更新日 2012/6/15

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美鉄バス時代1-2 三菱鉱業色その2

3.美鉄バス時代の移籍車
(1986−1997)

美鉄バス時代には路線車の新製はなく,すべて他事業者からの移籍車です。美鉄バスは1985年より東急グループの系列になりましたが,移籍路線車は北海道中央バス,エルム観光バス,西武バスと系列以外の会社からの導入です。また日野車の初採用など,三菱バス時代にはない多彩な顔ぶれとなりました。一部を除き「三菱鉱業カラー」に塗装され,90年台後半まで活躍しました。
なお移籍車の車両情報詳細については美鉄バス 移籍路線車・貸切車一覧もご覧下さい。

美鉄バス NO.63-2代目 (札22あ1273) 1987年頃 美鉄バス本社車庫
2代目NO.63号は北海道中央バスからの移籍で,80年代中頃から採用された移籍中古車の第1号である。初代NO.63号の廃車(1985.11)に合わせて導入されたが,以降移籍組の路線車は廃車入れ替えの社号を引き継ぐ形となった。車輌は1975年式ふそうB805N(呉羽自工)で,中扉後2列シートのエアサス・セミロマンス仕様。ボデーは呉羽上下窓初期のもので,窓割りなどが後のタイプと若干異なっている。
(撮影:坂井) ※北海道バス総合研究所札22あ1273 参照。

[参考] 北海道中央バス 5-1273 札幌北営業所車庫(1985年11月頃)
新製時は急行・千歳線用として千歳営業所に配置され,その後札幌北営業所に転属。B8系セミロマは中央バスでも2両のみ在籍の稀少車。写真は車庫内で方向幕を取り外され美鉄バスへ移籍する直前の姿らしく,貴重な記録である。美鉄移籍後はリアテールが角形(写真右)から丸形のものに交換されたようである。
(写真提供:yrr03464様)


美鉄バス NO.63-2代目 (札22あ1273) 1993.4.1 美唄駅前
上記2代目63号の7年後の姿であるが,方向幕のマスキングが剥がれている以外はさほど状態が変わっていないように見える。後年式の移籍車が引退する中,移籍1号の同車は1996年春まで美唄市内で活躍した。車齢実に21年である。写真から運賃箱は手持ち式ものが使われていることがわかるが,札幌市内では80年代初頭に姿を消している。
(写真提供:徳田潤様)


美鉄バスNO.64-2代目(札22あ4350) 1987年頃 美鉄バス本社車庫
初代NO.64号の廃車代替(1986.1)として採用された,西武バスからの移籍車という意味でも異色の存在である。1978年式ふそうMP117M(三菱自工)で,元滝山営業所所属(旧登録は多摩22か1495)。現在日産ディーゼル車の多い同社は一時期ふそう車を採用していた頃があった。移籍車としても少数派の一人掛け・板バネ車で,同車以外には3代目65号(札幌22か1889)のみ。下の写真と比較すると,前ドア灯が付加された以外はさほど外観上の変更は受けていないようである。
(撮影:坂井)


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[参考] 西武バス A552/1985.1.15吉祥寺駅前(左) A592/1980.6.8武蔵小金井(右)
移籍車と同じ1978年式・西武ふそうMP車の貴重な写真。A552号は移籍車と2番違いの多摩22か1493,吉64系統・後乗りの運用で同じ滝山車である。A592号も武12系統での運行で滝山所属と思われるが,導入時期の違いなのか社番も登録(多摩22か1585)も離れている。西武では翌79年より冷房車・日産ディーゼル車の導入が始まるので,非冷房ふそう車の廃車が早かった可能性もあるが,移籍車は西武時代8年弱の活躍で北海道へ渡ったことになる。なおこの頃の社番は年度末尾の数字を略していたようで,今流の表記ならA8-552,A8-592となるはず。
(写真提供:25歳様)



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美鉄バス NO.65-2代目 (札22あ1602) 1991年12月 美唄駅前
上の64号に続き,1986(昭和61)年11月北海道中央バスから移籍した車輌で,同時に移籍した2代目66号(札22あ1598)と共に美鉄バス初の日野車。中央バスからは延べ6両の前中ドア路線車が美鉄バスで「第二の人生」を送り,美唄市内線の文字通り主力車だった。写真の65号は元中央バス・岩見沢営業所の所属でエアサス・セミロマンス仕様。少なくとも1992年末まで在籍し3代目65号(こちらも中央バス)へバトンタッチした。
(写真提供:徳田潤様)



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美鉄バス NO.67 (札22あ1638) 1991年12月 美唄駅前
1987(昭和62)年11月に北海道中央バスより移籍した67号は,2代目65号と同様元岩見沢所属のセミロマンス車。こちらは廃車71号の社番を引き継がず,空番だった67が使われた。前面は2代目63号と似ているがこちらは新エンジン6D20搭載のMP517N。上記63号,65号の写真と共に,当時の美唄駅前の様子がわかる貴重な記録である。
(写真提供:徳田潤様〜一部トリミング)


美鉄バス NO.73 (札22あ2998) 1994.12.28 美唄駅前?
1988(昭和63)年3月にエルム観光バスから移籍した車輌で,次項84号とともに,旧三菱鉱業色をアレンジした独自カラーを持つ。車輌は1981年式日野K-RV561P(日野車体)で,トップドア車としては最後の非冷房車。写真は美唄駅〜国設スキー場間の路線車として運用の姿であるが,上記63〜67号と同様手持ち式の運賃箱が見える。日野ウイングマークに被さっているステーはワンマン時に「前乗り」表記を掲げたものか。
(写真提供:徳田潤様)


美鉄バス NO.84 (札22あ2997) 1996年頃 札幌京王プラザホテル前
1987(昭和62)年10月に一足先にエルム観光バスから移籍した,貸切移籍車の第1号。非冷房車のためか貸切車である期間は短かったようで,1989年に早々と路線車になった。写真は札幌特急線(大夕張〜札幌京王プラザホテル前)運用の姿。向かい側にあった旧札幌三菱車庫は1985年頃に廃止され,停留所名も変更となった。車庫跡敷地には札幌センタービルが建っている。
(写真提供:府川文彦様)


美鉄バス NO.84 (札22あ2997) 1997年8月 大夕張車庫
大夕張営業所末期の時代で,大夕張さよなら車輌NO.79号と共に最後の夕張・清水沢行き急行線を走ったようである。向かって窓右上に「○○中学校鑑賞教室」とも読める表記があり,その上にワンマン表示灯があることから,流用車として使われていた可能性もある。水色の電動式運賃箱も確認できる。
(写真提供:徳田潤様)

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