色をあまり合わせ安い、とは思わないですが…
自分とは少し感覚が違う部分も有るけど、取り敢えず取っつき安い配色だと仮定して…

この中で黒×赤系と黒×グレー系は常に人気有りますが、過去『黒×白系』はそんなに人気有りませんでした。
黒×白系が人気出たのは最近です(取り敢えず海賊TEEに限った話として)。
因みに過去海賊TEEで造ったこれらの配色は黒×赤系が3種類、黒×グレー系が3種類、黒×白系が同じく3種類です。
そして各々3種類の赤、2種類の黒、3種類のグレー、3種類の白を使いました。

例えば黒×赤系。
1作目の黒×赤を、次の機会は例えば『赤』を直して微妙に変え、2作目を。
次は又『赤』を変えて3作目。
例えば黒×白系。
1作目の黒×白の、『黒』を変えて2作目の黒×白に。
2作目の今度は『白』を変えて3作目の黒×白を。

ようするに変える部分に『決まり』はなく、時と場合に応じて黒変えたり、赤or白を変える。
そしてそれは何も悪戯に変えてる訳じゃない。
全ては常に前作を越えたいからなんです。

『前作』造った時点じゃそれなりに精一杯やってますが、又次の機会になると、どうも前作の何かが違って見える。
ようするに気にくわなくなる…。
自分が前作を『失敗作』にしてしまう訳だから、何処が一体お客さんの事を考えてる?と言われたら全くもって返す言葉も見付かりません…。
素直にごめんなさい、です。
だけどやっぱり嫌だったりするんですよ、何故か時間が経つと…(本当に申し訳ないです…)。
でもこの気まぐれの性格はど〜にも変わらない模様です…。

だから、でしょうかねぇ?
例えば漠然と『黒×白ないの?』と聞かれてしまうと、つい…『今アチコチに縞シャツ有るらしいからソッチで買ったらどないだす?』と言ってしまいます…。
全くもってオトナゲない。
人間失格かも知れません。
と、言うか客商売は間違えなく向いてませんね…。
でもやっぱり嫌…。

多分こ〜ゆ〜部分が昔々の原宿バイト時代に某重役さん達から『お前例外』と言われて寛大に扱って頂いた部分かも。
ようするにまともに接客させちゃマズイから“別枠扱い”にしてくれたんですかね…。
そう考えるとこんな私をあの人達はよく雇う気になったなぁ?(幾ら感謝しても足りない気が致します)。
でもやっぱり無理…。
原宿時代はせいぜい20代だったけど…50代になった今でも、やっぱ無理〜!

そんな訳で単純に黒×白とか黒×赤とか黒×グレーとかの縞シャツ欲しい人はどうか海賊TEEじゃない、某か他のを何処かで探して欲しいと思ってしまう…。
その方が絶対お互い幸せだと思うんですが…(マジで)。

かと言って、単純じゃなければ黒×赤も黒×白も黒×グレーも海賊TEEの分野と思うので、それならいつかは又造るかも。
取り敢えずこの3種類、通常の雰囲気のは2009年に出しましたし、もし同じようなのを又造るとしたら、現在53歳の私が60歳になるまでで良いかと。
海賊TEE、軽く7年位持つから大丈夫。

でも違うアタック、単純なのを欲しがる人達はあまり好まないような雰囲気のなら黒×赤、黒×白、黒×グレー、明日にでも造ってみたいです。
絶〜対、不良に見えないような黒×赤なんて、何か最高だし。
その辺りなら結構頭ん中にアイデア浮かんでたりします。

前の項でも言ったけど、決して黒×赤の配色が嫌いな訳じゃないので。
ただ単純なイメージのがどうにも苦手で。
全く芽の出ない腐れアーティストもどきですが、やはりそこはチャレンジしたい。
いつか新感覚の黒×赤とか黒×グレーとか、いつか必ずそれ、克服してみたいです。

あ、それから海賊TEEの耐久性や着心地、その他…。
その辺りを初めて着る方に例えばTELとかで説明求められる時、又はこうして文章にする時…さすがに言語ではそれを正しく伝えられそうに有りません。
取り敢えず現在コレを愛用してる皆さんもみんな最初は『初めて』でした。
それを本気で知りたいと思った時には多分説明要らないと思うのは私だけ?

PS:私も海賊TEEの全モデルは所有してません。
そこはお客さん優先するので私も全部は持てませんでした。
因みに全モデルを所有する人は多分地球上に存在しないと思います…。

→瓦愨海。

2010/12/19 (Sun)  X'masケーキの半額セールが好き!

続き↓

原宿HELLOのソレは半袖部分の袖が短いロンドンテイスト?パンクス風だったがチョッパーのは袖が長くて“肘”位までの長さ。
確か『ジャージ生地は好きな長さに切ってもほつれないよ』が“売り”だったと思う。
実際私も適度な長さでチョン切って着てた(※因みに本当にホツれなかった!凄い!)。
HELLOのも持ってるが、ソチラはちょっと自分には短過ぎるその袖がイマイチ好きになれず、結局袖は全部カットし、今は袖ナシ状態だ。
チョッパー、HELLO、どっちがどっちのパクりか今となっては皆目不明だが、もしかしたら当時は各店仲良くて、一緒の所で造ってた可能性も有るが、確かチョッパーのが少し早くから販売してたから、それはやっぱり…かな??

因みにHELLOも仲々面白い物ばかり有って、つい最近まで流行ってた色の付いたガラス?石?が沢山付いた『スタッズ』物も沢山有って、私もその1つの割りと長〜いリストバンドを愛用してた。
時代はまだ1970年代末だからあの時代にスタッズとは仲々HELLOもセンス抜群だったと思う(※因みにHELLOのスタッズ物は確か全て1点物でした)。

そう言えばチョッパーには先のジャージ縞Tとは違う、ジェームスディーンが『エデンの東』のキャル(だっけ?)役で着た縞の長袖のポロシャツ風のレプリカのオリジナル製品が有った。
確か後に『Jディーン・ポロシャツ』と言う名称が付いて売ってたと思う。
私のはどうもその最初期ので多少後期のと形状?が違い、少しダブッとしたデザイン(※後期のは妙にスッキリしてた/確か後期は半袖も有った)。
先の半袖とは若干違う生地でジャージのような、しかし少し毛羽だってウールみたいな生地だった。

取り敢えずソレが長袖で、Tシャツでは無いが、手首に『リブ』が付いてたので結構気に入って愛用してた(確か手首リブは6〜7属未世辰燭茲Δ)。
因みに色は私のは黒×白で、後期のは又違う色バージョンも有った気がする。

昔話を讃えるつもりではないが、私としてはその頃のチョッパーオリジナルの縞シャツは色も生地も仲々凝ってたと思うし、HELLOもセンス良かったと思う。
因みにまだ原宿竹の子族もローラー族も存在しない、かなり古い話。

それから少しして竹の子族、そしてローラー族が現れ、先のチョッパーも竹下通り、次に原宿交差点のガゼットビルに移転した。
当時バンドマン時代の私は原宿のあちこちに知り合いが多く、先のチョッパーのスタッフ、クリームソーダ&1950カンパニー関連の様々な店(※ピンクドラゴンやクリームソーダを展開する会社の名前)の中の何人かの方々などと顔見知りだった為、割りとしょっちゅう原宿には居た。

他にも『'50sショップ』と総称される、所謂オールディーズROCK'N'ROLL(※今で言うならロカビリー?)を題材にした店が点在し、原宿ハイヒール、ペパーミントなどが有った。
ハイヒールやペパーミントにも知り合いが居て、極々短期間で有るが当時のペパーミントの重役さん達に何かの才能?を見込まれ、超短期バイトをしたりした(※あまり自慢出来る部門を任せられた訳じゃないので仕事内容は内緒…苦笑)。

取り敢えずそれら『'50sショップ』には必ずと言って良い程、縞Tシャツ(半袖オンリー)が有って、短期間とは言え、バイトした関係も有って上記ペパーミントさんのも紺×赤、紺×黄と2種類有ったラインナップ両方を所有してました(※ペパーミントのはちょうちん袖と言うデザインが特長だった)。

'50sノリのそれらは先のように皆さん割りとツイスト・シャツと呼んで居たが、私としては先のチョッパー最初期オリジナルのが1番良い出来上がりだった気がします。

因みにペパーミントでバイトしてる最中、何とも図々しい事に私はそのチョッパー製品を着用してましたが、当時のペップ重役さん達はとても寛大で、そんな私を全く責めず、『お前は特例』と何故か優しくしてくれました。
正直な話、何故私は特例だったのか今だに皆目判りません…(もしかしたら頭おかしいと思われてたのかなぁ!?)。

あ〜又すっかり余談で脱線しましたね(苦笑)。
上手く話戻せるか判りませんが、取り敢えず戻してみます…。

確かTYPE-技代に半袖リクエストされて『ユニクロさん、他』と答えてた話でしたね…。

…とか言ってたら又々字数リミットになりそう。

一体いつまで更新続くんでしょうね…。
マジで自分でも判りません(苦笑)

→海愨海。

2010/12/19 (Sun)  韻─もうX'mas?

続き↓

海賊TEEの限定製造、毎回配色やら詳細を変える方法、これらの基本姿勢は何の意地悪でも何でもない。
勿論無駄にブームをアオる為でもないし、わざわざ希少価値を付ける為でもない。
正直、そんな事はど〜でもイイ。

配色を変えるのは、各々の皆さんの各々の希望を叶えたい気持ちが1つ。
世の中、『赤』が好きな人が居れば『青』の好きな人も居るからさ。
『黒』も『茶』も『黄』も『白』も、それぞれにファンが居るものだから。
そして毎回変える微妙な色合いは、あくまで私の楽しみだし、自分と自分の勝負の部分(※場合によって縞幅のチェンジ、そして時々縞の“位置”バランスの変更も有る)。

毎回配色が変わる理由は大まかに言えば上記2つ。

そして本気で欲しい人に均等に行き渡るように先の予約だ発売日だ取り置きだを実施してる訳だ。
因みにココで言う『本気で欲しい人』と言うのは、『本気で必要な人』の事である。
決して『今縞シャツがキテるから欲しい』人の事ではない。

いきなり又々昔の話で申し訳ないが、'96年初期型TYPE-技代。
『半袖バージョン出して欲しい』のリクエストが結構有った。
そしてその殆んどの方がTYPE-気汎韻検悖何Г亮福后戮魎望してた。
なので私の答えは決まってこうだった。
『ユニクロさんに有るらしいから行って下さい』と。
当時古いお馴染みさんの1人が“夏用”として、ユニクロさんで売ってた赤×白の半袖を着てた。
そしてそのユニクロさんのシャツは仲々良い雰囲気だったし、何より安かった。
そして質も値段の割に仲々グッドで『さすが、ユニクロ』と言う感じだった。

そのユニクロさん製品以外でも半袖の縞Tシャツはそれこそ普通に“定番商品”だから、普通の用品店でも当時は探せば幾らでも有った。
だから『ユニクロさん以外でもそこいら中に売ってるよ。もっとちゃんと探して下さいな。』と応答してました。
それでもシツコイ人には初登場直後のTYPE-1指差し、『じゃそれの袖切れば?』と返答した。
実際私はある時TYPE-1の赤×白、サックス×白の袖を切り、半袖にして現在も愛用してる(※'09年10月号のバイブズ誌の海賊TEEの特集記事と、宮崎VMのTHE海TEE・JAMで私が着用してたのがソレ)。

大体その時代(TYPE-1='96年)は半袖の縞Tは世の中に沢山有ったし、前記した通り、袖口リブの無いタイプのなら長袖縞Tも既に沢山有った時代。
だからわざわざ『リブ付き』のTYPE-1を造ったのだから。
だからよく探しもしないのに安直にリクエストする姿勢はどうにも好きになれなかった。

余談だが、当時私は半袖縞Tを幾つも持ってた(前の項でも書いたようにタンクトップまで有った)。
その中には若い時代によくウロウロしてた原宿付近各店の物も有った。

因みに当時(1970年代末)、クールス御大のチョッパーの縞Tは仲々の逸品。
同店がまだ初期の青山学院前『華の館』横を入った路地に在った頃からちょこちょこ行ってたので、当然当時のオリジナルで有るアレは今も1部所有してる。
特にVネック(…と言うよりUネックで半袖)の紺×赤はオールディーズROCK'N'ROLLバンドの大御所、『シャナナ』のフロントマン、“ジョニー”のレプリカで、仲々格好イイ。

何より袖に煙草巻く(※映画:アメ・グラ参照)時に、袖をまくり上げても決してビロ〜ンとならない“ジャージ生地”で造られており、汗を吸わないのは難点だが、当時としては仲々画期的なアイデアだったと思う(あれから何10年も経ったが、その気になれば今でもちゃんと着れるからクオリティーも当時としてはハイ・レベル)。

青山時代の最初期チョッパー・オリジナルのもう1つは同じくジャージ生地を使った濃紺×白の丸首半袖。
先のUネック、紺×赤のとは微妙に“紺”の部分が違って、やはり当時としては仲々凝ってて凄いと思う。
又その丸首の形状も仲々独特で、単純な丸首じゃなかった(※文章で説明するのは困難なので省きます→※可能な人は当時の資料を探して見て下さい)。
最初期チョッパー・オリジナルは更に1つ、紺×黄のUネック(※これは当時のサンプル品とかで、ジャージ生地でなく、普通の綿)を所有してるが、クールス・ドラマーのあの御大の当時の奥様が私に売って下さったので今も大切にしてる。

やはり同じ頃、原宿の文化屋雑貨店のすぐ横(※現在はファイアー通りと言うんだっけ?)に在った英国ノリのROCK・SHOP“原宿HELLO”のオリジナル縞Tも先のチョッパーオリジナルと同じジャージ生地(※確か黒×赤)で、似たようにVネック(こちらは完全なVネック)と丸首が有ったが、アレはチョッパーのパクり商品だったのだろうか?

実は今もそれが気になる…。

→欧愨海。

2010/12/19 (Sun)  阿發Υつ寝るとX'mas(タイトル意味ある?)

↓続き。

そのシャツにしてもそうだが、私にとって海賊TEEは確かに自分が生んだ愛すべき製品の1つ、だけど仲々越えられない“壁”でも有る。
それは1人の物創りのプロとして、何とかそれを超えたくて、でも毎回いつもアーティスト?としての部分で“惨敗”させられる、まるで化け物のような存在。

後2ヶ月弱で53歳にも成ろうと言うのに、まったくもって“半人前”のアーティスト(もどき)である。
まったくもって情けない…。
先の話じゃないが、もしかしたら私は『準アーティスト』にも成れてないかも知れない。
何せ今だに初期に生んだ、たかが?横縞のシャツに全く歯が立たないのだから。
ようするに自分で生んだ物に自分が勝てない惨めさだ。
どうにも悔しい限りである。

いい加減、そろそろ、コレを超える何かを創って、そろそろ本気で“一人前”目指したいと思う。

まぁ才能が乏しい分、ひたすら頑張るしかないのだが(※才能ないんだからヤメれば?って、何処からか声が聞こえるような…)。

取り敢えずまだどうにも(一人前のアーティストになる目標を)諦められないので、まだ暫く悪あがきしたいとは思う(※そんな訳で当然、年始の“神頼み”は決まって“早く一人前のアーティストになりた〜い!”…だ)。

ただ現在の海賊TEEは単なる化け物から更に進化してる。
最近では私の生んだ製品と言うより、もう既にお客さん達、アレを本当に必要としている、熱い支持者達の為のシャツと言っても過言ではないと思ってる。

『単なる縞シャツじゃ駄目、海賊TEEじゃないと』と言うお客さん達。
何年経っても仲々クタビレない性質が気に入ってる人、冬のアンダーウェアとして重宝する人、着てるのを忘れてしまう?着心地に無いと何だか不安になってしまう人まで…。
下手すると“縞”の幅やらその色合いすら、全て二の次、それより何より使い勝手の良さ&ロングライフな性質重視の人の何と多い事か。

間違えなくアンダーシャツ代わりにしてる人々が『残った色で良いから新作欲しい』と言う。
その声を聞く度、あ〜ホントにコレはもう皆さんの物で、単なる『縞シャツ』じゃないんだな…と思うのである。

かと言って、やはりまだまだ『メジャーな存在』とは言いがたい。
何処かで初めて海賊TEEの存在を知り、問い合わせを頂く。

取り敢えず先ず着てみたいと思う人。
色んな縞シャツを着てみたが、どうも納得行かず海賊TEEにたどり着く人。
そう言う人は大体先ずは『残ってる色』を入手して行く。
そして先ず“噂の某か”が真実かを試すんだろう(真相の答えは最低3〜5年後に必ず判ります)。

そして“海賊TEE慣れ”or地獄商会慣れ(笑)してる皆さんは基本的に入手のコツを心得てる。
又、過去、何らかの理由で発売からだいぶ日にちが経って、入手しようとしたが既に売り切れ後で、入手難になった方々。
1度でもそんな経験?をした皆さんは(…ご迷惑おかけします…)、次のチャンスは実に“素早い”。
そして確実に御入手果たされる(※時々2度3度と繰り返しタイミングを逃してしまう人も極々希に…因みにそれは『売り切れが早いなんて、どうせ営業戦略だよ』と、たかをくくっているか…ハタ又単なる優柔不断かは定かじゃない)。

そして最近は以前にも増して巷に縞シャツが溢れてると聞く。
先にも少し触れたが結構昔にも似たような現象は有ったが、どうやら現在のがその“数”は多いらしい(※昔も所謂普通のカジュアル服屋さんにまで“手首リブ付き縞シャツ”が色々出回ったらしいが、やっぱり今もそうなの??)。
先の話のように、私はあまり他の諸々を見る気になれないが、アチコチから様々な人に『最近縞シャツ流行ってるよ〜』と言われる(イマイチ複雑で、有り難いんだか、有り難くないんだか、実の所あまりよく判らない…)。

そんなだからか?単なる縞シャツブーム?として海賊TEEに興味持つ人も結構多いと思う。
勿論そんな人々がコレを欲しがるのも一概に悪い事じゃない。

だがしかし…。
『クオリティーに興味が有る』そして『欲しい色が有る』、もしそのドチラも満たしたいので有ればどうか真剣にタイミングを見極めて欲しい。

売り切れた直後から必ず聞く台詞。
『あの時有るのは知ってたのだが、そん時はそんなに興味なかったんだけど、今んなって欲しい』…正直、困ってしまう。

そりゃこちらだって本当に欲しい人に欲しい色、欲しいサイズを寸分の狂いもなく、的確に渡したい。
だからこその発売日&予約開始日時告知、事前予約制度、無料取り置き期間自己申告制、その他、出来る限りの努力はしてるつもりなんですが。

それも嫌ならどうか他で…。

→韻愨海。

2010/12/19 (Sun)  師走DON丼DON!

