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浮谷東次郎氏のお姉様と鮒子田・細谷・見崎氏


12/4/7Racing Boys 同走会” 2011/11/13 FUJI SPRINT CUP
2011/08/27 MEGAWEBフェスタ 2011/2/5 CAR GRAPHIC 2010/11/5珠海(ズハイ)
2010/10/3MEGAWEB 2010/9シルバーストーンLMSレース carMAGAZINE2010/8
 2009/9/22MEGA WEB    

 “Racing Boys 同走会”
4/7中野サンプラザに於いてトークショーが開催されました。
会場が一杯になるほど多くの方が集まり、
70年初期の話に思わず感心したり、笑ったりと
和やかな雰囲気でした。

「柳田真孝の父親です!」「最近はこう言わないと分からない・・
“レーシングジジーズ”のトークショーなんて誰もこないよ〜 」と初っ端から笑わせてくれた柳田氏!
誰も来ないどころか会場には一杯の人達が集まりました。
ドライバー、ジャーナリスト、観客と同じ空間を過ごし、いつまでも若い心を持った人達です。
今宮氏: 72年は本当に雨が多かった。1〜3戦 は今だと中止になるような雨でした。
柳田氏: 当時は21歳で普段でも雨が好きだった。
      タイヤはヨコハマタイヤでカットスリックしたものを使用していた。
      雨走行に自信があり、アクセルを戻した事が無かった。 
      (今は息子のレースが雨だと心配しますが・・)
鮒子田氏:71年にトヨタを辞めてアメリカへ 
       F−Aやトランザムシリーズ、CAN−AMにチャレンジしたが、アクシデントで九死に一生を得た。
      その後富士GCに参戦!(72年のシリーズチャンピオンに輝きました) 
柳田氏: 19歳の時プライベートのZに乗っていた。
      日産に入りたくて一生懸命になっていたので、トヨタ7やR381の記憶は無い!
      先輩との3〜4年の違いは大きい。 
 鮒子田氏:当時色々な事を試した。
       軽量&ハイパワー(2サイクルスノーモービルのエンジンを4個)にすれば速いだろうと考えたが
       パランパラン・・という音がして、4つのエンジンの前後でバランスが違う。
       操縦するのがとても難しかった。
       人が見たら、よく乗るな〜と思われただろう。
富士SWのバンクの話題になり、
シェブロンの車のセッティングは車高とスポイラーの調整位。富士のバンクを走ると下回りがあたり
ド・ド・ド・ド・ド・・・とくる。
モロコックの左側を切ったら、当たらないようになった。
バンクに入るとき、「エイッ!ヤー!」と気合を入れて突っ込んで行った!そうしないと怖かった!
Gがかかるので、腕を上げるのも大変だった。
(鮒子田氏)

Zで走った時、入口でバウンドして車が軽くなる。
怖くて足が上がる。
雨の日の300Rは川となる。登って降りるのでOUTからは抜けない。がレースになると行ってしまう。

ご本人から当時の事をお聞きしていると、よくぞ生き延びてこられたものだと感心してしまいます。
ファンの皆様が、何十年も憧れ続けているのも頷けます

改めて、日本のモータースポーツをいや日本の車を世界レベルに作り上げた方々である事を思い知らされました。
 
今宮氏にF1で面白いこと何か有る?と聞かれた時、
Red Bull の車体に、日本の焼酎組合のステッカーが貼ってあるとのこと!
TV中継を見ていますがいまだ確認できません・・・ (残念・・)
 

 FUJI SPRINT CUP 2011/11/13
 鮒子田 寛 名誉会長  高橋 国光氏:71才とはとても思えない!
 津々見 友彦氏:走りも含め全てパワフル!凄い!  長谷見 昌弘氏:懐かしいスーツです!
 レース前の談笑のひととき  いよいよ出番です
 
 レース後  トムスチーム:大岩氏と
 寺田氏はぶっつけ本番:シートに座るのも初めて!  見崎清志氏と柳田春人氏



    MEGAWEBフェスタ 2011/08/27

新旧・・・トヨタのエースドライバー トークショー前のひととき
 トヨタ1600GT  トヨタ2000GT  ニッサン電気自動車
     
  8/27に開催された、MEGA WEBフェスタにて 

往年の名レーシングドライバートークショー・サイン会が行われました。

“あの頃”のおもしろい話や懐かしい話がたくさん聞けるハズ
とのタイトルで、司会はピストン西沢氏

西沢氏は、「古い車が好きで子供の頃からGCに憧れており歴史の長さを感じる。
もうそろそろ歴史を振り返ってもいいな!という事で
このトークショーは私の希望で実現された」と挨拶されていました。

