東日本震災から少したったある日、伊豆からガソリンを届けようか?という申し出があった。大変うれしかった、しかしその頃には茨城でもガソリンは手に入るようになっており満タンで出かければ東北まで行き携行缶の燃料で帰還可能、じゃ仙台のカントク家に物資を届けようかと連絡を入れたら物資はあるという、それなら大変そうな所にお手伝いに行こうという事に話が決まった。

しかし、被災地域のあまりの広さにどこへ行ったら良いやら・・・

色々調べていると石巻専修大学がボランティアの拠点となっており、一般人も募集しているという、馴染みはないが同じ専修大学がお世話になっている街か・・・ということで目的地は石巻に決まった。


4/7


夜に伊豆が我が家に到着、寝ようとしているといきなり震度5くらいの揺れ。津波警報が出て伊豆は驚いて出て来たが我々はすっかり麻痺してしまっていて・・・良くない事とは思うが・・・

茨城では大したことはなかったが仙台では大きな被害が出たとか、カントク家ではせっかく片付けた家具や食器がまた散乱してしまって意気消沈だったらしい。



4/8


早起きして出発、常磐道、磐越道経由で東北道に出て自衛隊、警察、救援車両に混じってガッタガタの高速を北上。仙台南道路から海沿いに出ようと考えていたが昨夜の余震で道路が壊れて通行止め、北部道路も通行止め。やむを得ずそのまま北上し古川インターまで行き、通れそうなルートを結んで東松島へ・・・

海が近づくにつれ津波の惨状が
東松島では従兄弟が病院をやっており、生きている事は分かっていたがその後全く連絡が取れなかったので病院に行ってみると丁度病院を開けたところだった、病院は幸い津波には遭わなかったがスタッフは家を失ったりしたそうだ、またせっかく片付けたのに昨日の余震で内部がメチャメチャになり片付けが大変だとか。

患者も詰めかけていて邪魔をしては悪いので差し入れを渡して出発。

次は自衛隊の東松島基地に行きいつもレースでお世話になっているTさんを訪ねてみた、正門で取り次ぎをお願いすると丁度非番で流された家の整理に行っているとのこと、同じ隊の方がわざわざ正門まで来て下さったので伝言と差し入れを託して辞去。

そこから一路海岸沿いを石巻へと、ナビでは陸地なのに海と化している所などがあちこちにあって津波の恐ろしさを実感する。

昼過ぎに石巻に到着し基地を設営してボランティアセンターに行って登録をしたが今日は大余震の影響があって危険なので作業は休みだという・・・

仕方がないので基地で休んでいると東松島のTさんから電話が入った。

家族は無事だったけど飛行機も家もバイクもみな流されてしまったとか・・・かける言葉もなく絶句してしまったが逆に先方に気をつかって頂いてレースの話などをし、いつかハイランドでレースが出来る日が来たらまたあいましょうと約束して電話を切った。

今日一日で色々なものを見過ぎたためボーゼンとしていると異様な雲がわき上がり暴風が吹き始めた・・・地震といいこの不気味な雲といい一体どうなってしまうのか・・・と思ったがそれどころではないのでタープが飛ばないよう必死に補強作業。

4/9

翌日は朝から雨、カッパを装着してボラセンに行き手配されたバスに乗って作業現場へと・・・前線基地のスーパー駐車場でバスから降りて班分け、スコップと一輪車を受け取って徒歩で現場へ。

最初は民家の物置の片付け、というよりヘドロを掻き出し何が何だか分からなくなったモノをとにかく運び出しゴミの集積地まで運んで捨てる捨てる捨てる・・・最初は躊躇していたがみんな気合いでヘドロ(プラス汚水やら色々なモノが混じってオソロシイ色、臭い・・・)に突入して格闘すること3時間、やっと庭と物置が片付き昼食。

そうこうしているうちに伊豆は屈強な元レンジャー率いる一隊に編入されて行ってしまった。

午後からは一般家庭の片付け、家に入るとものすごい惨状・・・写真や記念になりそうなものをより分けながらゴミや使えなくなったモノを運び出して徒歩で集積所へ、言うは易しだがヘドロと水を吸ったゴミというのは臭いと重さで大変厄介なもの。