続き↓

再び時は'98年に戻ります。
海賊TEEをTYPE-犬能了させようとしてた頃。

『製造ヤメるな』と言う有難いリクエストは仲々途絶えず。
しかし先の『不良云々』言うイメージで店や製品を捉えられる困惑に、多少のストレスを感じ始めて。
海賊TEEの製造をヤメるか、思い止まって再びやるかで悩んでいた。
やるなら『脱・不良路線』…しかやりたくないと。

もしもこのまま製造を続けるなら、なるべく世間に馴染みのない配色で、『不良っぽい』なんてニュアンスで認識され難いような配色のみの“TYPE-后匹鯊い蹐Δ隼廚辰討い拭
どうにも『不良アイテム』と言うレッテルを少しでも払拭したかった。
そしてTYPE-垢鯊い辰拭
結果は以前とは又違った層がチョイス、初期からの海賊TEEマニアの方々も支持して貰え、取り敢えずそれで少し気が楽に。

そして'99年。
以前から試したかった案。
5色使いの少し混み入ったイラストを手描き、海賊TEEの素材とレシピ?で半袖or長袖の“無地シャツ”を造り、それをその無地シャツにプリントしたいと思った。
そして是非やりたかったアイデアの、胸、背中、両腕と、各々1ヶ所に5版づつシルクスクリーンを使い、少し複雑な絵をのせたカラフルなプリントを配した長袖Tシャツ造りに没頭した(正確には3色使いor1色の半袖2種類も同時に造った)。

それらが出来上がった時は嬉しかった。
特に長袖は胸に5色、両腕に各々5色、背中に1色のプリントした物で、左右の腕には各々びっしりと小さなドクロをうず高く積み上げたようなデザインにした。
その長袖1着に使用したシルクスクリーンは計11版。
又説明が長くなるから省くが(苦笑)、シャツにプリントする工程もかなり面倒な方法でやっと実現化したシャツだった。
正直かなり手間がかかり、おかげで費用は膨大になって借金に拍車がかかった。

製作コストが1着分で、普通に売ってる長袖Tシャツより遥かに高くなってしまい、販売価格の問題で結構悩みまくった。

これ又世間には、あまりに異例なシャツだったようで、当時としては異常に高い販売価格は基より(※因みにあの価格では殆んど利益ナシ)、それより何より先ずそのビジュアルで大体の人がビックリし過ぎてしまい?凄く興味を持つ人と、見ただけでアッチに遠ざかる人(…?)、の極端な反応に分かれた。

因みにそのシャツの熱烈な支持者はそれなりに居てくれたけど(本当に熱烈支持でした)。
“海賊TEEと同じ素材=生地、製造方法”で造ったにも関わらず、本家海賊TEEとはかなり違う扱いと言うか、何か違った層からの“極少数”の支持は有ったが、海賊TEEのような『人気者』ではなかった(ホント売れなかったなぁ〜)。

ただ現在は懐かしいそのシャツが、時々、今頃やっと誰かしらに話題にして貰える事が有る。
先日の宮崎VMでもそんな1人、コレに刺激を受けたと言う人に会いました。
宮崎在住のアーティストらしいその彼は、何でもこのシャツの発売当時('00年頃)、雑誌でこれの取材記事を読んで衝撃を受けたと言ってくれました(※宮崎の4速EVOスポーツのM君、その節は有難う!会えて嬉しかったよ!)。

派手過ぎて?全く人気がなかったこのシャツは、その人気の無さから(苦笑)今だに“模倣”すら出て来てくれないが…ホンの極1部の人達には、何かしらのインパクトを与えられたとしたら造った甲斐も有ったと思う。

原画が少し複雑になり、どうやって具現化したら良いか?と結構頭を悩ませたが…この世に唯一無二、類い希な才能を持つ凄腕の強力アーティストが助っ人してくれたのでそれも無事クリア出来て実現化した。

しかしコレを造ったおかげで学習になった事も多く、あの時多少無理して(※資金的にも)堪えて造ったからこそ、海賊TEEの発展やその他諸々を含め、その後の自分の造る様々な物が生まれたと言って良い程、私には思い出に残る作品(※1から創ると言う意味での作品)。
そんな意味でも本当にチャレンジして良かったし、コレで得たノウハウは今もたっぷり役立つ。
そしていつか必ずアレを超える何かを造りたいと考え、私にとって今もアレは1つの目標となっている(※とても不人気、利益としてはかなり最低な物だけど…苦笑)。

因みにこのシャツを造ったキッカケの1つに、当時(今もだけど…)二言目には海賊TEE、海賊TEE、『あの海賊TEEの地獄商会』と言われる事に対して、『俺は海賊TEEを超える物を生めないのだろうか…』と言うジレンマから、何とか海賊TEEを超えるインパクトの製品(or作品)を生みたくて頑張ったシャツである。
結果は又しても海賊TEEに“惨敗”したのだけど(※人気的に)、それも含めて余計に思い出に残り、又1つの目標になる物だ。

→阿愨海。

2010/12/19 (Sun)  師走丼

続き↓

所で私の役目は何だろう?
勿論私も先の彼らに見習って、少しでも良いアイデアの物を創造して行きたい。
しかし最近それだけじゃ何かいけない気がしてる。

以前、某誌の編集部の人と話をした。
雑誌の企画も大変で、それこそネタ不足とマンネリ化現象で色々四苦八苦なんじゃないだろうか。
そりゃ毎月や隔月で本を作ってくんだから毎回新鮮なネタ考え、又それに見合う色々を探すのは凄く大変な事だと思う。
そして他誌と似たネタは、絶対やりたくないと頑張るから、きっと本当に大変だろう。

…で、そんな時にどうやらウチの店の色々が、何かの役に立つ事が有る模様。

やはり'96年、海賊TEEがTYPE-兇吠僂錣觝◆
職人さんが1点づつ手作りする眼鏡フレームが生まれた。
その時代、所謂BIKERシェードは有ったが、度付きレンズ専用の眼鏡フレームは一般的な『眼鏡屋さん』にしかなく、デザインは勿論限られた。
だからBIKERシェード的デザインの手作り度付き専用フレームを企画した(度付き対応…ではなく、あくまで専用)。

製作に時間を要する手作り受注制も異例だったが、セミオーダーの為に価格もダントツ高く、異例だった。
何せ当時、BIKERシェードは数千円が当たり前、なのにウチのそれは数万円。
かなり滅茶苦茶だ。
形状が独特だった為、眼鏡業界に正式に登録もされた。

確かにあの時代にはかなり珍しい存在の眼鏡だったと思う。
おかげで各誌から何度も取材を受けた。

しかし今は大して珍しい存在じゃないと思う。
今では本職の眼鏡屋さんがバイク向きの眼鏡フレームを造ってる時代。
各誌にそんな広告もよく載っている。

又ある時、某編集部。
1オフor改造ウェア&グッズの特集をやりたいと言う。
聞けば一般的なオーダーや仕立て直しではなく、素材や何もかも全て『ゼロから』の特集をやりたいと。
ウチの1オフor改造のやり方はまさにそのままだった(※後で聞いたらウチの1オフ製作のやり方を見て思い付いた企画らしい)。

因みにウチは1オフor改造ウェアやグッズを造る場合、それ用に皮革や生地=素材のストックをしてない。
ウチのデザイン等『感覚』が気に入ったお客さんが、何かしらのリクエストをし、それからそれに合わせた素材を探しに行く方針。
だから素材の仕入れ先は特に決まってなく、実にアチコチ、1回も付き合いのない某かの問屋を何とか探してピン!と来る何かを手に入れてくるのは割と当たり前。
従って素材探しだけで異常に時間を要する場合も多々(※だから待てない人にウチは向いてない)。
全く合理的ではないし、全く割に合わない方法かも知れない。
でもそうでないと真の1オフ物は完成しないから、やはりその方法を変える気にはなれない。

そんな訳でその取材に協力した際。
編集部が『今回の特集に合う人を探したけど、個人レベルでは沢山居るが、こと業者さんになると仲々ピッタリ企画に合う所が見付からない』と言う。
因みにその企画はウチの特集ではなく、『そ〜ゆ〜人間と業者』を沢山出したかったそうな。

素人なら沢山居る(意外と上手い人も沢山)ゼロから始める1オフ。
業者さんになるとどうしてもある程度『素材や部品』の範囲を決めておいてのオーダー製作がメインになると思う。
例えデザインは完全1オフでも『素材』の範囲は限界が有る。
素材まで“無限大”だと、あまりに率が悪いからだと思うし、確かに通常はそうかも知れない。
だからウチに白刃の矢が立った訳だと思う。

しかし『その手の業者探し』は結構大変だったようで、ページ割りもそれなりに苦労した様子。
本当は各業者さんをもっと出して、ウチはもっと小さく載る予定だったが、企画に合う業者さんが少ない分、ウチだけ丸1ページ使って色々載る事になってしまった。
何だか他の業者さんに申し訳ないし、最初は少しためらった。
だが何だか妙に予感がした。
もしかしたらウチがココで出れば(犠牲になれば?)、絶対他の業者さん、それもまだ編集部も知らない『新規』の業者さんが参入して来る気がした。
先の『眼鏡屋さん』の時に感じてた部分。

予感が当たったかどうかは判らない。
だがやはり次の号から段々その手(オーダーorカスタム)の、特に『新規』の業者さんの広告が日増しに増えて行った。

勿論全部『ウチ』が出たせいじゃないと思うし、多少影響有ったとしても、せいぜいホンの数%位だろう。
(かなり?)自意識過剰な話は百も承知で言っている。
ただその時ウチの『役目』に改めて気付いた気がした。
ウチが何か珍しい事やれば新たなネタの提供、そして業界?含めて何かの“活性化”に役立つのかも知れないと。

→へ続く。

2010/12/19 (Sun)   

師走丼

続き↓

物を創り生む世界、この分野の人は誰か他の人達に多少注目されるような物造る必要が有るのかも知れません。
最初にトンネル掘りに行かなきゃならない役目が有ると言うか、それが使命かも。
最初に掘る係が居て、後からそれを意識した者が“舗装”してくれ、それでやっと“道”が出来る。
所謂それが『定着&発展』なのかも知れない。

そして自分がやった仕事と何か似たニュアンスの物が出て来た時。
そしたら自分の仕事が他の誰かに少し“評価された”時と思う。
良いもん考えて、良い仕事したからそれが他の人に素敵なアイデアと思われたのかも知れない。
認めて貰って嬉しい瞬間かも。

因みに違法の偽ブランド品じゃない限り、“まんま”の完全コピーは世の中あまり存在しない。
必ずどっか違うもの(ツボが正しく解釈出来なくて違い過ぎる場合も有るけれど…)。

違法ブランドはこれらの類いとはちと違う。
アレは単なる犯罪行為の金儲け。
それはさすがに誰もやらない。
少なくともコノ業界にそれだけは皆無、全く皆無。
その辺り、この業界はそこまで腐ってない。
ココはせいぜいネタ詰まりの人がちょこっと他のアイデア参考にする程度。

だが『ソレを意識した訳じゃない、真似した訳じゃない、単なる偶然、たまたま似た』と言われる時が有るかも知れない。
でもイイのよ、それで。
誰しも意地が有るからさ。
素直に言う訳ないじゃない。
昔々のツッパリ中学生の台詞じゃないが『眼中ねーよ』は、気になる時しか絶対言わないものだから。
さすがに例のアノ国みたいに『そっちが真似した』なんてトチ狂った台詞は決してこの国の人、特に我々の世界の人は絶対言わない。

だって皆腐ってもバイク乗りだから。
バイク乗りは、それだけは死んでも言わない。
何故ならバイク乗りは格好悪い事が死ぬ程嫌いな生き物だから。

誰かのアイデアをちょこっと拝借、引用する側にも必ず意地は有ると思う。
だから“まんま模倣=完全コピー”は絶対しない。
それはさすがにプライドが許さないと思いますよ。
だから既に在る物とは絶対少し変えるハズ。
しかし、だからこそイイんですよ。
完全コピーじゃ世の中発展しない。
そんなつまらない事は例のアノ国に任せとけばイイ。
だからその“ちょっと違う”物もそれはそれで1つのオリジナル。
ただ少し、どうしても2番煎じの印象が付いて回る時も有るけれど。
それは仲々否めないが、それが嫌なら似た事やらなきゃイイだけだから。

いきなり唐突だけど、業界批判?と捉えられかねないこ〜ゆ〜話をするのを実は少し迷いました。
わざわざ敵を増やしたい訳でもないし、正直誤解されるのも恐ろしい。
…が、この話を何故したか?
誰が何と似たような物造ろうが、そんな事はどうでもイイ。
本題は少し違う。

こんな話をしたのは理由が有る。
それは少々古い話で申し訳ないが宮崎VMの時の事。
今回宮崎の旅の最中、色々な業者さんとお会いした。
その中で何人かのアーティスト、職人さん達との交流が有った。

ある人は絵を、ある人は写真を、又ある人は皮革を、貴金属を、又々ある人は鉄を、美しいガラス?を作品にする仕事をしていた。
それ1本で食う人から幾つかの副業を持つ人まで実に様々。
どれがメインか、何ヶ副業が有るかとか、そんな事は関係ない。
そんな事より皆さんとても頑張って実にキラキラ輝いていた。

だからこそ未来を担う人、特に若きアーティストの皆さんには是非最初にトンネル掘る係をやって貰い、ドンドン『清水の舞台』から飛び降りて欲しいと思った。
その役は時として仲々理解されないし、仲々結果が出ない事も多い。
“失敗”の確率もやたら高く、それらのリスクが多々有る分、結構誰もやりたがらない。
そして多少“芽”が出たら、今度はアチコチから『アレを抜いてやろう』と目の敵?にされるかも知れない…(目標にされる場合も有るかな?)。

でもそれに負けず、ずっと続け、それこそ意地でもその姿勢を貫き通していると、昔は目の敵?にしてた他の諸々さん達の中にもいつしかちゃんと認めてくれる人達が現れる。

だからそこまで我慢、そしてずっと続けて欲しい。
仲々結果がついて来ないからと、決して諦めたりしないで。

まだ誰もやった事ないトンネルを、己を信じて“真っ直ぐ”掘り続けて欲しい。
取り敢えず最初に行く係は無駄?に資金ばっか使う為、どうしてもあまり儲からないけど(苦笑)。
でもどうかそれらに耐えて是非とも頑張って下さい。

独創的なアーティストが1人でも多く増える事を切に望む…それが1番伝えたかった事。

→へ続く。

2010/12/17 (Fri)  師走丼

続き↓

ようするにアーティストも決して全部『独り』で何かを生んでる訳じゃない。
熱い支持者が居てこそ何かが生まれる。
某かの“物創り”を生業にしてるなら、センス良いお客さん達が我々と常に『コラボ』してくれてるんだと思って良いかと(本当に心から感謝ですね!)。

だから貴方がもしアーティストなら、どうかそんな自分を、目の前のお客さんを家族や仲間を信じて欲しい。

だが例えば世の中にはアーティストばかりじゃ成り立たない。
そしてアーティスト=独創的な発想人ばかりだと世の中は仲々発展しない。
何故ならアーティスト(※職人やエンジニアやデザイナーやプランナーや全てのクリエイター&アーティスト)は商売には殆んど疎く、又あまり商魂逞しくもない。

だから世の中には“商売人”が必要になる。
所謂ビジネスの才能に長けてる人の事。
勿論ビジネスマンにも非常にアイデアが豊富で独創的な人は多々居ると思う。
そう言うアーティスト面も併せ持つ類い希なタイプの商売人も存在するが、やはり絶対数は極めて少ない(そう言う人は当然企画力も行動力もそれなりに持ってるが)。

しかし他の誰か、既存の某かの作品からヒントを得ないと仲々アイデアが出せない商売人も居るのが現実。
一応それもアーティスト、職人か?…もしかしたら頭に“準”が付く準アーティスト、準職人、準クリエイターなのかも知れないが。
そしてその人々が某か他の独創的なアイデアでオリジナリティー有る作品を、ある時は多少“模倣”、ある時は“イイとこ取り”した物を生む事になる。

でもこれはある意味仕方ない事なのかも知れない。
その類いは自力で独創的アイデアが出ない以上、どうしても既存の何かを意識してしまう性質なのかも知れない。

確かに最初に暗闇に突っ込むリスクは背負わない分、少し小ズルい印象は拭えない。
一見するとまるでハイエナ?のようなセコさに似たものかも知れない。
他人の失敗や成功をリサーチした上で、結局他人が掘ったトンネルを抜けて来るのだから確かに『潔い』とは仲々言えない(※中には他人が途中まで掘ったトンネルをゴール寸前で横取りしようとする者もたまに居る)。

だがしかし…実はそれらの存在は結構大切だったりする。
何故ならそれが有るから“先”が生きる(※独りで誰も居ない所走ってみれば先頭もケツもないでしょ?)。

例えば海賊TEE。
不思議な事に世間に縞シャツが増えると何故か同時に需要も増える。

だからもし貴方がアーティストならどうか独創的で“意識される”物を創って行って下さい。
一見??みたいな物が次から次へと出て来ても全く問題ナシ、ちゃんとオリジナリティーさえ有れば心配無用。
世間に意識されればされる程、まるで無料で宣伝してくれてるみたいにどんどん結果が付いてくる。
不思議な事だが真実だったりする。
比較の対象が増えれば増える程貴方のソレが光ります。

だからこそ様々な事柄の“発展”には絶対商売上手の方々が不可欠だと。

それからその商売上手の方々は不思議な事に往々にしてビジネス面では何とか成功するハズ、ようするに程々安定すると思います。

何故なら多くの人間はオリジナル性が高い物へ、いきなり踏み込むのを嫌うと思うので。
ようするに『敷居が高い』と判断するからなのかも知れない。
敷居が高いと感じれば“構える”=リラックス出来ないのも判る気がするし、確かにそれでは不快だ。
人はとかく安心感を覚えたい生き物だし。
だからソコは避けて手に入れ安い物を選ぶのかも知れない。
それからオリジナルが有れば必ず“アンチ”が出来るのも世の中。
世間がソレを讃えれば讃える程『俺は絶対ソレは買わないぞ!』と頑固になる人は必ず居るハズ(だから世の中面白いんだけど)。

まぁそれは大体がある程度若さが有る内の感覚だけど(やはり妙な所ツッパれるのが若さの象徴だし、大人になればなる程それはちょっと自分が小さく見えて自然にやらなくなる感覚)。

従って二匹目、三匹目のドジョウ狙いは意外と儲かるのかも知れないと思います。

でも時々現状=2や3では満足出来なくなる人々も必ず現れる。
どうにも何かが満足出来なくなるんだろう。
そうすると必然的に例え“高い敷居”でも何とか越えようとする。

それは滅多に部品売ってないようなマイナーで凄く古いバイク買って、頑張って全て自分で直しながら乗ってる人と似てる感覚かも知れない。
確かにショップに一切頼らないで自分で全て面倒見るにはそれなりの覚悟も度胸も要るだろうから。
他人には幾ら高い敷居でも、本人にはちっとも高く感じないのかも知れないね。

→へ続く。

2010/12/17 (Fri)  師走丼(※再びタイトル変更…)