まず最初に登場されたのが鮒子田名誉会長!
日本人で初めてF1にチャレンジし、72年2Lクラスの初代GCチャンピオンでもあると紹介されました。



続いて見崎氏
西沢氏は見崎氏と同じレースに参戦していた事があるとのことで「あの頃は皆ロン毛だったと」懐かしむ場面も・・・

次に津々見氏
いつも自転車で移動される理由について津々見氏は
「僕は今までたくさんのCO2を使ってきました。だから私の使うべきCO2は皆さんに使って頂きたい」
とのメッセージがありました。

そして“Zの柳田”氏
今回の往年ドライバーの中で最年少の柳田氏は「1番老けて見えるでしょう!」などと冗談を言いながらの登場でし
た。



西沢氏:「皆様は時々は会っていらっしゃるのですか?」
鮒子田氏:「会っています。食事をしたり、年に1度スロットカーでレースをして楽しんでいます。」

西沢氏:「大人気ないですね」
鮒子田氏「1番大人気ないのは高橋(晴)です」

津々見氏:「スロットカーレースは当時の車を、当時乗っていた私達が走らせるのです。
走らせていると、当時と気持が全く変わらない。
晴邦がレース中に話しかけて来ると、“話しかけるのやめてよ”と言ってしまう。
ドキドキして走らせる事が“何でも楽しい!」


西沢氏:「そういうのが有るんですか?
ところで、70年代の車と現在のレースとはどこが違いますか?」

見崎氏:「そうですね!当時は時間がゆっくりと流れていました。」

西沢氏:「1年毎に動いている中に生きて来たのは羨ましいですね!
女性にとっては、レーサーは特別な存在だからもてたでしょうね!」

柳田氏:「僕はZが好きだからレーサーになった。
18〜35歳の間私は楽しいと思った事が無い。」



西沢氏:「当時はドライバーの能力があった。」
柳田氏:「現在は良い車、良いタイヤ、良いエンジンだが昔はドライバーの力があった。」

西沢氏:「今はドライバーの言い訳ができる。
私はスポンサー無でレースをやっているので、楽しいですね!
ところで、2人乗りのGC車は危ないもの?」



鮒子田氏:「当時の車は危ない!5〜6人は死んでいる。」
映し出された映像を見て
「フロントが壊れているのは、レース中にグランドチャンピオンを争っている漆原のローラに追突してしまった
スピードはあるが車は華奢!
常に死と背中合わせで“走る棺桶”のようなものだった!」

柳田氏:「かっこいい人は死んじゃった・・・」

西沢氏:「死をも恐れずに走ったのは柳田さんですね!雨の中のZはすごかった!」


谷田部テストコースでの事
津々見氏:コースを3日間ぐるぐると走りっ放しという仕事の依頼がありました。
競争するわけでもなく簡単な仕事だと思っていましたがしまったと思いました。

走る指示が細かいのです。
でっかいタコメーターを見ながら、4,350で走れ・それを維持しろ!
スロットコントロールが難しく、右の壁に足を掛けて数ミリ単位で動かすのです。
5人全員で合わせなくてはならない。風向きで行きと帰りが違う。
鮒子田が夜を担当したので1番大変だったかも知れない。
台風の中走ると白線の上が滑る。
レースの時は直線で休むことができるがそれも出来ない。
二度と遣りたくないと思った。

鮒子田氏:「当時の車はパワフルで、乗りにくい面白さがあった。車がとんでもない方へ行ってしまう。
ドライバーの器量で勝負が決まった。」

西沢氏:「鮒子田さんは日本人で初めてF1に挑戦した方ですね!」


鮒子田:「予選のみですがオール日本人で挑戦しました。
情報も資金もなく今思えばとても挑戦出来る状態ではなかった。
マキF1は良くやったと思います。」

見崎:「1973年の富士1000Kでセリカ2000LBで優勝したんですが
当日は大雨で30度バンクを走ってとても怖い思いをしました。

TMSCのドライバーとしてレースを断るわけも行きません。
バンクは上から2本目のツナギ目を目指して走りました。
1番上を走るとスピンしたりクラッシュした時に車が飛び出してしまうからです。
シートベルトも当時は2点式だった。それで250K/Hで走るのだから怖い!」


NEW86

終わりに

柳田氏:「モータースポーツを1度経験して欲しい!

86はかっこいいしこんなに楽しい事はない!」

津々見氏:「もてぎでカートをやっているが極める事がない見果てぬ夢!
スロットカー・カート・GTすべて同じ!」

見崎氏:「スポーツと名のつくものは自分で体験する事!
モータースポーツを広げる!」

鮒子田:「車を楽しんで欲しい!
自然を感じて走る楽しさがモータースポーツの原点!」

西沢氏:「往年の名ドライバーお皆さまありがとうございました」


サ イ ン 会
たくさんのファンが本やポスター、車を持って並んでいました。   
 第5回
MFC富士GCゲストレース
開催の打ち合わせ

名誉会長・・
シリーズグランドチャンピオンを
全員集めてのレースも
おもしろいんじゃない?
車は製作できるかな?
 