しかし家の中の片付けは人力でしか出来ないのも事実、根性決めて黙々と働く。

途中軽トラが救援に来てくれたので大変助かった、津波のゴミで道路が狭くなっているため小型のユンボとか軽トラとか小回りの効く機械は本当に役に立つのを実感した。

夕方作業が終わると徒歩でスーパーへ、ここで伊豆と合流してバスに乗り専大に戻る、みんなボロボロで倒れそうだがレンジャー氏だけは全く平気、彼曰く「辛いときに笑わせる引き出しをいくつ持っているかが大事」だそうだ、それから色々と自衛隊の話をしていたがバス中の人に響き渡っていた。彼は何か災害があると休みを取って個人で出動しているようだ、除隊して随分経っているようだし俺等よりだいぶ年上のようだが全く元気そのもの、自衛隊パワー恐るべし・・・


4/10


ハイエースホテルで熟睡し朝早くにボラセンへ、昨日一緒に作業した大阪から来たタノウエ青年と一緒のチームを作り、埼玉から来たというイシダさんの車に乗り込んでスーパーへと出発。

タノウエくんは大阪で仕事帰りに勃然と「行かなきゃ」と思い立ち休みを取り、その足でテントを買いに行き家で奥さんを説得して着替えを持ってやって来たという、イシダさんは石巻に来るのが2回目、今回は一週間滞在とか、熱い人達だ。

午前中は昨日の続き、昼食をとっていると地元のアンチャンが困っている老夫婦を助けて欲しいと言ってきた、勝手には動けないので世話人に連絡を取ると行って良いとのこと。アンチャンに案内させて現場に行き一気に片付け。慣れとは恐ろしいもの、人間が5人いるとこんなにも色々出来るのかとビックリするようだ。まぁイシダさんが凄く優秀だというのも大きかったけど。

そんなこんなで休憩が減ったため午後はとてもきつかったがレンジャー氏の逸話で盛り上がり(なにせバス中に響き渡る声だったのでみんな話は聞こえていたわけで)、俺が「レンジャーの訓練では返事は全てレンジャー!!なんだそうですよ」と言ったら異常に受けて辛いときはレンジャー!!の合い言葉で何とか乗り切ったのだった。

ちなみに夕方スーパーに行ったらレンジャー氏一行が休んでおりみんな座り込んでいたが氏だけは昨日と変わらず仁王立ちのままでっかい声で周囲を笑わせていたのだった・・・レンジャー恐るべしである。

さて、我々は明日には帰らなくてはいけないのでイシダさんタノウエ青年と記念写真を撮り撤収、カッパ、着替え、軍手、食料などをタノウエ青年に寄贈し今宵宿を貸してくれるカントクの家まで這うように撤退・・・

カントク一家は結構元気そうだったけどやはりお疲れ気味、しかし、無事な再開を祝って宴などを開いてくれたので大変うれしかった。

地震でCDが吹っ飛んで揺れで丁度隙間が空いたカウンターの下に滑り込んで取れなくなった現場などを見せてもらったがホントにそんなことになっていた、震度7というのは恐ろしいものだ。


4/11

カントク家で朝食を頂き帰路へ。

途中伊豆の中学の同級生の家にお見舞いに立ち寄ったが田んぼと畑が全部津波で駄目になった、川を渡って逃げたが落ちた橋の方に行った人は皆亡くなった、等大変な目に遭ったとか・・・ただご本人と奥様が明るい人で前向きなことを話してくれたのでこちらが救われる思いだった。
そのまま高速をひた走り15時頃自宅に到着、伊豆はそれから家路へと・・・ゆっくりしていけば?と思ったが実はまっすぐ帰って正解で、17時頃に震度5超のデカイ余震があり常磐道は大被害、ヘタをしたら帰れなくなるところだった。

そんなわけでたった2日間だったがあまりに色々な事があって何も言えないので写真でも見てくれ・・・

伊豆よーガソリン持ってきてくれるって言ってくれてうれしかったぜ、お陰で東北に行こうって気になったわけだし、貴重な体験が出来た、ありがとよ。