続き↓

例のカスタム界の巨匠(※最近では米国でハーレー・グルと呼ばれてるらしい→因みにその呼び名は本人凄く嫌いらしい…)との会話の続き。

彼と当時の彼の工場の近くの居酒屋で呑んで話した時(あの時はご馳走様…)。

記憶は定かじゃないが、何かしら“ネタ”の話題になり、私が『ネタはわざわざ探さなくても、必要な時に自然と勝手に自分の目の前に何処からかやって来る。決して無くなる事はない。』とか、確かそんな生意気な事を言ったのだと思う(今考えるとアイツ相手に恐れ多い…冷や汗)。

その後も散々呑んでから彼の家に行き、泊めて頂いた。
いつしかすっかり真夜中、お互い眠かったので、彼の自宅に既に用意して頂いた個室&布団をお借りして有り難く眠りにつこうとしたその瞬間。
お借りした個室(※和室)のフスマが静かにス〜ッ…と小さく開いた。
『ん?』と思い、今開いたフスマの隙間を見ると、髭面で真っ黒に日焼けした彼の顔が“半分だけ”見える。

優しく、しかし何故か鋭い目で『寝た?』と彼。
『まだ』と私。
『アイス、食べる?』と彼。
『アイス〜?』と私。

内心“何で半眠りの真夜中に突然アイスクリームなんじゃい…??”と。

実は私も彼との一時は少し緊張しながら、でもまぁ、やはりドキドキ凄く嬉しかったので、何かまだ眠るの惜しいかな…なんて思ってたせいも有り(苦笑)、彼の訳判らん真夜中の変テコな“誘い”に負ける事にした。
そしてノコノコ起き出して、彼がおそらくたった今、近くのコンビニで買って来たらしいアイスクリームを有り難く頂く事にした(※因みにアイスはコンビニ袋に入ったままで、どうやら彼は走って買いに行ったのか少し汗ばんでる…)。

しかし真夜中なので彼の家族や私の同伴者も既に寝静まって居た為、バニラアイスを食べながら暫くボソボソと他愛もない話題をした(だが彼の表情が何故か妙に硬い…)。
アイスも無事食べ終わり、さぁ今度こそ本当に真剣にお互い寝ましょうか!と言う感じで食べ終わったアイスの容器を先程のコンビニ袋に入れ、互いの寝床に行こうとした瞬間。
彼は突然、振り返り『僕もネタ、絶対なくならない♪』と一言。
その後妙にすっきりした様子で彼はいつもの優しい笑顔に戻り、『お休みなさい』と部屋へ。

『俺も生きてる限りは決してネタがなくならない』…どうやら彼はそれが言いたかったんだと思う。
何とも遠回しな宣言タイミングの作り方(苦笑)だが、心優しいがとても強い信念を持って生きる彼らしいエピソードで有る。

だがその通り。

例えば芸人。
ネタを思い付かない時はつい他人のネタを引用してしまうのかも知れない。
特にネタが出尽くしたと言われる現代。
でも果たしてホントにネタは出尽くした?

ちょっと視点を変えて見ると…何だかネタはまだまだ沢山埋まっている気がしてならない。
宇宙が有る限り、人が生きてる限り、ネタは決してなくならない。

既に他人がやったネタをトレースしたり、ちょっと変えたり、わざわざ参考にしなくても…“ネタ”は絶対なくならない。
自分で無くなったと思ってるから、いつまで経っても新しいネタが出て来ないんだと思う。
『ネタが出尽くした』は、“一見出尽くしたように見えるまやかし”なんだから。

大丈夫、ネタは決してなくならない。
アーティストなら尚更。
大丈夫、アーティストには必ずいつか天からネタの“お告げ”が有る(※因みにココで言うアーティストとは職人やエンジニア、全ての“物創り”の人が含まれる)。

だから自分を信じて、いつでも“お告げ”を受けれる純粋な心で常にその『一瞬』に備えて居て欲しい。
アーティストの数だけ“お告げ”は有る。
でもそれは何もスピリチュアルな“お告げ”ばかりではない。
“お告げ”は時として目の前の誰か…それは家族だったり友人だったり飼い猫だったりお客さんだったり、する。

例えばお客さん。
とてもセンスの良い人が居るとする。
そしてその人からのリクエストがピン!と来て、身体に(心にも)『電気』が走る時が。
そう、それこそ“お告げ”の一種(※勿論スピリチュアル系の“お告げ”も決して否定出来ない)。
そしてそのリクエストからパァ〜ッと素晴らしいアイデアが浮かぶ。
勿論リクエストをただ漠然とトレースする訳じゃない。
その『リクエスト』がきっかけで何か別のアタックを思い付く。

それで良いと思う。
ようするにお客さんの分だけアイデア=“お告げ”も存在する訳だ。
お客さんの意向に添った上で『より良く』アレンジするのが我々の役目。
もっと極端に言えばセンス良いお客さんが居るから職人もアーティストも生きる価値が有る。

→へ続く。

2010/12/17 (Fri)  師走を走れ、師走だし。

続き↓

勿論何かに影響は受ける。
衝撃を受け、魅了され、ヒントを貰う事は多々有る。
でも○○の追っかけ?みたいにはなりたくない。
だからヒントを貰う時はスグそこに無い物、現存しない物、又は全く“別の世界”の物からしか何も得たくない。
“物創り”の仕事を選んだ以上、THEオリジナルで居たい。

だから二匹目のドジョウも三匹目も狙いたくない(※最近では四匹目、五匹目と実に沢山のドジョウが居るらしい…ひょっとして世の中ドジョウだらけ??)。
やっぱり真似と思われるのは嫌。

友人の1人、単車カスタム業界のとある巨匠の言葉。
『自分の造った物が他人の作品に“たまたま”似るのも嫌だ』。

うん、そうだね。
出来れば常にそう在りたいよね。

偶然でも“たまたま”でも、例えどんな理由が有ろうとも…結果的に『真似』になったら悲しくなる。
それは自分にアイデア生む能力、デザイン・センスが無い事になるからね…。

既に有るソレを細部まで研究し、『ウチはこれをこうして、ちょっと変えて…』とアレンジする方法。
出来ればそれすらしたくない。
だから他人の作品は参考にしたくないし、出来れば見たくない。

ドラえもんやディズニーの“そっくりさん(※…でもセンスはイマイチだけど)”を作ったり、他人の作曲を『自分の曲』と言ったりしてる“パクり文化”と言うものが現在何処ぞの国に有るらしい。
かつては日本もそんな国だったと思う。
そう言う感覚は国や某かの発展にはある意味不可欠、付き物とも思う。
だから何も一概に全部が全部“悪い”って話じゃない。

ただ例えばスグ近日、何処ぞのあの国。
かの偉大な李小龍(※李振藩)=ブルース・リーさんやジャッキーチェン、リー・リンチェイ(※ジェット・リー)を生んだ素晴らしい国でも有る。
そんな素晴らしい国だからこそ、真似される側=各国=本家も“1目置く”位に、ちゃんと誰の目にも明らかに“違う物”として映る位に『もっとセンス良い物』を新たに生めないのだろうか?
“真似”の域を越えてしまう位、オリジナリティーを確立出来ないのだろうか?
そして何より『○○の真似した訳ではない、意識した訳ではない』、『たまたま』、『単なる偶然』、果ては『ソッチが真似した』…何だか“言い訳”までセンス悪い。
そんな見苦しい言い訳する位なら『○○を手本にしたのは確か。でももっとオリジナリティー有る物を早く生めるように現在更なる努力を続けてる。』と言えないだろうか?

そう言ってしまった方が全然素敵と思うのは私だけ??
その“潔さ”に支持者続出する事ウケアイと思うのも私だけ?
それのが絶対格好イイと思うのだけどなぁ。

誰かがやった手法を『俺のが上手い、より細かい、より凄い』と対抗するのも出来ればしたくない。
それも何だか惨めになる。
熱くなってる“頭”が冷えた途端、自分の小ささが嫌になって来る。
それならリスク背負って誰もやらない、前例ない未知なる世界へ、『清水の舞台』からサッサと飛び降りた方がナンボもマシ。

確かに誰かが既に通った道は『脱輪』する危険が少ない。
先に“手本”が有るからね。
先の情報頼りにデータ収集して行けば安全策も色々有るだろう。
なるべく失敗したくない時、保険が欲しい時、きっと人は“少しでも安全な道”を選んで歩いてしまうのかも知れないし。

でもそれじゃ何だか生きてて楽しくない。
産まれて来た意味さえ見出だせない。

でも多分誰しも他人の真似なんてしたくないのが本音と思う。
自分がやってる事が先に他の誰かがやった事と似てる為に、いつまでも比べられる訳だからそりゃ嫌だと思う。
幾ら顔で笑ってられても内心悔しい気持ちになる。
だから誰も、出来れば他人を参考にしたくなんてないハズ。

でももしかしたら世の中に新たな“ネタ”がなくなってる?
そう、多分世の中に似たような物が溢れる原因はネタがなくなって来てる証拠なのかも知れません。

しかし先出のカスタム界の巨匠。
約10年前、彼がまだ日本に居る頃。

彼の家に遊びに行った時の事。
散々呑みながら互いの“物創り”の話をした。
その頃も今よりナンボかマシなレベルだが、互いの創り出す世界観に“似せた”??ような物が世の中に幾つか出て来ていた。

彼も私も同じ東京の下町出身(※彼→江東区、私→台東区)、年齢も近い(※彼のが4歳若いが)と言う事も有り、何だか若い頃に戻ったように少し熱が入って来て、お互い腹を割って『本音』を話し合った。

そしてその時もこの“ネタ”についての話になった。

→に続く。

2010/12/17 (Fri)  師走を走れ、師走だし。

続き↓

話は又々'96年に戻り、初期型TYPE-誼太犬虜△力叩

あ、それからすっかり言い忘れましたが、TYPE-気鯊い襪っかけをくれたのは仲間達。
今とは違い“手首リブ付き長袖マドロス・シャツ”が世に無かった時代に、彼らの『是非とも造ってよ!』の声は私の背中を押してくれました。

そんな初期型TYPE-鬼粟直後。
地獄商会が店形式になったばかりの'96年。
その頃ウチには幾つかの長袖Tシャツのラインナップが有りました。

1つがその初期型の海賊TEE。
それから先出のIron Sportyエンジンのイラストをプリントした長袖Tシャツ。
そしてそれの絵柄違いと言った感じのガイコツ柄バージョンなどが有りました(※配色や仕様違い、バリエーション等、内訳は各々更に細かく分かれてましたが)。
そしてそのIronエンジンorガイコツ柄の長袖Tは胸に各々の絵、背中に上野駅、両袖に炎が入ってました(※私の描いた原画を入れた所謂プリントTシャツ)。

ある日、年配と若者の2人、男性コンビのお客さん。
どうやら若い方の人が長袖Tを探してる様子で、まだ世の中に唯一無二の存在だった初期型(※袖口リブ付き長袖横縞Tとして)海賊TEEに興味津々。

すると年配の男性が何やらアドバイス?…どうやら海賊TEEを欲しがる若者に何やら駄目出し(?)してる様子。
BIKERがどうの、ROCKがどうの…と何だか難しい話?が聞こえる。
暫くして年配男性は突然こちら(私)に『よぉ店長、シマはロックだよなぁ?やっぱBIKERは炎だよな!』と、同意?を求めて来た。

確かに私も単車もROCK'N'ROLLも大好き。
だがROCKだBIKEだ気にして“服”を着た事がなかった為、それまでそんな境界線?代名詞?みたいなもんが有るとは殆んど何も考えず生きてたから、“え?…な・ん・で・す・か、そ・れ…??”と暫し唖然。
大体のお客さんが私を“名前”で呼んでた為、いきなり『店長』と呼ばれた事も少し驚いたが(まだイマイチその辺りの自覚が足りない時代の話ゆえ、『果たして俺って店長なの?』って感じで…)。

取り敢えず私は頭の中がそんな混乱のまま、思わず『ドッチがドッチか判りませんが…そんな境界線(※ROCKorBIKER)が有るんですか〜??』…みたいな事を言った。
しかしアッサリ私の質問は“無視”…ノーコメント。
その年配男性は再び若者に『シマはROCK!BIKERは炎!!』と力説を続けた。
その若者も本気でソレが欲しけりゃそんなどっちでもイイような“アホな見解”など、それこそ無視すりゃイイ訳なので私はそのまま静観。

結局若者は海賊TEEを諦め『炎』を手に…。
さすがにそれは見るに見かねて『今日は買い物ヤメて、本当に欲しい物が決まったら又改めて来て』と。
一応それでお2人共素直に帰って下さいましたが。
でも本当にカルチャーショックでした。

時はまだ1996年、縞シャツだけでなく、先のブラックジーンズをヘビメタorパンクスorロカビリアンなど、『ROCK野郎御用達』と世間の多くが認識してたような時代。
当時、これと似た意見を多数聞きました(※海賊TEEのチノ・レプリカを『“夏の終わり/byキャロル”の永ちゃんのシャツっぽい』と言った人の意見だけは年代的に少し理解出来た…苦笑)。
とにかく黒Gパンも海賊TEEも、チョッパー&ハーレー乗りのイメージがどうの、『縞はロックだ、BIKERは炎だ』だとか…まだそんな時代でした。

あれから15年、今では横縞シャツ&黒Gパンも…どちらも単車乗り、ハーレー乗り、チョッパー乗りの“定番”と呼ばれるようになりましたが。

しかし時はまだ1996年。
世間はまだまだ狭いイメージに支配されてた時代でした。
だが当時はそんな訳判らん話をアレコレ聞いてて、余計に俄然ファイトが湧いた。
『そんな既存のイメージにとらわれないで、センス良くこれらを着てくれる人々は必ず何処かに居るハズだ』と。

そう言えば丁度その頃、初期型の海賊TEEとよく似た物が世に出た。
『地獄商会に先越された』と言ったとか、言わないとか。
『だったら前列ないリスク背負って先に造れば良いのに』…と内心思ったけど。
でもそれでも誰が何を言ったかどうかはどうでも良かった。

それよりフト考えた。
もし逆にウチが先越されてたら?
…そしたら海賊TEEの企画は“幻”になり、世に出る事はなかったと思う。
勿論“TYPE-供匹癲叛帖濂”も全部ナシ、勿論“海賊TEE”の名前も付かぬまま。
そして私は“先に出たソレ”を買ったと思う

自分なら先行く者には素直に敬意を表してしまうと思う。
出来るだけ他人の領域には入りたくないから。
だからきっとスグ諦めてしまう。

そこに意地はない。
性格なんでしょう…。

→に続く。

2010/12/17 (Fri)  ┿嫣を走れ、師走だし。

続き↓

暫くそんな事を悩み、ストレス?解消しないまま'98年に。

その頃から自分の迷いとは逆に?海賊TEEの需要は増えて行きました(少し複雑なまま…)。
そして先の迷いや悩みも解消しないまま、しかし海賊TEEを入手して喜んでくれるお客さん達の表情を見てるとそれは多少紛れたのも事実。

しかし新たにどうにも気になる部分が…。
それは海賊TEEを『不良アイテム』と認識する人が増え、更にウチの店を『輸入MC物の店』と勘違いする人が増えた事(全くサポート店じゃ有りません)。
しかしだからと言って例えばアパレル店(?)に見て欲しかったと言う意味ではなく…。
上手く言えないかも知れないけど、アウトローとか不良とか1%とかワルとか(苦笑)…そう言うちょっと安直?な表現がどうにも堪らなかったのです(イイ大人なんだし、もうちょい何かマシな表現ないんだろうか?って意味で)。

例えば海賊TEEの配色。
『黒×赤』系の配色を造ると必ず『黒×赤=不良っぽい』と言う意見が実に多い。
黒×赤が不良色?
え〜?ホントに??
…認識の違いなんだろう、とは思う。
取り敢えず私には黒×赤=不良なんてこれっぽっちも思えない。

先の話、私が『乱暴者』を観た高校時代。
まだ若く幼稚で無知。
そんな意味で全く偏った見方、狭い先入観しかなく、何もかもちっとも理解出来てなかったあの頃のままの私なら、もしかしたら理解出来た事なのかも知れない。
せいぜい20歳前後の、まだあどけなさが残るような年代の若者が『黒×赤=不良』なんて言うのなら判る。
『若いなぁ、可愛いなぁ』と微笑ましく思える。
しかし大の大人が黒×赤=不良の色??
…正直ショックだった。

勿論決して『黒×赤』が嫌いな訳じゃない。
合わせ方によれば素晴らしい配色、とさえ思う。
しかし『不良っぽい色』…はちょっと悲しい。
少なくとも子供の為に造ったつもりはなかったしなぁ…。

因みに海賊TEEの『黒×赤』系は出すと主要サイズがスグ売り切れる。
売り切れスピードは今まで最短だと発売からたった“3日”。
遅くても約1週間で99%完売、まだそれ以上残った事がない。
確かに商売としては良い。
しかしどうも『黒×赤』の海賊TEEはあまり頻繁に造る気にはなれない…(黒×白も又違った理由であまり頻繁にはやりたくない配色)。
先の理由なども手伝ってか、とにかく『判り安い』色なんだろう。
でもどうにもその判り安さが『=不良の色』と言う認識を呼んでる気がする。

配色には各々実に様々なバランスが要る。
一口に黒だ赤だ言っても、世の中には沢山の黒、赤が有る
それこそ星の数程沢山の『黒』、『赤』が(※人間の目に映る色合い、光加減、濃度、等々…)。

海賊TEEの糸の“染料”にも、例えば赤などは実に沢山の『赤』系が有る。
現在までに例えば赤だけで様々な『赤』系染料を使った。
だから今まで新作海賊TEEを造る度に単純に『赤』と表記せず、例えばレッド、スカーレット、地獄レッド…等々、その“色名称”を変えて違いを表記した。
何故その方法を取るようにしたかと言うと、毎回新作の度に最良のバランスを考える為、微妙に色合いを変化させるのが海賊TEEの製造方法。
それに対して例えば『前の赤と違う』と戸惑うお客さんが多く居た為、この表記方法を採用した訳です。

そしてその微妙な変化を必要とするのがバランスなのです。
もし単純に1つの『赤』を使い続けたら…
その赤と組み合わせるその他の各色。
例えば白、黒、黄、等々…ようするに組み合わせる色によっては同じ赤を使うと『う〜ん…イマイチ』となる事だって有る。
だから『赤』も同じ赤じゃなく、色んな『赤』を使わないと良いバランスが生まれない。
そして『白』も色んな白、『黄』も色んな黄色が必要になる。
しかし例えば『スカーレット』など、その色名称が返って解り難い部分も有る。
だから製品情報を伝える際に苦肉の策で補足として、某かに例えて糸色を説明する方法を取ってる訳です。
店に直接見に来れる人は良いが遠距離の人は通販が多い為、この方法が1番。
製品が上がってからWeb等で紹介すれば良いと思うかも知れませんが、やはり写真じゃ微妙な色の違いは完全に伝わらない。
それに先のようにやたら売り切れが早い色が有った場合、発売後では『もう無い』なんて事になってしまう場合も有るから。
従ってなるべく希望者に希望の色とサイズを少しでもちゃんと渡す為には今の所この方法以外全く思い付かない。