今日のお土産はお昼寝用の枕
どこか誰かに似ているような・・・



 CAR GRAPHIC 通巻600号記念 MARCH 2011 3
2/1発売のCGに
“チーム・トヨタのあの頃”
というテーマで
MFCゲストレースでお馴染みの
鮒子田寛名誉会長と高橋晴邦氏が
トヨタモータースポーツの黎明期を語られています。
台風直下の初舞台
サチオの思い出
シンデレラボーイの回想
成瀬さんとの日々
など興味深いお話が6ページにわたっており
当時のレースがいかに命の危険と背中合わせだったのか
改めて知らされました。
PHOTOは原富治雄さんです。
是非ご覧下さいませ。

2010/11/5〜7 インターコンチネンタル・ルマンカップシリーズ最終戦(珠海)

鮒子田名誉会長より、珠海(ズハイ・インターナショナルサーキット)で開催された
インターコンチネンタル・ルマンカップシリーズ最終戦のレポートが届きました。


 中国で初めてのルマンシリーズの開催! 宣伝不足もあって観客の入りは少々少なかったが、
セレモニーは結構な盛り上がりでした


又、パドックビルのゲスト用ホスピタリティは大盛況で、初回としては成功の部類と言えるでしょう!

 Audi R15  Drayson Lola Peugeot 908 
     
昨年、岡山で開催されてAsia Le Manには出場しなかった
“プジョー、アウディ、ポルシェ、BMW”等のワークスチームが参戦し、
中国マーケットの力を感じさせました。   
 
 
  Drayson Lola
英国の前の政権(労働党)で科学技術・イノベーション担当大臣を務めたドレーソン卿がオーナーのチーム。自身もドライバーとして、ルマン、ILMC、ALMSに参加している。
日本のレース界では天地がひっくり返っても起こらない出来事。
歴史と文化が違うと一言で片づけたくはないが日本のレース界との落差を感じます。
 
 
龍のお出迎え

レーススタート前の開会セレモニー
龍が踊りながらのお出迎え!

威勢の良い踊りで車の周りを走り廻り、
ヨーロッパから来たチームには
珍しさもあって好評だったようです。
 
     
コントロール

別に、キャンペーンギャルの後ろ姿を狙って撮ったのではなく、
パドックへ入るコントロールを写したもの。

公安(警官)+ガードマン+オフィシャルが並んでいて、
クレデンシャルチェック、手荷物検査もあり、
空港並みの物々しい警戒ぶり。
グリッドガールと記念撮影  

たまたま、タイミングよく撮れた、記念撮影です。


MEGA WEB TOYOTA MOTOR SPORTS DREAM DRIVE DREAM LIVE 2010 
 絵になりますね〜!ベテランの味です  トヨタ7がお似合いの鮒子田氏と見崎氏
 トヨタのグループCカーが良く似合う関谷氏 家族揃って“ハイ!ポーズ” 
いやいや!何度みても飽きない車ですね〜!   えっ!田村がサイン?(こんなの有)撮影:鮒子田氏

S800の後ろで
「鮒子田名誉会長!
来年のゲストレースは
いつにしましょうか?」
速さはまだ現役です! 未来のF1ドライバー塩貝君:見事1位でゴール! 
 出番待ちのカート  キッズカート教室 災害チャリティのサインに応じる関谷氏  
  グランドフィナーレ(アンコールが出るほどの盛り上がりでした)

10/3に行われた Dream Drive Dream Live 2010
天気予報では雨!しかし当日は暑いくらいの好天気に恵まれました。

トヨタ2000GTとS800が交差する風景や、心の底に響くエンジン音!
3M後方にいても、足底からしびれ(エンジンの振動)が、徐々に頭まで突き抜けて行く感じ・・・

これが1965年から1997年の車達?

今日また当時のドライバーの方々が走っている姿を見る事が出来たのは、
何十年もの間、メカニックやスタッフの皆様が大事に慈しんできたお陰でしょう!

トヨタ7のエンジンが掛らず
鮒子田氏:「見崎、お前へただな〜」
見崎氏:「違うんだよ〜!バッテリーが弱いんだよ〜」
お二人の会話に周囲は大笑いですが、やはり当時の車を走らせるのは大変なのでしょうね!

メガウェブには様々な人達が観戦に来ていました。
孫を連れて来た人、親子連れ、コンサートがお目当ての若い人達。
それでも車が走り出すと、エンジン音やスピードにびっくり!「すご〜い」の声が!

