『鶉古城跡』

(群馬県 邑楽町)





「鶉古城(うずらこじょう)跡」は…                       







 群馬県南東部、「邑楽(おうら)町 鶉新田(うずらしんでん) 字 小城(こじょう)」

にあり…                                    







 東隣りの「館林(たてばやし)市」との境界に位置する「多々良沼(たたらぬま)」に

突出した「荒間崎(あらまさき)」と呼ばれた半島部に築かれた城。         







「元弘三年(一三三三)」五月、執権「北条高時」が鎌倉に滅ぼされた時、その弟の僧 

「四郎慧性(えしょう)」「荒間五郎朝春」らは重臣三名を伴い、主従五名にて逃れて来

て、ここに築城。                                







「応永年間」(一二九四〜一四二八)には、「多々良四郎忠致(ただむね)」の居城とな

る。                                      







 さらに戦国時代を迎えると、「館林」城主の重臣で「下野国 小曽根郷八形(足利市高

松町)」城主「小曽根政義」は、小田原北条氏の来攻に備え当城を守備。       







 しかし、「天正一八年(一五九○)」『館林落城』に伴い廃城。          







 現在は、城跡西南端に当たる入口の道路付近から、半島部を横断するように北に向って

直線にのびる高さ三メートル、長さ二五○メートルほどの土塁と、その西側に沿う空濠。







 浮島に安置してある南北朝期と推定される墓石の一部が、往時を物語る。      















 城名については、「鶉古城打」という銘の残る幕府御用鍛冶の脇差から、江戸期には、

すでにこの名称が使われていたらしい。                      











「浮島弁財尊天」は…                              







「鎌倉幕府」没落の時、執権「北条高時」の弟「四郎慧性」がある夜、日ごろ崇拝する 

「江の島弁財天」が夢枕に立ち…                         







「汝等の池、上毛の郷に霊地あり。其処を逃れて居住なし、北条家の再興を図るべし」 

とのお告げに従い、弟「荒間五郎友春」と「多々良沼」に辿りつき…         







「恩林寺」を建て「東林友丘」和尚を開山として北条家の菩提寺となし…       







「北条家」代々の護り神たる「江の島弁財天」を、「恩林寺」開山「東林」大和尚に懇請

して勧請し、鎮守として建立したもの。                      















                         (2009年4月7日に訪れる)



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