因みに発売前の事前予約制度も大体この辺の理由からだけど、それでもやはり間に合わない人が多く居ると言う事は、数が足りないのかハタ又別の原因が有るのだろうか…。

→へ続く。

2010/12/16 (Thu)  Щ嫣を走れ、師走だし。

続き↓

そんな訳で海賊TEEはこの'96年TYPE-兇ら現在と同じ製造手法に変わった。
以来約15年、形状〜使用する糸等、基本的な部分は現行モデルまで殆んど変わってない。
しかし醒碓未糧妙なサイズ調整が2度程有りましたし、又ご存知のように縞幅や配色等は何度も変えてますが(※因みに“TYPE”の違いは『縞幅』の意味)。

そして初期型が服=シャツの感覚だったのに対し、TYPE-兇任魯汽鵐廛訝奮で“服”としての考えを捨て、ウェットスーツなどをヒントにスポーツ・ウェアの方向へスイッチ。
何故ならインナーウェアとしての機能を持たせたかったから。

縞模様の色合いやそのファッション性は各々のお客さん=オーナーさんが納得行けば良い訳で、特に目立たせるお洒落である必要はないと。
簡単に言えば、“見た目”は季節によって各々が自己満足するだけで十分、真冬などは着用してる事が他人から目立たなくても良いのでは?…と思った訳です。

そしてそれらの考えは再び異例のトライだった為、理解されるかどうかの不安も倍増しましたが、同時にとてもドキドキ・ワクワク、楽しみでも有りました。

結果無事その方向性を解って頂ける皆さんに恵まれた訳で、インナーとしての役目も徐々に浸透、副産物でアンダーウェアとして活用する人も増えた。
結局TYPE-気茲螻Г気鵑忙抻される事になり、TYPE-兇脇映杰Г里泙淪眷'97年も再生産、現在の2倍の量を送り出しました。

そして同じく'97年、更に縞幅を見詰め直したTYPE-靴泙波展する事になりました。

しかし海賊TEE=縞シャツはここで完了と思いました。
縞幅も含め、念願の青×黄は現実になり、何よりスポーツウェア&インナーウェアとしての機能、そして着心地&クオリティーは理想に近付いた。
今後は“無地に絵をプリントした物”でこの製造法を残せば良いのでは?と思った。
そんな訳で縞シャツはもうそろそろ終了しようと思った訳です。

実は終了させようとした理由が他にも有りました。
1つには『縞シャツ』が流行る?と言う感覚が嫌だった。

'97年当時、お客さん達と走りに行った時の事。

もう見渡す限り“シマ”だらけ…。
そう、恐れてたのはこの光景。

お客さん達の中にはシマ模様を着て来るのを避けるような傾向さえ現れた。
やはり皆さん流行るのは嫌だったんでしょう。
当時の自分の中のイメージでは世の中に“縞シャツ愛好家”はそんなに沢山居ないだろうと。
あくまで“マニア”の為の物だろうと。
大体のマニアは流行るのを嫌う傾向が有るのではないか?…だけど逆に“縞模様がそんなに流行る訳ない!”とも…。
だからこれはあくまで一時的な現象かな?とも思った。

ファニーでソフトな雰囲気が有る反面、妙にエキセントリックな感じもする縞模様。
着る人によっては優しく可愛く上品になるかと思えば、又その逆のクレイジー?な雰囲気にもなる不思議な魅力の縞模様。
バイク乗りはド派手でギラギラな感じの人も多いけど、大体が『黒』を好むし、後は『ドクロ』や『炎』好きが多い。
又はお洒落サン系だともっとファッション的な物を好む。
まぁ『縞模様』流行もすぐその内落ち着くだろうと。
各配色に対する『個別ファン』もそこまで数居ないかな?…と。
だから取り敢えずTYPE-靴歪媛胆渋い靴覆い茲心掛けた。

だけど同じ'97年、『海賊TEE、これにて終了!』の広告出したらマジでクレームだらけ。
でも流行るのは皆嫌だろうし…う〜ん、一体どうすりゃイイんだろう?と、マジで胃が痛かった。
そして今度こそ本当に最後のつもりで出したTYPE-検
結局再びクレームだらけ。
それも前にも増して…。

流行ると皆が困る、しかし無いと又皆が困る…。
う〜ん、ホント一体どうすりゃ良い??

だからとにかく限定製造を徹底した。
皆の気持ち、尊厳を守る為にも有効と思い、その皆さん各々に行き渡る分だけ用意すれば良いと考えた訳だ。

…と、同時に『ウチは縞シャツ屋なのか?』と言う違う悩み?ストレス?も有りました。
確かに海賊TEEも自分が生んだ物。
配色、縞幅、その他、毎回常に真剣に配色バランスを考えてるつもり。
単純に『赤』や『青』や『白』と考えるのではなく、赤ならどの『赤』か、青ならどの『青』か、毎回色の“濃度”や微妙な光加減、その他、とにかく“適度なバランス”は大切と、『良い頃合い』を見計らう事に神経を注いでるつもり。

しかし、イラストレーター?としての絵描きとしての部分とかを含めて、『自分の描く“絵”や海賊TEE以外の物、バイクも含めて俺の創る物&造る物は全てこの縞シャツ“以下”なのか?』と真剣に悩んだ。

→┐愨海。

2010/12/15 (Wed)  師走を走れ、師走だし。(タイトル変更!)

続き↓

そんな訳で'70年代にその付録を読んだの時から、どうにも気になっていたのが『乱暴者』縞シャツの“色”。

何せ元がモノクロ映画。
それは余計に想像をかき立てられ…。
青と黄の縞模様…一体どんな雰囲気?
半袖の紺×黄を1つ持ってたので余計に気になった。

しかし初期型海賊TEEが仕上がったばかりの頃。
内心『ホントに誰も欲しがらなかったらどうしよ〜…』と不安だらけだったにも関わらず、心の何処かに『青×黄』が引っ掛かる。
出来ればソレを造りたい。
しかし先に述べた通り、当時ピン!と来る色合いの青×黄生地は皆無。

そうこうしてる内に初期型の発表。
いきなり問い合わせが続き、取り敢えずホッと一安心(※でも今とは全く比べものにならない程のんびりしたムード)。
どうやら清水の舞台からの最初の『着地』はギリギリ・セーフ。
でもホント不安だったからマジ嬉しかった。

でもやっぱり『青×黄』イキたいなぁ。
何とかどうにか造りたい…。

モノクロ作品の中のソレが、本当に『青』と『黄』と言う事&詳しい“色合い”を、それから何年も経過した後で、実物をよく知る人から直接聞く事になるとは、まだこの時は全く想像すらしてなかったが(※何でも実物は既に破片になってるとか…)。

学生当時、映画『乱暴者』を初めて観た時の思い出はお話しした通り。
正直あの映画に対する私の想いは特にそれ程強いものではなかったと思う。

しかし、なら何故ゆえにチノの青×黄に執着したか?
答えはすこぶる簡単『あの映画がモノクロだったから』。

とにかく頭の中に有る様々な“青×黄”のイメージを、どうにかして現実の世界=三次元で、それを自分の目で何とか見てみたかった。
もしかして等身大フィギュアとかを造る人の感覚と似てる?
取り敢えずそんな単純な動機。

…かと言って“忠実に再現”と言う気持ちはそんなに強くなかった。
例の付録の本にアレは“スウェットシャツ”と有ったけど、ソレにする気はなかったです。
勿論映画を参考にした部分も有りました。
それは…
先ず縞の本数、そして手首リブの長さ&腕部分の雰囲気(※チノ・レプリカだけはその『青×黄』の色合い)。

で、そうこうしてたら天の声…
そんな私の発想を偶然知ったらしい、服飾業界のある年輩のベテランが突然店に。
『生地から造れば?』
『え?それ可能?』
『可能。勿論日本製で。』
『マジですか?』

多少服は好きでもその手の修行した人々に比べれば、完全な素人レベルの知識しかなかった私にはとにかくとにかく衝撃でした。

しかしよくよく説明を聞いてみると『時間も手間もかかる』そして製作コストも初期型より又高額…。
当然\販売価格も値上げ必至。
初期型でさえ当時は異例に\高いのに…。
又々そんなもん造って、その\値段の意味まで本当にお客さん達は理解してくれるだろうか?
又々不安。
だがどうしても諦められない。
まだ新規オープン直後、初期型からまだ日も浅く、再びの『冒険』は資金面での不安もかなり有ったが。

だが結局頭の中の妄想『青×黄』、それがどうしても見てみたいと言う単純な欲求、結局それが勝ってしまった。
…で結局『即決』。

初期型からたった数ヶ月、初期型誕生と全く同じ1996年の事。
そして念願の『青×黄』を含む、4配色バリエーションで“TYPE-供匹誕生。
その時から初期型の愛称は“TYPE-機匹箸覆辰拭

TYPE-兇論茲沙紊ら始まり、それを生地にしてから裁断→縫製する製造方法を採用。
そして日本製。

当時まだ、特に我々のようなバイク関係の業界では、このように先ず糸から生地を造って製作する方法は稀で、特にこうしたTシャツ的な物は『たかがTシャツでそこまですると製作コストが\高い=売れない』と言う考えが定説のような雰囲気でした。
そんな意味でも当時この製作方法や諸々は異例中の異例だったようです。

因みにこの生地は当時はまだ“厚地”の部類でした。
現在何故かより厚地にするフシが有る為、今では程よい厚さのミドル級に配置変えしたと思いますが(苦笑)。

余談ですが、皮革の世界も過去“厚さ競争”みたいなものが有りました。
最近それではあまりに使い勝手も良くないと解った為、今では各業者さん達共アイテム毎に“程良い厚さ”を選ぶ傾向に変化しました。
そう言う意味では皮革関係に比べ、生地部門はまだ色々落ち着いてない部分が有るのかも知れません。

性能や耐久性など、単純に厚くすれば良い訳ではく、先ず素材の“性質”第一、次に仕立てやカッティング等“造り”、そしてやっと“厚さ”と思いますので。

→Г愨海。

2010/12/13 (Mon)  いつの間にか師走

続き↓

そしてその『乱暴者』を観た頃。

話は前後するが'74年に銀座スバル座で映画『American Graffiti』を観た(手前16歳)。
因みにこの封切りが日本初公開で、この時のロードショー公開は殆んどヒットせず。
『American Graffiti』がヒットするのはそれから数年後。

'77年位にSONYから“ステレオ・ジルバップCF-6500”と言う巨大なラジカセが発売され、それのTVコマーシャルで『ジルバを踊ろう!ジャック&ベティ』と言うキャッチフレーズ、アメリカン'50sを描いたCMが放映され、そのCMが爆発的大ヒット(…と、言っても今の規模で考えると、極々1部の人にせいぜい小〜中ヒット程度?…※余談だがキャロルも現役当時の音楽シーンでは中ヒット止まり、キャロルのレコードは解散後のが間違えなく本気で売れた)。
とにかくそのSONYのCMは1部の若者達が熱中し、CMで流れたオールディズR&R(※大体がカバー・バージョン)、そして“ジャック”役の白人青年(※多分モデルさん)が着た白無地Tシャツ、そしてバーシティジャケットorレターマンジャケットorアワードジャケットなどと呼ばれる(※他にベースボールジャケットorスポーツジャケットorクラブジャケットなど色んな呼び方が存分する)、通称:スタ・ジャンが流行った(※因みにスタ・ジャン=スタジアムジャケットは戦後の日本のメンズ服飾界を発展させた立役者、かのVAN JACKET INC.の総帥、故・石津謙介氏が名付け親で完全なる和製英語)。

他にこのCMの影響でLevi's501が売れ(※後のヴィンテージ・ブームの事ではなく、古着〜新品に関わらず人気で、この頃は普通に売ってる新品がまだ全部“赤耳”だった)、サドル・シューズやレタード・カーデガン、そして様々な'50s古着が流行。
因みに古着はまだどれも安く、古着だと革ジャンで\4000〜9000程度で買えた。
そして何よりポマード(※まだ油性オンリーの時代)とクシが売れた。
丁度その頃“クリームソーダ”も少し前にオープンした原宿店に続いて新宿店をオープン(※因みに新宿御苑に有った→勿論今は無い)。
そしてその頃TV版アメ・グラのご存知『ハッピー・デイズ』も東京12chで放映開始。
そんなこんなで『American Graffiti』もリバイバル公開され、やっとヒット(※更にそれから数年後の'80年代初頭、原宿ローラー族の流行により『American Graffiti』は繰り返し上映され、まさに伝説の映画となった)。

随分話が反れました…が、我が“高校時代”の頃の話に戻しますね(…汗)。
『American Graffiti(※初公開時の)』や場末の名画座で『乱暴者』を観た頃。
月刊スクリーンだか月刊ロードショーだかに付いてた付録が有った(一応ドチラも真面目な映画雑誌)。
それは『映画の中の音楽&服装』を結構詳しく解説した豆辞典みたいな本(※本の付録の本→現在は紛失…)。
多分誰かしら有名な?評論家みたいな人が書いてた本だったと思う。
そしてそこには実に様々な、音楽〜服装までの詳しい解説?みたいな話が載っていた。

例えば『理由なき反抗』ならジェームスディーンの例のマクレガーの事は基より、同映画でジミーが着てた白無地Tシャツの事まで(※因みにその本によると『American Graffiti』でジョン役のポール・ル・マットが着てたTシャツはこの『理由なき反抗』でジミーが着てた物と同じメーカーだったとか…※※『アメ・グラ』で同じくジョンが着てた紺色ジャンパー、『GREASE』の冒頭シーンでダニー役のトラボルタが着てた水色&赤色ジャンパーもジミーと『型違い』で同メーカーらしい)。
他にも『アメ・グラ』内でテリー役のチャーリー・マーチン・スミスが履いた白×白サドル・シューズの事や(※彼は1シーンだけ白×黒を履いてる→多分編集ミス…)、取り敢えずそんな事が沢山書いて有ったような。

そんな中で『乱暴者』のチノは映画の衣装さんが1着だけ造った“青×黄”ストライプのシャツを着てたと有った(※確かスウェット・シャツと記して有った)。
そして彼=リーマービンがそれを気に入り、映画の撮影後に個人的に譲り受け、それを又米国の某MCの人に譲ったと書いて有った。

因みに当時『乱暴者』を観た時の感想を追加すると、先の通り純真無垢な少年時代の私には、あくまで魅力的なシマ模様のシャツと何だかコッペパンか長靴みたいなジョニーのブーツ位にしか興味は持てず(※後に『GREASE』を見てやっと、それがどうやらエンジニア・ブーツなる物と知る)、例えばチノは異常な馬面(顔が異様に長い…)の単なる酔っ払いにしか見えなかったし、ジョニーは髪の毛が妙に薄い若ハゲ?の少しぽっちゃりデブ?みたいにしか見えなかった…。

しかしあくまで純真で無知な少年時代の事、どうか皆様寛大なる心で平にお許し下され…。

→Δ紡海。

2010/12/13 (Mon)  いつの間にか師走

続き↓

CONCRETE PIRATE 海賊TEE。
マジでホントに売れる訳ないと思っていたから、当初は最初の1作(※先の2配色)だけで終わりのつもりだった海賊TEE。

唯一の心残りは先の出来合い生地に『青×黄』がなかった事…。

だが探せばどうやら紺×黄の生地は確かに有る様子。
でも紺×黄じゃ駄目だった。
そりゃイメージとちと違う。
理想はどうしても『青×黄』。

それは1970年代の丁度ド真ん中。
高校時代に学校フケて\300で見た白黒映画と、当時読んだ映画の本に付いてた付録が原因だった。

映画はお馴染み『乱暴者』。

当時どうしても観て見たくて、『ぴあ』だか『シティロード(※ぴあのライバル誌)』でずっと探して探してやっと神奈川の白楽と言う場末?の映画館でやってるの発見。
1人授業を午前で早退して行って見たが、えらく遠いは(※当時の感覚では)迷うはで、現地にやっと着けたらカラスが鳴いてる夕焼け空だった。

それでもやっと『観れた』時は嬉しかった。
勿論当時はビデオもDVDも無かったからね。
おまけに当時『乱暴者』は滅多に上映されなかった記憶が有る(本気で人気無かったか、それとも他に何か問題有ったのかな??)。

…で、やっと観れた感想は正直ちょっとガッカリ。
幾ら当時('70年代)とは言え、普通の映画はもう99%カラー作品だったし、内容もBGMも、もうちょい凝っててそれなりの迫力が有った。

だが初めて観た『乱暴者』は、先ず冒頭で唖然…。

マーロン・ブランド達が単車連ねて走るシーン。
どう見てもスタジオか何かの室内に“置いてある”単車に先頭走るM・ブランドが“股がってるだけ”…で、その後ろに“スクリーン”か何か有って、そこに後を走る仲間のシーン(フィルム)が写し出されてると言う、かなりチープな特撮(…と言って良いかどうか…)。
大体M・ブランドだけコーナーで身体を左右にリーンしても“単車”は殆んど傾いてないじゃん(汗)?
達人技?みたいな超リーン・イン走行(…っつ〜か全く走ってないンだけど…)。

とにかくいきなりの先制パンチ(それも、最悪な方の…)。

そして肝心のBGM。
音楽、特にR&BとR&Rに目が無かった当時の俺(今もだけど)。
大好きな単車、そして大好きなROCK'N'ROLL。

『乱暴者』は1950年代の作品。
当時海外のバイク乗りの事情や背景&歴史なんて、コレっぽっちも知るよしもないあの頃の俺は、常にポマード頭で1950年代=ROCK'N'ROLLと信じて疑わなかった(※因みにまだキャロルが現役で、'50sの殿堂“クリームソーダ”もまだ無くて、新宿に“怪人20面相”だけ有った頃……その後、初め原宿、次に新宿に相次いでクリームソーダが誕生した)。

それがどうだい?『乱暴者』の音楽と言ったら劇中のダイナー?のジュークボックスで流れるのさえ『JAZZ』…。
後のBGMなんてサッパリ判んないし、全然ノラね〜。
とにかくドっちラけ。

幾ら今から40年近く前の1970年代とは言え、音楽だってもうチョイ激しいロックに慣らされてた当時の若者にはちょいと刺激不足…。
今考えれば、それ程あの時代の感覚は'50年代と'70年代じゃ『全然違った』。
今ならたった20年位大して変わりゃしない気もするが、あの頃の20年の差はそりゃ〜デカイ。
取り敢えず善くも悪くもカルチャーショック(…と言うか何かガッカリ)。

でも『乱暴者』で少しだけ気になった部分。
それがご存知リーマービン演じる“チノ”の着てるシャツ、そしてM・ブランドの履いてるブーツだった。
何故かその時点ではジョニーの革ジャンパー=RIDER・JAC(※当時語)にはそれ程興味湧かず。