レーススーツ姿がカッコ良くて「写真取ってHPに載せてもいい?」と塩貝君に声を掛けた時、
とても礼儀正しく応対してくれて、走り方だけでなく色々なことを学んでいるのだと感じました。

コンサートも素晴らしかった!
河村氏の透き通った声、大黒さんの周囲を巻き込むパワー!
そして、初心者にも分かりやすいように語りかけていた司会の方(お名前を聞きそびれてしまいました)
本当に車と音楽が好きなのですね!

立川祐路氏から花束を贈られた大黒さん
「好きな事、楽しい事をやっている時にパワーがでます」とのコメントがありましたが
病気を治して、早く復帰して頂きたいものです。

鮒子田名誉会長のお言葉を借りると、「年に2〜3回はこういうイベントをやって頂きたい」ものです。
楽しませて頂きまして、ありがとうございました。

 



  2010、9.12 シルバーストーンLMSレース
  鮒子田名誉会長より、シルバーストーンLMSレースの、サポートレース写真が届きました。
 シェブロンB36・ローラT70等々たくさんのスポーツカーが走ったとの事 
 “日本にはないうらやましい光景”とのコメントがありましたが、
モータースポーツが体に沁み込んでいて
車本来の“走る”という姿を保ちながら、古きを大事に楽しむ!といった お国柄を感じます。
 空気も澄んでいて、心地よさそうですね〜!
 
carMAGAZINE 2010/8・AUGUST 386 
 
2010/7月発売のcarMAGAZINE 2010/8・AUGUST 386号に
シェブロンB36(本物)の記事がありました。
「富士スピードウェイ開業50周年まであと数年、それまでにこのB36を直して、走らせてみたいんです。」 
とのコメントがありました。本で見る限り相当痛んでいるようです。(蘇るのが楽しみです。) 
 詳細は、カーマガジンをご覧下さい。
MFCで製作したシェブロンB36のスロットカー 
 2009ゲストレース優勝車:長谷見昌弘選手  2010ゲストレース優勝車:高橋晴邦選手
 2009ゲストレース出場車:鮒子田寛選手  藤田直広車

 まえがき
 友人達がグループサウンズに熱中していた頃、 
私は オートスポーツ ・ カーグラフィック 等の本を手に 
“ドライバー鮒子田”の記事を 読み漁っていました。 
そう!私にとって 鮒子田氏は “憧れ人” だったのです。 
 
私が トヨタに入社したのも 鮒子田氏に会うためでした。が レース部門は別部署で
名古屋の本社(第17技術)までは たどり着けませんでした。 
(その当時、どうしたら鮒子田氏に会えるのか 知らなかったのです) 
 
思い続けて十数年! 
 
初めて 声をかけたとき うれしさで 体が震えたものです。 
それが 今ではMFCスロットカークラブの 名誉会長をお願いし、 
各イベントでは “ヘルメット持ち”をさせて頂いています。 
 
最近トヨタも 古いレーシングカーを レストアして走らせる機会が  増えました。 
当然 鮒子田氏も、各イベントで走らせています。 
このコーナーでは その様子を 紹介していきます。。 
 
 
MEGA WEB TOYOTA MOTOR SPORTS DREAM DRIVE DREAM LIVE 2009 
走行前のチェック 鮒子田氏にとっては
40年ぶりのUP15
感慨深い車です

親友 浮谷東次郎氏も
一緒に走っていたかも
しれません
ご声援ありがとう!
  とても “1965年の車” とは思えないほどの迫力でした。存在感は抜群!  
TOYOTA7 TOYOTAスポーツ800 TS010 LEXUS LF−A
 日本 カンナム 優勝車 浮谷東次郎レース仕様車  SWC モンツア 優勝車 発売前のLEXUS 
セリカ GT−FOUR ST185 F3 FORMUL NIPPON テストカー LEXUS ENEOS SC430
WRC年間総合優勝車   マカオGP優勝車  09年テストカー SUPER GT 参戦車  
TOYOTA200GT
スピードトライアル仕様車 TOYOTA7を走行中の見崎氏:かっこいいですね!今も!   
鮒子田・見崎・関谷氏と臼井氏(MFC)
皆様の熱い思いに応える鮒子田・細谷氏:ファンの中には ミニカーや写真持参の方も!    
はい!ポーズ! ファンの皆様の
うれしそうな表情に
(その気持ち良〜く分ります)
見ている私も
幸せ気分!
2009/09/22 当日は 5.000人のファンで賑わいました。   
見崎さん次回の同走会は“マーチ745”で行きましょう」「関谷さんの“伊太利屋マーチ”もう出来ていますよ!皆さんと一緒に走りましょう」
貴婦人と呼ばれた
010

走行中の姿は
実に美しい