当時キャロルのジョニー大倉氏とかがこの手のジャンパーを着ていたが、それより何より当時通称ダブ・ジャン(当時語)は月刊オートバイや月刊モーターサイクリストの広告に出てた『コミネ・オートセンター(※因みに近所)』で売ってたオリジナルW襟の革ジャンの印象が強く、又その手の革ジャンは当時かなり“健全なタイプのライダー”御用達だった為に、まだ何も知らない無知で純真無垢な高校生だった俺は、それこそ今まさにココで話してるような、勝手なイメージ=図式に支配されて殆んど全く『興味』すら湧かなかった(反省)。

なのでWの革ジャン(※当時語)にハッキリ強く興味が湧いたのはそれから数年後、19〜20歳の頃封切りになった映画『GREASE』からだった。

あと『乱暴者』の登場バイクに関しても、例えチノの乗るHDもジョニーのトラさえも、当時の俺には全く興味湧かず…。
多分当時の俺はもっと贅肉のないチョップした単車か、絞ったハンドル&風防のプレス仕様にしか興味無かったんだと思う。

→イ紡海。

2010/12/12 (Sun)  いつの間にか師走

続き↓

因みに『TYPE-機拈什郢に見た生地サンプルは赤×白、黒×白、茶×白、サックス(水色)×白でした。
しかし先の話のように当時ではまだ珍しい国内生産。
製作コストも例がない分、ホントにやっぱり高かった。
当時、皆こぞって海外で生産してた理由の1つには、多分この製作コスト削減の目的が有ったと思う。
なので国内生産で押し進める以上、それなりに資金リスクが有りました。
正直その4配色の生地の候補からは、2種類造るのが限界…。
従って2種類に絞る事にしました。

私が1970年代に地元アメ横の安売りワゴンセール(当時確か\980)で買って以来、ずっと愛用してた半袖の横ジマTシャツが有りました。
それがたまたま赤×白でした。
なので最初に赤×白を決めました。

さてもう1つは何にしよう?
周りは黒×白が良いと。
だが赤×白と黒×白と言う“組み合わせ”は、ある意味どうも安直に思え、当時の私にはどうしてもスッキリ結論を出せなかった。

黒×白→『何だかパトカーみたい』。
茶×白→『う〜ん…』。

実は1つどうも気になる色が…。
サックス×白。

赤×白以外で1番それが目を引いた。
こうして“初期型”の色は決まった。
そして『海賊TEE』と命名。

これは先にお話した当時の最初期オリジナル・プリントTシャツに『Ass kickin' Cool Iron Sporty』と言うショベルSPORTSTERのエンジンの絵を描いた物が有り(※単純に自分の愛車がIron Sportyだったってだけ)、そのイラストの中に『ニッキー・アンティーク・ショー』と言う文字を入れました。
これは故・石原裕次郎さんの映画『憎いあんちくしょう』を語呂合わせした単なる駄洒落。
IRON SPORTSTERを『憎い程可愛い奴』と例えたつもりで付けたネーミング。
当時このCool Iron Sportyシャツを別名『憎いあんちくしょうTシャツ』と名付けました(※因みに仲間の1人には不評でよくからかわれた…苦笑)。

そんなこんなで当時、まだ製造途中だった初期型“横ジマ長袖Tシャツ”のネーミングも考えてた。
別にわざわざ名称なんて要らないか?とも思ったのですが。
でも何となく何か『名前』を付けたくて。

因みに我が親のように大正生まれや戦中派の世代(※皆さんだとお爺ちゃんお婆ちゃんの世代かな?)の縞Tシャツの愛称は『マドロス・シャツ』(※語源はオランダ語で水兵さんをマドロスさんと言った為)。
我が青春時代はロックンロールのイメージ?ハタ又単なるネジリん棒の意味?からか『ツイスト(T)シャツ』。
英語だと?どうやら『ストライプ・シャツ』。
当時は現在のように『ボーダー』と呼ぶのは殆んどまだ婦人服中心の、妙にアパレルっぽい感覚だった(所謂、女性服とかのカットソーの1種として)。

そんな訳で当時住んでた中野のアパートで1人風呂につかってる時。
当時、製作決定したばかりの“初期型”の生地色の1つ、『赤×白』を思い浮かべていると、頭に少年時代の思い出『人形劇:ひょっこりひょうたん島』の赤×白縞シャツを着た片目の海賊『トラヒゲ』が。

瞬間、『あ、海賊!』。
私は片耳が不自由なので『片目=独眼』も妙に気になった。
そして当時、渡米した際にTシャツを『TEE』と表記する方法を知った(実際それまでTシャツを『TEE』と表記するのを日本では見た事がなかった)。
それが妙に新鮮で。

風呂で突然頭に浮かんだ『ひょうたん島』の独眼海賊トラヒゲ。
そして米国で刺激を貰った『TEE』表記。
そしてそして、少年期に絵〜バイクまで沢山影響受けた漫画『ワイルド7』に出てくる『コンクリート・ゲリラ(=都市ゲリラ)』。

常に渋滞してる街中のアスファルトの上を“スリ抜けチョッパー”に乗って走り回る人々を想像した途端、その『コンクリート』が気になった。

風呂から出た時にはすっかり『CONCRETE PIRATE 海賊TEE』のネーミングが自然と出来ていた(※以来『CONCRETE PIRATE』は海賊TEE以外でも服造る時の名称になった)。
※※因みに『製品名』はすぐ浮かぶ時と全く浮かばない時が有りますが(…)。
かなりツマらん名称が付いた製品の時は『良い案浮かばなかったのね…』と苦笑して下さい。

そんなこんなで今から約15年前、1996年に初期型の海賊TEE(TYPE-)は世に出た訳です。

しかしやはりアノ頃にはまだ珍しかった日本製。
製作コストが高かった分、販売価格も当時としてはやはり“異例”に高くなった。
だから余計に売れる自信がなく、正直ホントに不安でした。
“店”として再デビューしようって時にいきなり清水の舞台から飛び降りる気分…。

以来『清水の舞台から飛び降り続ける…』は、地獄商会の標語?となった。

→い愨海。

2010/12/12 (Sun)  いつの間にか師走

続き↓

時は同じく1995〜96年の頃。
オリジナル製品の1つとして最初の海賊TEEを製造する事になった時。
きっかけとしては単純に当時は手首リブ付きの長袖縞Tシャツが何処にも無かったから…だったのですが。

10代の頃(1970年代)から縞のTシャツは好きで割りとよく着てました。
ですがどれも半袖メイン(※タンクトップは1着持ってた)、長袖ので理想のは全く無かった。

それまでの縞Tシャツで“長袖バージョン”だけは何故か袖口にリブが無く、スパッと切れたような袖口が特長の“横ジマ模様のカットソー”と言う雰囲気の物しか無かった。
唯一“リブ的な物(※リブと言うには少しユルい感じだったけど…)”が付いてたのは横縞ストライプのモヘアのセーター位しか存在してない時代。
実際私も1980年代にそれらを着てました。
それ以外で袖口にしっかりしたリブが付いてる『横縞』の長袖シャツは“シャツ襟付き”のラガーシャツのみの時代でした。

そんな感じでずっと“袖口リブ付きの長袖横ジマTシャツ”には出会えないまま時が過ぎました。

昔渡米した際。

『きっと米国なら有るかも知れない』と。

デイトナ・バイクウィーク、そして古着でも良いからと田舎の古着屋など…色々アチコチ見てみました。
しかしやっぱり何処にも無い。
一応映画『乱暴者』の話なんかもしてみたけど、返って来た答え『アレは無いよ』…。

探すのも段々面倒になって来て…無いなら造るか?と思い始めた。
そしてアチコチの工場に当たってみたが良い返事は仲々聞けない。

でも諦め切れず七転八倒してたらやっと造れる事となる。

だが当初はあくまで自分や自分の仲間達が着てみたいと思った程度。
だからオリジナル品と言っても正直まともに売れる自信すら無かった。

何せマジで何処にも無かったし、しかもたかが縞のTシャツ。
全く興味ない人から見たら単なる“横ジマ模様で丸首の長袖シャツ”だ。

こんなもんワザワザ造って一体誰が要る?

せっかく新しい“店舗”作ってるのにリニューアルオープンした途端、店潰れるかも??

…マジで色々不安だった。

だが妙に興奮もした。

『例がない』…どうにもコレが堪らない。

それに当時はオリジナルTシャツと言えば、例えばプリントTシャツでさえ、大体が米国メーカー(※何故かアジア製の米国ブランド)のTシャツをベースにプリントするのが当たり前、そしてそのプリント作業すら米国に発注するのが1番クオリティが高い?と思われてる風潮すら有った。

特にこと“コノ業界”では…。

もしもベースのシャツから造るとしたら米国のメーカーへ別注かけなきゃいけないのか?…と。

う〜ん、何かどうも釈然としない。

それは素朴な疑問でした。
『何故この業界はメイド・インU.S.Aにこだわるのだろう?ハーレーやチョッパーが米国生まれだからか?何か日本の技術の方が良い気するんだよなぁ?』

だから例え縞シャツ、それもたかが長袖Tシャツだとしても、決して何処かよその国ではなく、先ず日本国内で造る事が大切だった。

しかし当時はコレ又あまり誰もやりたがらない?昔は有ったかも知れないが今はとっくに死滅してる?とさえ思えた、ある意味時代遅れ??みたいな珍しい手法。

やっぱり『あまり例がない』。

あまり例の無い事柄にチャレンジする時は燃える。

どうにも興奮する。

それに渋滞は嫌いなんだ。
混んでる所は大の苦手。

だから全く人気のない、とってもガラガラに空いてる方向へ行きたくなるんです。
確かに“行く先には誰も走ってない”と言う不安は失敗=廃業と言うリスクと常に隣り合わせ。

しかしどうにも魅惑の世界。
“不人気”…あぁ、なんて素晴らしい響きの媚薬のような甘いフレーズ。

そんなこんなで最初の海賊TEEは普通に売ってる生地(縞幅3.2臓3.2)を使い、袖口に8造離螢屬付いて生まれました。

しかしこの時点ではTYPE-(縞幅3臓3)以降の歴代モデルを造る事になるとは夢にも思いませんでしたし、先の最初期型を『TYPE-機戮噺討屬茲Δ砲覆襪里六紊ら先ず生地を造ると言う現在の手法へ移行する最初のモデル、この『TYPE-供戮出来てからの事(※因みにこの『TYPE-供戮ら現行モデルと同じで袖口リブは10造砲覆蠅泙靴)。

→へ続く。

2010/12/12 (Sun)  いつの間にか師走

久々の更新です。

本当はもっと早く、VM宮崎の時の色々を書かなきゃと思ってたのですが、すっかりタイミングを外してしまい、今更その話題も出来ないし(申し訳ない…)、何か違う話題にしたいと思います。
それに現在2011年バージョン海賊TEEを製作中と言う事も有るので、今回は少し海賊TEEの誕生した頃の話を含めながら色んな話をしてみようかと。

所でウチは決して縞シャツ専門店ではないつもり(苦笑)ですので、その辺はどうか暖かい目で宜しく…。

時は今からさかのぼる事約15〜16年前、1995年。
その頃それまで工房のみだった地獄商会を、現在の店舗の形式に直す準備に入っておりました(地獄商会を始めたのは20年前で約15年前に店形式に変更)。

店形式になる少し前から皮革ベルト、皮革財布(チェーン・ウォレット)など、幾つかのオリジナル品を製作し始め、続いてプリントTEEを数種類、そして海賊TEEの初期型を造りました。
そして1996年8月に地獄商会は現在の店形式になり、それらオリジナル品の販売を開始しました。

現在は以前から続く1点物の製作や上記のようなオリジナル品がメインですが、'96年当時にはその他に幾つかの輸入物も有りました。
古着も有りましたが、それよりも米国の各地HDディーラーTshirtや、同じく米国やカナダのローカル・バイク店orチョッパー店の衣類やグッズや部品など、今思い出しても仲々珍品揃いの、結構面白い物も置いてました(※どれも新品の1点物ばかりでした)。
敢えて『有名ドコロ』は外してチョイスしたのですが、悪く言えば無名、よく言えばレア?…ようするに殆んど世間に知られてないような、いまだに滅多に見ないような、かなり珍しい物ばかりが沢山有ったと思います(※現在は取り扱いしてませんので悪しからずです!)。

そしてその他にもリー、リーバイス、ハーレーBIKERブルースなど、デッドストックじゃない新品の、当時米国で売ってるそのままのGパンの『現行物』を輸入、なるべく日本人でも裾を切らずに履けるようにと、“各サイズ×各レングス別”でストックしてました(※同じく現在は取り扱いしてないので悪しからず)。
そしてそのGパンなのですが、私がとにかく若い時代から特に黒Gパンが好きだった為、ブルージーンズは全体の約2〜3割程度(Levi's517の糊付きアンウォッシュとLee200のみ)。
後はLevi's517(黒)、505(黒)、ハーレーBIKERブルース(黒)と、全〜部“黒”(※因みにコレらも当時の日本ではその存在ですら、どうやらあまり知られていない様子でした)。

それら黒パンツは全体の7〜8割を占めていたので店内のGパンの棚はほぼ“真っ黒”でした(※しつこいようですがあくまで昔の話、現在はGパン自体殆んど無いからね!)。
大体がストレート〜ブーツカットでしたが、とにかくブラック中心。

そしてその頃。
ブラックなボトムスばかり置いてるのを見た、とあるお客さんに『ヘビメタ用?』と聞かれた。

正直、何故そんな偏見的イメージを持つのか少し不思議でした。

だが'96年当時はバイク乗り、特にハーレー乗りやチョッパー乗りにはブーツカットの“ブルージーンズ”こそ王道と言う雰囲気が、どうやら定着してたようだった。
当時はまだスリム、ストレート〜ブーツカットに関わらず、黒Gパン=“パンクスorヘビメタ”等、ロッカー御用達みたいな図式の、ある種固定イメージ?が先行してた時代だったと思う。

そんな訳で当時は『もっと広い視野で。海外の俳優やバイク乗りだって色んな人が黒Gパン履いてるよ?』なんて話をよくした記憶が有ります(※因みに個人的には黒パンツに茶色靴を合わせるのが好きです)。

現在では、例えば黒Gパンを以前のように“ヘビメタ御用達”だと言う人も殆んど居ないし、今では逆にバイク乗りの1つの定番になった。
しかしアノ頃、例えば黒Gパンを“ロッカー御用達”から“バイク乗り用”に『イメージ変更』したかった訳では決して、ない。

勿論“米国の真似”して欲しかった訳でもない。

そうじゃなくて! ○○イメージ〜○○専用と言う、そう言うある種の“ジャンル分け”の感覚を取っ払いたかったのです。
だからその当時は先ずその図式?世間の認識?を崩す必要が有った。

そしてアノ頃、伝えたかったは決して“アメリカ”ではない。

果たしてその方法が正しかったかどうか…イマイチ自信ないですが(汗)、生のアメリカ、それも全く特種なんかじゃない、ある意味普通の“日常のアメリカ”を通し、もっと固定観念に縛られずに視点をちょっと変える方法を紹介したかった。
なのでアノ時代のウチにはまだ知られてないローカル製品や日本では珍しいタイプの黒Gパンを『押す』必要が有った訳です。

→△紡海。

2010/11/8 (Mon)  ニャンパーセンター:5(ファイナル)

皆様…先日の我が親父の件に続き、今回も又々私的な話、それも明るい話じゃなくて申し訳ないですが、最後まで読んで頂いた皆様には深く心より感謝致します(※しかも今回特に支離滅裂な文章続きかも判りませんが悪しからず)。

しかし本当に美智之介と風空太郎にはその心意気から、もうあげたらキリが無い程沢山の『教訓』とお手本を学びました。

話が外れますが、宮崎から帰ってスグ、美智之介の件とか色々忙しい最中のとある深夜、突然酔っ払い2人が店に。
どうやら東洋系外国人で(言葉も余り通じず)、少々目に余る行動が多く、少しトラブルに。
勿論諸々既に解決済みで、具体的なやり取りの様子や顛末をここで記すのは主旨が違う為悪しからず省かせて頂きますが、彼らの意識の中での日本の店はマニュアル志向=『表面上』のサービス過剰、お客様は皆神様、そして日本人は皆『軽く』利益のみ、真剣に働いてないと言う誤った認識で来た為に起ったトラブルでした。
取り敢えずこちらとしては外国人か日本人かはどうでも良いので単純に『日本の店』としてではなく、やってはいけない事と地道に働いてる日本人も居る事を伝えました(正確には解決まで数日要しましたが)。
実は本日もちょっと姿勢が問題の親子で営んでる問屋さんへ行かなきゃならないのですが(※先日既に忠告しましたが、まだ諸々中途になってる事が有る為、ある意味仕方なく行きます)、そこの会社などは『これでよく今までやって来れたな…』と逆に感心してしまう位、今だ信じられないヒドい態度。

ハタ又似たようなマニュアル言語でまくし立て、詐欺まがいの手口で強引に何かの契約を取りつけようとする数々のTEL営業。
利益の為に『偽ビジネス』してる認識有るような方も多々居るようですが、幾ら利益の為とは言え『嘘』ついて商売しちゃ情けない=半端な事してるのは事実。
何より軽過ぎる。
それじゃ男も女も結局自分が下がる。
知らず知らず幸せからドンドン遠ざかってる(先日そんな1つと対面、詐欺を恥じたので一応終了)。

それじゃ勿体ない。
幾らどんなに腐った嫌な時代でも、やはり真剣に生きないと心底『幸せ』感じない。
幾ら『一瞬』楽しくてもそれじゃ絶対満足出来ないようになってるのが人生。
だからどうか謙虚に真っ直ぐ生きて欲しい。

今回ある意味『親バカ』的な美智之介と風空太郎のお話させて頂き、そしてVM宮崎に行ったおかげで手前も色々『真っ直ぐ純粋に生きる』と言う事を改めて考えさせられました。
かく言う手前も来年2月で53歳。
最近は時々派手に長引く病気するようになり、自分の身体も色々不安になる事も有るけれど。
一体自分の寿命は幾つまでか?なんて時々考えますが…
取り敢えず無事生きてれば後7年少し、出来れば60歳まではこのまま突っ走りたいと(無事60歳に成れたらそれから先を考えたい)。

そして美智と風空。
君達は無事『天国』行けたかな?
ウチの屋号は『地獄』だけど、君達は絶対『天国』に行って下さい。
でもウチの屋号って本当は…地獄のような世の中で本当に必要としてくれる方々にはとびきり“天国”で在りたい…って意味合いで付いてる名前なんだよね。
『地獄=不良』だとか、『メリケンなアウトロー何とかの店』だとか、つい“ソッチ”想像してしまうって実は『浅はか=軽い』と思うでしょ?
その勘違い=軽さ度合い試す意味でも必要な屋号(※そこ判ってる人には判ってる筈)。

だから美智&風空、君達は必ず天国行ってよね。
君達には本当に色々教えられた。
がむしゃらな格好良さを教えて貰った気がしてる。

だから俺も何とか死ぬまで信じた方向へ真っ直ぐ生きてみたいと思う。
何処まで君達に近付けるか否かは皆目不明ながら…。

まだまだ親父の事やらそれ以外も色々有るけどサ。
でも残った俺は少しでも君達を見習い、少しでも君達に恥じない生き方してみたい。
出来る限り真っ直ぐ、残りの人生精一杯頑張って生きて、そんで『ボロは着てても心は錦』で死にたいな。
全くいつかは判らんけれど、その時…
エンマ様に『天国』行って良いって言われたら俺もソッチ逝くよ。
もし生前『地獄商会』営ってたから地獄行けって言われたら(取り敢えず単車有る方行きたいけど)、エンマ様の目ェ盗んで時々ソッチ会いに行くね。
生前お前らにゃちっとも良い思いさせてやらんかったかも知れんが、それでももう1度いつか必ず君達に会いたい。
その時君達が俺をまだ憶えてて、嫌いになってなけりゃどうか迎えてね。

さよなら美智、さよなら風空。
今はまだ別れがつらいけど。
でも頑張って生きないとね!
ありがと。

☆皆様、最後まで読んで下さり本当に有り難うございました。 本当に私的な事で御免なさい!☆

2010/11/8 (Mon)  ニャンパーセンター:4

そんな義理堅い美智之介。
例え俺の単車でも決してシートもタイヤも絶対『爪』を立てないでくれた。
半身付随になってからもやっぱりバイクの下は大好きだったようで、いつも俺の単車のクランクケースに身体を擦り付けていた。
しかし他人様のバイクは滅多に触らず、俺の単車とちゃんと区別してた。
風空太郎は全て君の真似をしてたのかもね。
彼には更に何も教えてないのに、おかげで風空太郎も俺の仕事と単車に関する物だけは絶対悪戯しなかった。

半身付随になってからの美智之介は大好きな『外』を走り回れない分、更に食欲のみを追求してた(※下半身の機能が駄目なので排泄は我々人間の介護を要した→本人も辛かった様子)。
だがその大好きなメシすら、絶対誰にも譲らぬ程好きなのに、風空太郎がわがまま言えば遠慮するのか譲ってあげた。
風空太郎にだけは本当優しかった美智之介。

でも幾ら優しい美智之介でもどうやらソコはケジメが有るらしく、普段は風空太郎がただドタバタやってても『耳』だけ動かして聞いてるだけ、ほぼ無関心。
放任主義?と言う感じでただ何処からか見てるだけ。
ある意味微動だにしなかった。
ただ風空太郎の身に何か迫ったり、本気で心配な時だけは誰よりも速く、もの凄いスピードで風空太郎の元へ駆け付けた。
そしてそんなイザッて時に本気で頼りになる兄貴:美智之介を本気で慕った弟:風空太郎。
これが本物の信頼関係か。

あの世で風空太郎が兄貴を『本気』で呼んだのかも知れない。
風空太郎に本気で呼ばれたら美智之介は例え誰が止めても必ず行くだろうから。
もし風空太郎がまだ生きてたら…きっと美智之介も必死で生還したかも知れない。
奴らはそんな2人、いや、そんな2匹。

だから今頃きっと又一緒なのかな…。
いや、必ず一緒に居て欲しい。
そして今度こそずっと、もう2度と再び絶対離れないで欲しい。
コッチに残った人間達はホントはちょっぴり寂しいけれど。
でももし本当に奴らがずっと一緒に居れるならそれ位我慢しなきゃ。

しかし美智之介はもとより、例え風空太郎だって、果たして生前本当に幸せだったのかどうか判らない。
例え人間同士だって本人以外の本当の気持ちなんて正確には判らないのと似てるかな。
ましてや人と猫。
『美談』で片付けるのはどうも無理…。

生前、実によく食べた美智之介と風空太郎。
特に美智之介は半身付随になり『色気』がご法度になって外に出られぬ分、1番の楽しみは『食』だったから最後病院で全く食事を取れず点滴と流動食しか食べさせてやれなかったのも本当に悔しい。

来年53歳になろうってのに、まだ取り敢えず食欲だけは人並み以上で、まだ『よく食う』部類の俺は最後、食べたくても食べられなかったお前の事を考えるとどうにも辛い。
『美智之介の分まで食べてあげて』と誰かが言うが、どうにも堪らん。
俺が代わりに食った所でお前の胃袋に入らなきゃ何の意味もない。

果たして奴らはあの世でちゃんとずっと一緒に居られて、思う存分走り&飛び、そして思いっ切り好きなだけ好きな物食べられるんだろうか。
半身付随の消化機能の低下からその『食』すら病院で許可された物、ようするに特種な餌しか食わして貰えなかった美智之介。
時々こっそり色々、ホンの少しだけ『内緒』で食べさせてあげたけど。

本当に奴は幸せだったのか。
果たしてどうなんだろうか。
特に美智之介はどうだったんだろう。
やはり風空太郎が居たから今までしぶとく生き続けたのかな。

でもこれだけは言えるんだ。
間違えなく、俺は美智之介と風空太郎に出会えて幸せだった。
出会えて良かった(つい怒ってしまった事も多々有ったのが本当に申し訳ない限り…至らぬ飼い主ですまない気持ちで一杯)。

そして本当に君達には色々、本当に沢山沢山教えて貰った気がしてる。
本当の信頼関係とは何か。
決して甘やかす事じゃない。
決して服従する事でもない。
互いの権利と尊厳を尊重した上で本当に『互いの力が必死な時だけ』ちゃんと協力するその姿勢。

そして相手を羨む事もせず、領域を侵害されない限りは穏やかに生きる事の大切さ。
本当の平和の意味。
真から楽しむと言う事の素晴らしさ。
ただひたすら謙虚に、真っ直ぐ『地道』に生きる格好良さ。
そして決してブレない純粋な愛情。
そして仁義。

子供だ大人だ関係ない、善い事は善い。
悪い事は悪い。

『頭』でアレコレ考えるから偽善になる。
自分がされて嫌な事、他人にしなけりゃ正しく筋も通る。

まさにボロは着てても心は錦だね。

・・・続く→(※↑上の写真は只今販売中のネコモンP155にも掲載中)

2010/11/8 (Mon)  ニャンパーセンター:3

連日病院に美智之介に面会行く毎に『今夜危ないかも…』と言われてた。
病院が店から近い浅草の吉原なので日々店で待機したが、毎日毎晩気が気ではなかった。

そしてあの晩…。
その夜の美智之介は珍しく容態が穏やかだった。
病院からも『今夜は大丈夫』と言われた夜だった。

面会から帰り、それでも気になり病院に再度TEL。
そして『容態安定』を再確認して久しぶりに現在の家に帰り着いた途端。
突然の危篤、容態急変の知らせ。

…結果、今は離れて暮らす俺は勿論、美智之介の病院に近い元カミさんですら間に合わなかった。

『野良猫は死に目を見せない』と聞いた事が有る。
風空太郎は元カミさんと美智之介の目の前で普段通り遊んでる最中、突然倒れそのまま逝ってしまった。
しかし美智之介は最後までまるで『野良猫』精神だったのか。
病院の先生まであざむいて逝ってしまったのだろうか。

まだ眼も開かない内、捨て猫として病院に保護され、一緒に生まれた『本当の兄弟達』は次々貰い手=各々に里親が決まったのに、最初から暴れん坊で落ち着きがなく、他の兄弟猫達の飯を全部食ってしまうヤンチャぶりと、生まれつき目玉に薄い膜がかかったような形相、何だか少し不気味な『悪戯子ネズミ』か『小鬼』みたいな、ちょっと性格悪そな『面構え』だった為に(※ようするにイマイチ可愛くないと…)まだ手の平にも満たない極小サイズの丸っこい赤ん坊なのに、ただ1匹『隔離』されて、ただ1匹だけ里親が決まらなかった風空太郎。

居る筈がない母猫を求めてだろうか、忙しなくエンドレスに動き周り、たった1匹だけ『隔離』されて、50属幣紊詫ろうかと言う大きな檻を上までよじ登ってしまう程やんちゃ坊主で『元気』が有り余ってた孤児風空太郎。
そんな彼を見てて、もし美智之介がコイツと仲良くするならウチが里親になろう!と決心した。

ただ本気で怒るととにかく手が早かった美智之介。
唯一それが心配だった。
しかしそれは2匹をお見合いさせた途端、まるで運命?のような瞬間で決まった。

その強力な前足で相変わらず落ち着きない風空太郎を突然0.2秒の素早さで『アッ!』と言う間に抱え込み、見てる我々の心配をよそにチビっ子風空太郎の身体を優しく舐め、皆が唖然、呆気に取られる内に彼を静かに寝かしつけてしまった天才肌の美智之介。

勿論『親』になった事も無ければ、ましてや♂=雄。
(※しかし最初少し眼を細め、落ち着きなく動き回る赤ん坊の風空太郎を静かに見つめていた美智之介が突然カッ!と眼を開き、目にも止まらぬ速さの前足で風空太郎を押さえ付けた時は周りの我々&病院の先生&看護婦さん達の誰もが一瞬『ギャー!』と悲鳴を上げかけた…)

それが縁で彼等は暫く『親子』、後々固い絆の『義兄弟』となった。
以来、常に1セット。

まるで常に美智之介が指示してるかのように?隠した食べ物を(※しかも封をした物)、高い所なら足の悪い美智之介に変わって風空太郎が上に登り、そしてそれを落として『下』で美智之介が受け止める。
ドアの付いた所に隠した餌でも時には馬鹿力の美智之介、そんな美智之介を見習って?毎日多量に食い物を食べてドンドン身体が大きくなる風空太郎。
やはり日増しに力も強くなり。
時にはそれを2匹で協力し、重い扉をこじ開けて『餌の袋or箱』を破壊、そして食べても食べても常に空腹の2匹はそれを存分に食い散らかす。

まったく悪戯する時まで2匹は1セット。

因みに美智之介の食欲は半身付随になる以前、子供の頃から旺盛で、家で普通に3食食って、しかしうっかりあげると奴1匹で猫缶×2ヶ位は軽く食べてしまうので一応セーブしてたのが原因か、『外』でも勝手に食ってたらしく、ご近所さんの飯時の『常連』だったらしい(※しかも図々しい事に余り愛想は売らなかったようだ…汗)。
そんな事から近所ではウチの飼い猫とは思われず(一応『住所と名前』書いた真っ赤な首輪してたんですがね…冷や汗)、暫く『首輪した野良猫』と認識されてた美智之介。

そして『零』で生まれてウチで育ったからか、自分をハネた4輪は凄く嫌いなクセに妙にバイクが好きで、せっかく風呂に入れて綺麗にしてもスグ又俺のバイクのドライブチェーンに全身を擦り付け、身体に『油』を付けてた美智之介。

後ろ足の自由が利いた頃も店の中の君の定位置は常に俺のバイクの上か俺の服の上。
勿論一緒にバイクに乗るのもスグ慣れた(ある時は俺が首から下げた袋から顔だけ出して外をキョロキョロ)。

そして頭が良いのか勘が鋭いのか店に連れて来ても何も教えてないのに製品や仕事に関する物の『上』には決して乗らなかった美智之介。

・・・続く→

2010/11/7 (Sun)  ニャンパーセンター:2

そんな美智之介だったから半身付随何のその、幾ら巨体の風空太郎でもとうとう彼には敵わなかった(1度半身付随状態で『脱走防止』に付けた鎖ブッタ切って2Fから前足だけで飛び降りて夜遊びに出た事が有る→因みに無傷…苦笑)。

だが美智之介は決して単に凶暴なだけの『悪党』や俗に言う不良(?)なんかじゃ決してなかったよ。
そんな単純な奴じゃ全くなかったんだ。
実はアイツはとっても優しい奴だった。

美智之介は犬には全く関心がなく、どんなに吠えてても知らん顔だったけど、唯一猫にだけ反応、奴の興味は大体が『猫』と『食い物』だった。

下半身を怪我する前、毎日野良猫達と喧嘩を繰り返してた頃。
もしかしたら本当は他の猫達と楽しくやりたかったのかも知れない。
少なくとも俺にはそう思えた。
しかし立場上?一応『飼い猫』だった美智之介。
野良猫達と普通に仲良くしたかったのかも知れないが『零』の岡崎から引っ越して来たばかり、新参者でしかも飼い猫。
まるで見知らぬ『転校生』みたいで不器用な彼は、幾ら皆と仲良くしたくても大体が喧嘩になってしまったんだろう。
売られた喧嘩。
多分やりたくなくても仕方なく『買ってた』んだろうな。
少なくとも俺にはそう思えた。

だって本当に美智之介は真は気の優しい奴だったもの。
普段は非常に温和で、失礼な相手、邪魔する奴などが『絡んで来た』時だけ怒ってた。
でも最初はピクリとも動かずジッと相手を睨んでるだけで、それでも必要以上に近付く相手にしか絶対手を出さなかったし、自分からは決して挑んだりしてなかった。

{因みに美智之介は人間にも特定の人意外は滅多に関心なく、自分が興味ない人には殆んど無視。
ただ『恩』の有る相手にだけは一応返事はしてた。
しかし何かに忙しいと?名前を呼ばれても一切振り向かずアッチ向いたまんま『ニャ!』っと短く返事(…)。
だが例えば『猫が苦手』のK君(※FOREVER CH0PPERSブログの最近の記事で登場する静岡の彼)が来た時だけはちょっと意地悪して?彼の周りをウロウロしたり…やっぱりちょっとお茶目な1面も(苦笑)。
反面、風空太郎は普段は妙にビビり屋だが、慣れてしまえば犬にでも人にでも割と愛想は良かった(ただ彼の場合は滅多に『ニャ〜』とは鳴かず、時々発する声は『ナ〜』と言う変テコな低い小声のみだったが。
※※余談だが風空太郎は狙った虫は必ず仕止める虫捕り名人(名猫?)。
美智之介は虫は一切捕らず、何故か爬虫類を捕まえるのが得意だった(勿論上半身のみで)。}

そんなこんなで時には突然飛び付いて来たドーベルマンを、半身付随のまんま少し派手目に怪我させてしまった事も有った美智之介だが、特に風空太郎にだけは本当に優しかった。
前足だけで近所の40舛梁膩晋い砲盻を負わせてしまった事が有るが、それもこれも世間知らずだった子猫の頃の風空太郎に不意に近付いた巨大な犬に怒り、風空太郎守りたさ一心で手が出てしまっただけの事(因みに美智之介と風空太郎の『兄弟喧嘩』の原因も殆んど風空太郎がきっかけ)。

風空太郎も結局は美智之介が1番。
だから2匹は雄同士なのに常に1セット(…ゲイ?)、本当に常に一緒でした。

だから、かも知れない。

今年の1月にそんな弟:風空太郎を亡くした美智之介。
きっと想像を絶する寂しさだったのかも知れない。

いつも兄貴にくっついて、甘え放題わがまま放題の風空太郎があの世で呼んでたのかも知れないな。
ずっとそんな気がしてた。
正直、残された美智之介がずっと心配だった。
こんな日が来てしまうんではないかと。

奇しくも同じ年に逝ってしまった愛しき義兄弟の美智之介と風空太郎。
今はもう『乱暴猫ステッカー』のどちらも居なくなってしまったが、きっと今頃アッチで2匹並んで走り回って居るのかも知れない。
まるでそう信じたくなるように現在『骨』になってしまった2匹は、骨壷まで『猫用』では入り切らず、2匹揃って全く同じ『犬用』に入り、今は2匹仲良く並んでる。

願わくばあの世じゃ美智之介に後ろ足と下半身の機能を返してやって欲しい。

自由に走り、どんな高い所でも飛び上がって、そして『自分の意思』でトイレも行き…
思う存分飛び回らせてやりたい。

奴の後ろ足が治せなかった事が俺の唯一の心残り。

約10年前にあんな大怪我して半身付随になった美智之介。
あの時もあんな大手術を受けた。
そして今回も又、逝く間際に再び大手術。
何度も何度もアイツの身体を切り刻まなきゃならない現実がただただ悔しかった。

俺は宮崎から帰ってから暫く毎日病院を往復するしか出来なかった。
そして美智之介はついに帰らなかった。

・・・続く→

2010/11/7 (Sun)  ニャンパーセンター:1

久しぶりの更新です。
本来ならもっともっと早くVM宮崎の話を書こうと思ってたのですが、プライベートでちょっとしたアクシデントの、色々ままならぬ状況で当『店主日記』を書いてる余裕が全く無い状態でした。 すみません。
従って一先ずバイブズMTGの件は当Web管理人08さんがUPしてくれた『お知らせコーナー』の写真を見て欲しいと思います。
そんな訳で手前の個人的な宮崎VM話題の詳しい部分は又近々改めて書こうと思ってますが…(今更遅過ぎますか?)。

それから一応ご報告。
宮崎VM出発前に我が親父には無事会えました。
しかし宮崎へ出発直前になり親父もちょっと気になる状態で果たして次回が有るのか無いのか…。
…と、ここまで言っといて何ですがその辺りも近々改めて…。

それより何より今は先ず…
実は元カミさんの所で暮らして居た愛猫:美智之介が先日10/26未明(10/25深夜)他界致しました。
享年10歳。

宮崎から高速を自走で帰って来る最中、ようやく約10日ぶりに関東圏に入った途端、美智之介が具合が悪いと言う知らせが来た。
その数日後に彼は入院、手術を受け、それから約1週間後。

1部の方々は既にご存知とは思いますが、『地獄の乱暴猫ステッカー』にもなってた美智之介&風空太郎の義兄弟猫の片割れ:(義弟)風空太郎は今年の正月明けの1/8、まだ7歳で原因不明の急死をとげてしまいました。
その翌日に風空太郎を弔い、更にその翌日の1/10は我が親父の誕生日でも有り、ハタ又手前の久々のバンド復帰=ライブ当日だった為、諸々頭も精神も大混乱。
結構キツかったのですが、それより何より義弟:風空太郎を失い、義兄:美智之介の心情を考えるとどうにも堪らなかった。
実にそれ程仲の良い美智之介と風空太郎でした。
そして今度はその美智之介まで逝ってしまった。
無二の義弟:風空太郎を失った美智之介…恐れていた事が現実になってしまった気がした。

これ又ご存知の方々も多少居るかと思いますが、美智之介は約10年前、生後3ヶ月で元零エンジニアリング時代の木村氏から貰い受け、我が家にやって来ました。
そしてまだ1歳になる前に交通事故で下半身付随の身体に。
しかしそれでも彼は前足のみで今までひたすら生きました。
大事故で生死の境をさまよい、大手術を受けた病院で捨て猫だった義弟:風空太郎と知り合い、まだ完全な赤ん坊だった風空太郎を育て上げ、以来完全な義兄弟としてつい最近まで常に一緒だった義弟:風空太郎を不慮の急死で失った美智之介。
足が悪くても前足だけで長い階段なども難なくよじ登り(しかも速い!)、多量に飯を食い(サメのような食い方でやたら早飯…)、上腕の筋肉は人間の手首のような太さの美智之介は、もし足がまともなら多分かなりデカい体格になったで有ろうたくましい雄猫。
五体満足だった風空太郎も兄:美智之介と同じく大飯食らい、こちらも最後は約7繊体長70促ーバーにまで成ったデカい雄猫(おかげで棺桶は大型犬用でした)。
2匹が飯食ってる時はまるで相撲部屋のような雰囲気で(苦笑)、そして普段は異常に?仲良しの2匹が滅多にやらぬ喧嘩をする時には周りが少し緊迫してしまう程、派手な立ち回りだった。
因みに半身付随の美智之介はそのたくましい上半身に比べ一切機能しない下半身はやたら細い。
しかし五体満足で7舛竜霏里良空太郎はついに1度も喧嘩で美智之介に勝てた事はない。
ようするに勝つのはいつも美智之介。

下半身を悪くする以前、先出『零』から彼がウチに来た頃。
美智之介は生後まだ数ヵ月の頃から毎日(ホント毎日!)近所の野良猫と喧嘩で鍛えて来た。
ある日、ある晩。
手前は見てしまった。
真夜中、近所で野良猫の『ボス』と言われる奴が手前のバイクの目の前に突然飛び出して来た!
慌てて急ブレーキ。
間一髪、回避は出来たがよくよく見ると『ボス猫』は妙に傷だらけ。
どうやら喧嘩で負けて逃げてたらしい。
その時、暗がりから妙に低くて恐ろしい野良猫のウナリ声。
目をこらしてよくよく見ると、野良猫と思ったソイツは…何と…美智之介!?
『美智!?!?』と思わず叫んだ手前の声に、一瞬確かにギクッ!…っとした美智之介。
まるで『…ヤベ…』とでも言ったように突然走り去った。
一切ふり返らず、脇目も振らず一目散に…。
翌日、何もなかったように帰って来てご飯をおねだり、まさしく猫撫で声で『ニャ〜』と鳴く美智之介。
しかし彼の鼻の頭には論より証拠、しっかりクッキリ誤魔化し切れない『昨夜の印』=天下御免の向こう傷…。
しっかりチャッカリお茶目な1面も有った美智之介(そんなだからか、下半身付随になってからも暫く近所の『♀』野良猫達が、毎晩我が家に怪しい『お誘い』に来てました…)。

続く→

2010/10/6 (Wed)  直前日記

宮崎への旅、本日いよいよ出発。

先ずはこれから海老名へ立ち寄り、予定通り親父に会ってくつもりですが…
ホントご無沙汰だから実は凄ぇ心配。

果たして無事生きてるんだろうか?(マジで…)

何せそ〜ゆ〜事(=死んだりしても)ちょいと複雑な諸事情により、直接こちらへ連絡をくれない可能性が高いので。
まぁこの辺りの事情はホントに色々複雑で、95%位省略してしちまえば所謂法律上の問題ってヤツがグチャグチャに絡んでてそんな感じになってる(…だから旅の出発前に長くなるからその話は又いつか)。

でも取り敢えずホントに諸々複雑で、簡単にどうこう出来る問題じゃないんだけど、とにかくそんな訳でホーム・サイドも手前が親父の面会に行くのはあまりウェルカムじゃないのはかなり前から薄々気付いてるし(知らないフリしてその辺り無視してっけどさ…)。

例えば違うホームへ…とか含め、ようするにその辺の問題をもしキチンと解決するにはかなり纏まった額の『金』が絡んで来るのが必至(因みに○百万とかじゃない、もっとデカい結構果てしない金額)。

だからもし最悪、そ〜ゆ〜事態(※親父がもしも…の時)になってしまったら多分結構な時間、タイムラグを置いて、ソコとは違う所(※ホームじゃない機関)から手前に知らせが来ると思う。
尚、この辺はあくまで単なる推測で全く確証はないんだけど。
でも…何となくそんな気がするし。

まぁそんなだから先ず手前にホームからそ〜ゆ〜知らせは多分絶対、直接来ない。
だからホーム行くまでは毎回妙にハラハラする。
取り敢えず最近はよく倒れて色々危ないし(そろそろ90近い年齢だしね…)。

あ、ヤベぇ。
やっぱつい長くなった。

まぁそんな訳だからとにかく今日はこれから先ずは親父の無事を確かめに行かないと。
そんでそれからいよいよ本日夕方頃から宮崎へ向かいますわ(だからホント、マジで親父待ってろよ!)。

しかし何でも情報によると現在東名高速が愛知県辺りまで集中工事の車線規制だそうで、それも又ご丁寧な事に10/4〜15って、こちらのスケジュールと完全に重なってやがるし…(涙)

でもVM開催中の10/9〜11は集中工事も休みらしいから、取り敢えず一般来場の方々には多分影響少ないのかも知れないのでそれはホント良かったと思ってます(でもVMと似たような日程で鈴鹿でF1が有るらしいし、もしかしたらそっちの影響が出るかも知れないから皆さんどうか気を付けて!)。

そんな訳で本日夕方位に厚木辺りから東名乗って先ずは大阪目指します(※多分途中の何処かで暫く睡眠)。
そんで明日大阪からフェリーで宮崎へ入る予定。

取り敢えずここ最近のハードスケジュールのせいでずっと寝不足だったから、ちょっと真剣に寝ないと色々ヤバいんだけど、フェリーとかのデカい乗り物って手前妙に興奮しちまうんで(※嬉しくて絶対、色々な所探検とかしちまうんで)果たしてちゃんと寝れるかどうかがマジで少し心配…。

おっとそろそろ…

では皆さんちょっくらちょっと行って来ますね〜。

んじゃ又!

PS:道中&現地で会うかも知れない方々、どうか1つ宜しく!

2010/10/3 (Sun)  続きの続き!

後半の後半!↓

そして THE海TEE・JAMと某ミーティングの帰りには念願の福岡のアタカヤさんにもお邪魔する予定だし、そんな訳で'96年に店形式にして以来初、今回は異例で地獄商会の店舗を長期お休みさせて頂く事になりましたが(…っつ〜てもたかだか10日間だけだけど…苦笑)、とにかく皆さんどうか悪しからず。

それに実は前回の当日記でも書いたようにマジで早く親父に会いに行きたかったのですが…
例のイラスト仕事&それの打ち合わせ諸々に加え、ここんトコ仕事やイベント準備、その他諸々(天気も雨が降ると暫く降りっ放しだし)…
何だか最近妙に分刻み、やたらと雑用が増え続け、あげく全く身体が空かず…気が付きゃ、あっ!と言う間の宮崎行き直前。

取り敢えず睡眠不足のまんまですが。

そんな訳で結局なかなか親父に会いに行けずの日々でした。
だから出発の10/6(水)は先ずはやっとこ親父の居る海老名で暫く過ごしてから旅に出たいと思います(せめて昼過ぎ、もしかしたら夕方位までは親父ん所に居たい…あ〜でもやっと行ける〜!)。

そんな訳でこの日記コーナーも又々更新暫くお預け状態になりますが、どうかそれも悪しからず宜しく!

PS:因みに『海賊TEE』はあくまでウチの商品名で世間のシマシャツの俗称じゃないのですが(苦笑)、まぁその辺も一応冥利に感じておりますよ(^_^)v

・・・以上!

2010/10/3 (Sun)  続き!

…後半↓

でもせっかくだから旅を楽しみたいし(4輪なのがちょっと何だけど…)、今回は何やかんやで結局いつの間にかノセられて(?)宮崎まで行く羽目にはなったけど…でも1番の目的は、普段通販の時とかにTELで会話する程度、滅多に直接会えない遠方の皆さんと直に会ってみたい、そんな皆さん、海賊TEEを愛用して育ててくれた皆さんに直接会いたくてそれが今回の旅のNo.1、本来の目的。

普段ウチの店に来てくれた様々な皆さんに『これが本物の海賊TEEか!』と言って頂ける度、誰もやろうとしない仕事を選んで良かった手応えを感じます。
『本物』…と呼ばれる自信など、特に全く有る訳じゃないのだけど、割りと先人切らせて頂く確率高い(?)事の冥利には本当に感謝しております。
バンドマン時代や革ジャンペインター時代も含め、世間がアッチやソッチの方向見てる時に常にコッチの方向、それも常に例の無い事や不思議な方向へ導かれて(?)、色々な事柄に常に先ず1番初めにチャレンジ出来るパーセンテージが高い宿命?に生まれたかも…って事には真から感謝してる次第であります。

だけど例の無い仕事にチャレンジする以上、特にそれなりの資金を投じてチャレンジする時などは毎度『清水の舞台から飛び降りる』心境。
でも男として生まれた以上、誰かがやった事を追いかけて他を意識して生きるより、どうせなら意識される側に居たい。
…と言うより、まだ誰にも見えない道を切り開いてソコに『道』を作って生きて行きたい。
だから『清水の舞台から飛び降り続ける』人生はコレはコレで又結構楽しい人生だったりする訳で。

でも確かに高い製作資金投じて売値低くしてりゃまともに儲からないのは判ってるつもりですがね。
だけど手前はどうやら商売人にはなれない宿命みたいだし。
それ所か世間がまだピンと来てない事、しかもリスク有る事を追い求めてしまう宿命すら有るような…。

だけどやっぱり他人がやってるネタは全くノラない、つまんない(苦笑)

商売?仕事?
…手前は単に恐怖と興奮が隣り合わせ(?)、それらが背中合わせのドキドキする事、ワクワク出来る事を仕事に選んだだけと思う今日この頃。
本当にただそれだけなのかも。

しかし15年前、初期型の海賊TEEを世に出した頃。
世間には袖口リブの付いたシマシマ・シャツが存在しなかった為に俄然製作意欲が湧いた。
気が付きゃあれから15年。
でも海賊TEEの歴史を作ったのは決して手前じゃないと。
最初は認知される自信なんて殆んどなかったけれど、でもだからこそ現在の海賊TEEの全ての歴史は誰有ろう皆さんが作ってくれたと思ってます。
だから単純にそのお礼に宮崎まで行きたいと思った訳です。

旅費=足代だけは出店で稼いで(笑)
多分、絶対、赤字だろ〜けど(苦笑)

しかし例え海賊TEEを愛用してくれてる皆さんの中にも手前が何処の誰かなんて全く判らん、知らん人は絶対沢山居るハズ。
でも大体普通にそれのが正常、それが当たり前、それが『自然』と思う訳で(※ようするに我々は芸能人じゃないって事)。
だから手前が『誰』なんて事はど〜でもイイ。
単純に純粋にただただ『海TEE』愛用者の皆さんが本気で楽しんでくれりゃそれで手前は十分満足。
そんな訳でこの度は手前もコッソリ?『 THE海TEE・JAM』に参加しちゃお〜って訳なんですが。

でも更に本音言ってしまうと『別に海賊TEEだけじゃなくてイイじゃん?ブランドなんて飛び越えて銘柄関係なしのシマシマ人間大集合で良くなくな〜い?』とか思ってるんですが、その辺あまり本音言い過ぎると某フリーライター氏が本気で恐そうだから(…)ソレは取り敢えずココだけの話にしときます(苦笑)
(…でもどうせなら、ブランド関係なしに何とか上手く楽しみたいよなぁ〜?『先生』が見てない所でさ…笑)

まぁでも取り敢えずそんなこんなの今回の宮崎行き。

…あれ? 後半のつもりが又字数がオーバーした…
・・・ってな訳で更に続く→

2010/10/3 (Sun)  THE海TEE・JAM

久しぶりの更新です。

当Web『お知らせ』にも記して有ると思いますが、来週九州の宮崎県で開催される某誌主催のミーティングに行く事になりました。

既にご存知の方も多少いらっしゃるかと思いますが、各誌に執筆してる某フリーライター氏が発起人でウチのオリジナル製品『海賊TEE』の御愛用者さん達が多数(?)集う催しが有り、いつの間にか手前もそれに参加する事が責務となってしまいました(苦笑)
そんな訳で久しぶりのミーティング参加兼ねて九州宮崎まで行く事になった次第です。

これ又既にご存知の方もいらっしゃるかも知れませんが、今回の海賊TEEの集いは手前が殆んど知らぬ間に先の某フリーライター氏が某誌面で催しを発案&告知(?)、手前も多くの読者さんと全く同じに誌面の記事を見て知ったと言うお粗末極まりない顛末(苦笑)

因みにその記事を読んだ直後(※確か去年)、率直な感想はただただ『唖然…』。
しかしその時点じゃまだ殆んどピンと来てなくて、単に『何だ、こりゃ?』とビックリした程度(でもマジで真剣に驚いた)。
だがいつの間にかそれに参加せんといかん気配になっちまった(汗)

ようするに海賊TEE製造元&考案責任者って立場上、どうにも催しに参加しない訳には行かなくなってしまった訳なのですが、本音言うと出来れば諸々知らないままのが幸せだったような気もする(…)。

正直な話、目的地が遠く宮崎じゃなければ単純に『冥利な事』と思ってましたし、多分ただ喜んで手前もあくまでプライベート参加か何かって感じだったかも。

しかしさすがに宮崎は遠いっす。
長い間店休まなければならないし、正直旅の費用も馬鹿にならない…。
そんな訳で今回は異例のイベント出店、本当に久しぶりの出店する事になった次第(ようするに足代位は捻出しないとマジで大赤字なんで)。

…かと言って手前は普段の店がそのまま全て(?)丸ごと引っ越したような、ある意味気合いバリバリの出店をやるのはどうにもかなり抵抗が有るクチで…。

だから今回は取り敢えず海賊TEE以外の他のオリジナル品などは適当に見繕って(?)ホンの少し、サンプル程度でご勘弁(※ようするに他はなるべく小さな物を極少数だけで後は殆んど持ってかないかも…)。

何せ軽自動車(※乗用の軽4輪)の荷台スペースが本気で狭いので、普段のメインの製品はそれを占領しない程度にさせて貰いたいと思ってる訳で(だから通常のウチの業務はあくまで店に直接お問い合わせを〜※代引き通販もやってるからさ…お願い、解って〜!?)。

それより普段は店の隅に転がってる中古部品(1部ジャンクも有り)は少し持ってきたいし、例えば単車の配線とか…簡単な修理手助け屋?みたいなもんとかやりたいなぁ〜。
電装トラブル緊急お助け隊みたいな(でも100Wハンダごてとかはもしかしたら電源の関係上、使用不可かも知れない…)。

それからまだ荷物が積めるかどうか皆目不明なんだけど…ミニ玉突き台も持って行きたい(※ミニと言っても約120其×60其、重さ10前未詫る結構デカいサイズ)。
『謎の青空プール屋(※ポケット・オンリー)』をやりたくってさぁ…。
今んトコ実際荷物が積めるか否かが問題(でも素直な憧れ)。

まぁそんなもんばっか狭い軽自動車の荷台に積む気になってるから結局本来のオリジナル製品が殆んど犠牲になっちまいそうなんだけど(苦笑)。

でも本業の部分はあくまで通常の『店』での業務中心、イベント出店は参加するこちらもただ『楽しむ』ってのが手前、そして地獄商会の基本姿勢だからソコはどうかご勘弁&ご理解頂きたいです(ホントお願い…)。

因みに海賊TEEだけは今回の催しが有る関係上、なるべく持ってかないと本気で殺されそうなんで(苦笑)、取り敢えず10/5(火)、出発前夜の時点で在庫してる物はなるべく努力して全部積むつもりですが。
ただ既にサイズ切れ&売り切れしたのも多々有るし、完売したからと言ってソレを即追加製造しないのがウチの方針だからそこは重ねてご勘弁下さいな。

しっかし某フリーライター氏の計略?策略?にまんまとハマり(苦笑)、あれよあれよと言う間にえらい遠くまで行く羽目になっちまいましたが(因みに全部実費…)、従って某誌ミーティング期間の前後、10/6(水)〜から15(金)までの約10日間、申し訳有りませんが店はお休みさせて頂かないといけなくなりました(※だけど悔しいから?催しの名称だけは勝手に『THE海TEE・JAM』とネーミング!)。

・・・後半へ→

2010/9/16 (Thu)  マイ・ルーツ(後編)

続きです。

親父が行方知れずになるずっと以前の話。

手前が10代=先の『親子喧嘩』の頃から30代中頃になるまで約20年間位、親父とは随分長い事『親子断絶状態』が続いた。
だが今から16〜17年位前、長きに渡る『親子断絶状態』をやっと脱し、ついに和解した時の事。
その時たった1度だけ親父とサシで呑んだ。
2人きりで呑みに行くのを妙に照れる親父を無理矢理誘い、近所の居酒屋へ。
居酒屋の主は何故か我々が親子とは思わなかったようで、少し異常気味?の量を呑む変な老人(親父70代)と妙な青年(息子=手前30代)の謎の2名にしばし唖然とした様子だったのを記憶してる。
取り敢えず止めどなく呑み、止めどなく食う不思議な凸凹コンビ。
やがて居酒屋は看板(閉店時間)に、それでもまだ呑み足りない迷惑コンビ。
帰り際親父が『お前、酒強いなぁ!軍隊時代から俺と呑んで潰れない奴はお前が初めてだ』と妙にはしゃいでる。
…『誰の息子よ?』

でもこっちは正直酒なんてどうでも良く、単に親父と呑めた事がただただ嬉しかった。
多分きっと親父も同じ気持ちだったと思う。
親父と呑んだのはそれっきり、ただの1度きりだったけど(因みに現在親父は酒ご法度…)。
でもあれは本当、最高の夜だった。

そしてほろ酔い気分(※お互い量は…だけど)で親父は『お前のハーレー跨がらせろ』と。
“見た目”よりだいぶ重たい我が愛馬'80年式IRONスポーティーによろめきながら親父は『やっぱりハーレー良いなぁ!』なんて何だか又々妙に上機嫌。
あんな満身の笑顔の親父はあの時初めて見た。

そして年季が入った自分の工具を幾つか引っ張り出して来てそれを手前にくれた。
その工具は今でも全部手前の宝物、因みに全部現役。

現在はもうそんな思い出すら覚えてない親父に会う為に、何とか時間割いて(…と言ってもせいぜい2ヶ月に1度位…)海老名へ行く事が習慣になった。
でもその程度しか何も出来ない手前の不甲斐なさ。
いい歳こいてまともな貯えすら持てない上、お世辞にも金を生み出す才能なんて微塵も持ち合わせてないし、ただ親父の居る海老名へただ面会に行く事しか出来ない手前だけど…
だからかどうかは自分でも判らないけど、親子2代で一緒に仕事する方々に正直かなり憧れも有って(それはそれで絶対大変、苦労だらけ!っつ〜のは百も承知の上での勝手な憧れだけどサ)。

そんなこんなで未だお世辞にも何の親孝行も出来ない情けない手前だけど、せめてやっとこさ出来た我がHPのトップに親父を(勝手に)引っ張りだして…(今の親父にゃ何の事だか判らんと思うけど)。
ようするに父と息子で組んで何かしたい夢を叶えたかったと言うか、一緒に仕事してみたかった願望?みたいなのがどうしてもちょっと有りまして…。
そんなこんなのトップページな訳で(完全な個人的理由でホント申し訳ない…)。

願わくば今少し、もう少し親父にゃ生きてて欲しい。
今は息子の顔や存在すらしょっちゅう忘れるし、幾ら毎回名乗っても毎回誰かと間違えたまま。
それ以外にも例えば金銭面とか、それなりに難題山積みなんだけどね。
それでもやっぱり…ね。

実は親父が痴呆になったのは階段から落ちて頭打って脳挫傷になったのが発端。
先のクレージー谷啓さんも同じく階段から落ちて脳挫傷で…と聞いて、不謹慎ながらつい親父の話がしたくなりました。

スケジュールや諸々で親父の居る海老名のホームに行く時間が取れないと正直不安。
『親父、まだ駄目だかんね?』…これが手前の偽らざる本音。

断絶してた時期が長かったから?
親父との思い出少ないから?
今頃慌てて懸命にそれを埋めてる?
…きっとどれも当たりかも知れないしハズレかも知れない。

今更取り戻せない、もう遅い!
…そんな事は判ってる。
しかし誰にも理解されなくても変わらない。
ただただもうちょい生きてて欲しいだけ。
それが正直な気持ち。

だからもうちょい、もうちょい待ってよ、お願いだからサ。
この仕事片付けたら必ず行くから!
待ってろ、親父。

PS:今回は個人的な話ですみません。
ホントはこ〜ゆ〜事書くの少しためらうんだけどね。
だから本当はトップページの事も単なる『悪ふざけ』にしとこうと思ったんだけどサ…
結局書いちゃった(苦笑)

…どうか皆様悪しからず。

2010/9/16 (Thu)  マイ・ルーツ(前編)

又作業の合間の更新です。
以前とある人に『休憩の間に仕事してる…』と言われた事が有りますが、決してサボッてる訳じゃござんせん(汗)。

さて本題。

先ずトップページの謎の老人は?と思った人へ…

答え:手前のルーツでございます。

それから皆様もご存知と思いますが、クレージーキャッツの谷啓さんがお亡くなりになられました。
ハナ肇さん、植木屋さん、そして谷さん…手前幼少の頃に上記のルーツにせがんで幾つかのクレージーキャッツの映画に連れてって貰った思い出が有ります(因みに幼少時代、人前で初めて唄った歌は『スーダラ節』で手前の十八番でした)。

そんな手前もいつしか気がつきゃリアッパーな(?)52歳…。
そりゃ幼少〜若い頃の思い出に残る人々がこの世を去るのも不思議はないんですが。

でも例えば我がルーツ。
ようするに我が親父。
(※因みにウチの店は我が実家の区画に在り、その昔親父が工場の1つに使ってた場所)
今回はそんな親父の話を。

親父は昔『五宝工業』と言う特種なオートメーション機械の製造会社を営み、設計〜開発のエンジニアでも有り、その為電気と機械に詳しく我が家(※実家)には工場が在りました(他に大き目の工場が別に在り、初め足立区千住、次が埼玉浦和、最後は川口に在りました)。
因みに絵も得意で時々描いてましたね(※因みに手前とは又違った画風でした→その話は又いつか…)。

仕事ではオリジナルの機械や電子機器を沢山発案&製造したり、以前そっちの業界ではある意味発明家?みたいな扱いを受けてた時期も有ったようです。
最近判ったのだけど、終戦後に払い下げハーレーやインディアンを直して売ってた経緯も有るそうな。
昔メグロや陸生に乗ってる写真を見た事が有るけど、どうやらそれも修理して販売した様子(4輪も好きだったみたいで、大体自分で修理したりしてました)。

普段は無類の酒好きで、しかも異常な量呑んで滅多に潰れない体質だったような(多少手前にも遺伝してる様子)。
そして結構沢山食べる(※これも遺伝傾向?)。

そうかと思うと剣道が好きで(師範もしてた)、そう言う部分では妙に礼儀作法にうるさかったり。
しかし例えシラフでも怒ると結構恐ろしく、気性の激しい部分も有った(そうなると先ず曲げない性分で結構大変だった)。
町内で祭り仕切ったりする妙に面倒見の良い?部分も有ったけど、軍隊上がりだったせいか?口よりすぐ手が出る部分も多かった(手前もしょっちゅう殴られた→グー&連発&木刀&その他)。
職人気質?下町気質?…はたまた戦中派だから?
う〜ん、どうなんだろ。

取り敢えず手前に見せる表情は大体がしかめっ面で笑顔なんて皆無だったし、何をしても“ほめる”なんてされた覚えもなく、例え良い事したとしても常に怖い顔で睨み付け『当たり前だ』で終わり。

そんな厳しい親父だったから手前が単車乗る時も猛反対。
手前は親父が単車に乗ってる先の写真を見て(※そん時は修理して売ってたのは知らず、親父の私物かと思った)、それなのにこっちが乗ろうとしたら大反対なんて…と、その頃は親の気持ちなんて全く判らん馬鹿ガキだった手前は納得行かず、ホント毎日喧嘩でした。
多分本当は心配してたんだと思うけど、先の通り全く“表情”に出さない人で当時の手前にゃ全く解らなかった…。
そんな訳で最初の免許も一切内緒で取り、勿論バレて又喧嘩。

丁度その頃は我が左耳聴力を失ってまだ1年位しか経ってなかったから(※この話は又いつか…)こちらも色々クサッてた時期で、親子喧嘩と言えども結構派手でした。
1度親父→長ドス(=ポントー→勿論シンケン…)、息子→樫の木の双節棍(所謂ヌンチャク)なんて事になり、その時はお互い妙にエキサイトが過ぎて?ついそのまま『外』出てやり合い、あげくの果てに誰が呼んだか(?)気付けばPC(※白黒パンダ車)が駆け付けてしまい…
それでもまだ親子喧嘩は止まらなかった…(正確に言うと親父との親子喧嘩でPC複数来てしまったのは2度は有った気がする…全く懲りない親子だね…今思うとちょっと恥ずかしい)。

取り敢えず我が親父ながら昔はちょっとアクの強い、妙に極端な人だった(もしかしてこれも遺伝??)。

しかしそんな親父も色々有り現在は痴呆とアチコチ不自由で海老名のホームに居るのです(実は暫く行方知れずで、少し前に知らせが来た時は既に痴呆で現在のホームに居た)。

現在は昔の面影なんて微塵もなく、ある意味全くの別人のように朗らかな笑顔の愛嬌が有る老人(※トップページの写真参照)。

しかし御歳88だし、最近は色々危ない。
正直、いつまでもつのかは皆目不明。
だがつい何年か前まで何処に居るのか、生きてるか死んでるかすら不明だった。

→後編に続く。

2010/9/12 (Sun)  スゲー、又更新してるぅ!?

何と連続更新でふ(しかしやっぱり携帯から…因みに自分トコのパソコンへ送信、コピペでUPする方法)。
又々新刊『道楽』の取材話の続き=後半。
手前が単車改造する際『フレームを切らない』制約を付けてる事について。
結論から先に言うとそれは『フレーム=骨格を改造=整形すると単車は格好良くなり過ぎるから』です(※あくまで形状の話、従って機能についての話ではないので誤解なきよう)。
同時にフレーム切りご法度すると格好良くする為の選択肢を敢えて減らす事も可能。
形状を仕上げる際の抜け道範囲を狭くする。
それをする事によって新たなる『抜け道』を模索、必然的にアイデアを生み出す為に無い知恵絞る。
ようするに頭の体操みたいなもんで、自分の感覚の鍛錬?の為にも(ボケ防止?)そんなルールみたいなもんを決めてるのです。
『ノーマルに戻せなくなるから』はハズレ。
1度改造したら2度とノーマルに戻す気持ちはナシ。
そもそも、だったらハナから改造しない(笑)。
因みに時々巷で聞く『ノーマルのままじゃ恥ずかしい』とか『改造してないと馬鹿にされる』などと言う、かなりどうでも良いような感覚は殆んど持ち合わせないし、全くもって理解不可能にて改造の動機にそんなもんは一切ナシ。
ノーマルが嫌い…ある意味、当たり。
でも未だもって新旧関わらず、現存するストックスタイルの単車にこれこそ理想の1台、理想の形状と思える物はただの1台もナシ。
65%位(?)近いのは確かに有った(例えばKフレーム・スポーツ)。
でも部分々々(パーツ単位)で見てしまうと“必ず”気に食わない部分が存在する。
それを“消して”自分の気に入る形状にある意味正しく“直す”のが手前にとっての改造。
なので正確に言えば『ノーマルが嫌い』と言うより、ストックの状態で理想の形の単車が未発売=現存しないだけ。
でも先に述べたような、例えばKフレームXLなら多少満足なのでは?と考えますが、わざわざそれを探す…なんて行為は手前、取り敢えずカッタルイ。
そ〜ゆ〜部分はわざわざ探さず、偶然の巡り合わせ?みたいなもので入手した『目の前に有るコレ』を改造する方を迷わず選びます。
だってわざわざ探した所でどうせ65%しか気に入らないのにそれを探すなんて…絶対面倒臭い。
従ってベース車なんて何でも構わないから理想に近付けてやる作業=行為が手前にとっての改造(因みに『道楽』に書いて有った『ベース車両がアメリカンじゃないチョッパーが好き』は真実)。
ただ頭ん中のイメージが割りとワンパターンなのか(?)手前の改造した単車は多分見る人が見れば大体どれも似たような雰囲気(苦笑)、全部手前風味になってしまうらしいです(ある意味単純ね、私…)。
よって『フレーム切らない』は、自分の為のトレーニングと格好良くなり過ぎず、チープで素朴な味をキープ出来る一石二鳥みたいなもんで、それ以外の理由は殆んどナシ。
その制約を守りつつセクシーに仕上げる為には、例えば『シートをシートレールのラインに敢えて沿わせず微妙に浮かす&隙間を作る』とか『専用部品をチョイスしない』とか『アッチとコッチ、違う部品を違う方法で取り換えて無理矢理付ける』とか『斜め45度に変えて取り付ける』とか・・色々試す訳で。
そしてストックだろうが何だろうが安かろうが安かろうが(?)使えそうなもんは加工しても絶対使う、落ちてるもんは必ず拾う(??)、人が捨てるもんは必ず貰う(???)、『価値』が無さそうな部品は絶対必ず使う(…)とか。
因みにフレーム以外の部品については価値が有ろうが無かろうが『切る』事そんなに迷わない。
そして時々たまたま落ちてたような部品を見てそれをどうしても使いたくなり、それのみの為にワザワザ何か造る事は多々有り。
…とまぁ、そんなこんなを克服して何とか形になった時は妙に達成感が。
でも単車に限らず何か造ってる最中に突然ひらめいてしまい、最初のイメージは何処へやら…結構どうでも良くなり(ようするに気が変わり)、結局『急遽路線変更』なんて事もまま有る訳で。
だからイチガイに『理想=イメージがちゃんと有る』みたいな表現はあまり当てにならんかな?
…と、ここまで熱弁振るっといて今更!?…と。
どうやら手前いきなり『気が変わる』と言う、自分でもとても困った病気(?)みたいハタ迷惑な精神構造してるらしい…(単なる不真面目?)
その辺りは正直自分でもよく判らん(でもノーマルに戻したくは全くならない→そこは決して気が変わらない)。
何書いてるか自分で段々判んなくなって来た…『フレーム切らない理由』から話しが脱線したまま長くなって自分で疲れちゃったみたい。
だからこの話はこの辺で終了。
※取り敢えず勝手でいい加減で全くハヤシらしい…と思ったアナタ!
…正しい。
じゃ又。

2010/9/11 (Sat)  まだパソコン無理だから携帯からだよん。

しばし作業休憩、この間に早くも店主日記第2弾を更新しときま〜す。

でも更新マメなのはきっと最初だけですね(取り敢えず携帯だと楽チン♪)。

ご存知の方々もいらっしゃると思いますが、バイブズと同じ編集部から新刊バイク本『道楽』が発売され、手前もケツの方にタメさん達とチョロっと出てます。
しかし手前、過去も昔も映画『イージーライダー』を手本にバイク改造した事はございません(苦笑)
※文にそんな部分が有るようですが。

確かに映画『イージー〜』はリアルタイムで観ましたし、派手なチョッパーを見てそれなりに衝撃は受けました。
しかしチョッパーを見たのはそれが『最初』では無いし、多くのファンと同じようにワイアットのよりビリーのチョッパーが『カッコいい』とも思いました。
でもそれを手本や参考にした事は残念ながら殆んど無いんです(※せいぜいクラッチやブレーキレバーを上向きにセットした程度)。

従ってその部分は多分取材=インタビューされた時に多少誤解して伝わってしまったようです。

手前の場合、バイクのエンジンを初めてバラしたのが16歳(解体屋から買ってきた不動のポンコツ2スト車)=1974年で、続いて17〜18歳の頃('75〜76)はエンジンを改造して速くする事に熱中してました。

我が実家が機械屋だったもんで、その工場の片隅で作業しましたが、勿論色々解らなくなる事も多々有ったし、実家の工場で働いてた職人さん達(※旋盤の職人さん、塗装の職人さん、溶接の職人さん等々)が色々教えてくれた時も有りました。

でも多くの場合、当時の友人達の中で機械好き、エンジン大好きって奴らと自分とで見よう見まねで研究したり、はたまた解らなくなると本屋で整備士の為の本を立ち読みしたり、当時のバイク雑誌に載ってた修理の記事とか参考にして、後はとにかくバラせるもんはバラし、無い頭絞ってあれこれ考えたりしました。
結構無茶苦茶な事して壊れた事は無数&沢山有ったけど、失敗したら又リベンジって感じで大体が独学でやってました。

チョッパー?的なもんを造り始めたのは確か'77年位、19歳の頃です。

当時スズキからマメタン、ヤマハからXS650スペシャルなどのバイクが発売されました(※XS-1がXS650Eになり、やがてXS650スペシャルに発展)。

その頃までの時代はそ〜ゆ〜形(※チョッパー風)に改造すると『即違反or即没収(警察に)』される場合多々だったので、手前は『見た目じゃバレないエンジンの中身の改造』に集中しとりましたが、上記のバイク達が純正で出たおかげで手前の頭の中では突然『あ、もうこ〜ゆ〜の乗ってもパクられねぇな』(※因みに何の根拠もナシに)と思えた訳で。

そんな訳でその日からいきなり手前は最初にバイクに目覚めた12〜13歳の頃より元々1番乗りたかった形状のバイク=チョッパー造りに勤しむようになりました。

しかし先に述べたように、その手本になる形状は大体が自分の頭ん中のイメージしかなく、特にこれと言った手本は有りませんでした。

しいて言えば当時('76〜77頃)に深夜映画で観た西部劇(※題名不明)の中で真っ黒な馬に茶色い鞍がついてたのを見て『あ、これだ!』と思い、その時たまたま自分の頭の中でひらめいた色を元に塗装屋探して黒メタリック(日産セドリックの黒メタに赤と茶色と金を混ぜて貰った)をオーダー、同じく業者を探して頭で描いたイメージを元に茶色シートをオーダー。

勿論シートも自作したり塗装も自分でやったりする事は有ったけど、ようするに自作or業者に依頼に関わらず、常に自分の頭ん中にイメージが有るだけで、明確なお手本なんてもんは基本的に無い訳です(パーツ等を製作依頼しても組むのは自分だし、業者へ依頼する場合、設計図を用意したり寸法指定するのは当然)。

ある意味『絵』も同じだけど、何かを創造して造り上げてく時って自分の理想と言うか、現存しない頭ん中のイメージをただ追って行くって感じに近いと思うのですが。

きっと世の中の多くの『物造り』の人々は多分手前と同じように見果てぬ自分だけの幻想=イメージをただひたすらに追っかけてるんだと思う訳です。

でも例えば手前も色々な方面、様々な事から影響は必ず受けてる筈なので、例えば先の『道楽』の記事などは沢山影響受けた内のホンの1ヶに『映画イージーライダー』だってきっと有るって言う意味なら、多分きっと間違えないのだと思います。

長くなりましたが店主日記第2弾、今回はこの辺りで。

あ、『休憩』し過ぎた。
ヤバっ!作業中だった…(脂汗)

2010/9/11 (Sat)  HERE WE GO…!?

え〜店主884'=ハヤシのお送りする日記第1弾でございます。

因みに記念すべき『店主日記』第1弾なのでいきなり『代筆』頼む訳にも行かず、でもまだ不慣れなパソコン操作が上手く行かず…
そんな訳でついつい慣れてる携帯から書いておりますが悪しからずです。

パソコン操作の方は追々頑張りますのでどうかお許しを…(冷や汗)

え〜、只今手前は連日イラスト描き仕事の日々でございます。

最近何故かずっとイラスト依頼が続いてまして、先日福岡アタカヤさんから発売されたTshirtの原画を担当させて頂いたのですが(興味有る方はアタカヤさん公式Web※リンクのページ参照→をご覧下さい)、それを皮切りにこれ又既に浅草カドヤさんから発売済みの海賊TEE風の袖部分のみ?みたいな『腕だけパイレーツ』と言う感じの正式名称:サマーシールドと言う製品の同じく原画も担当致しました。

何故かそれからず〜っとイラスト描きの依頼が続いてると言った具合でございます。

因みに現在進行中=作業中のイラストは複数有りまして、上記のように既に発売済みの物以外、まだこれから発売予定(※他店様から)の物やら、とあるノベルティ物やら…実際現在描いてる原画はかなり多数有りまして(正直な話、原画11枚同時進行って感じ→※取り敢えず初体験)、そんな訳で結構頭こんがらかっております。

しかしイラスト描きしてて毎回必ず思う事…
『あ〜、もっと上手くなりた〜い』。

マジでまだまだ理想に程遠い。
まだ下手過ぎ…。
せっかく仕事依頼頂いてるのにこんなに下手ですみません…って感じです(仕事依頼して頂いてる皆様、素直なカミングアウトしてしまって申し訳ない…)

ホントまだまだ駄目で時々自分でイライラします(勿論パソコンでイラスト描く事は全く出来ないのであくまで手描き絵の話)。

巷の絵の上手い多くの『才能有る人々』がマジで羨ましい。
…悔しい限り。

…とは言ってもこんな手前を信じてせっかく『仕事依頼』頂いてる訳なので、とにかく精一杯必死に描いて、精進有るのみ!ですがね。

あ…何だかせっかくの『店主日記第1弾=新地獄からの呟きコーナー』がついつい『地獄からのぼやき』みたいになって来たので今回はこの辺で。

よし、頑張ろう!
(…でも本気で絵の上手い人々達にゃまだ追い付けないかも〜→ちょっと弱気…)

PS:旧:地獄からの呟き改め、当『店主日記』コーナー、以後宜しくお願い致します(※毎回ぼやく訳ではございません…苦笑)

2010/9/11 (Sat)  店主不在…

またもや管理人:摩耶蔵ですが…。
店主はなかなかパソコンに慣れず、日記に書き込めずゲストブックには書き込めたみたいです。
見てあげて下さいませ♪

2010/9/6 (Mon)  リニューアルオープン!!!

長らくお休みしておりました、地獄商会ホームページをやっっとのことで再開です。

宜しくお願いします。(管理人より)