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普通1種免許は、乗車定員10人以下、かつ車両総重量8,000kg未満および最大積載量5,000kg未満の自動車を運転できる運転免許であった。

2007年6月2日より法令が改正されたことによって、普通免許は乗車定員10人以下、かつ車両総重量5,000kg未満および最大積載量3,000kg未満に変更された。

それにより2007年6月1日までに普通免許を取得した(旧)普通免許所持者は、既得権の関係から中型8t限定免許へ移行する形となりそれ以降更新手続き等で発行された免許証からは、「普通」の文字が消え、「中型車は中型(8t)に限る」の表示の付いた8t限定付き中型免許所持となった。しかし、限定付き中型免許と言っても実際公道で運転できる車両の大きさ(重量・総重量)は旧普通免許の時代と変わっていない。マイクロバスは、8t限定無しの中型免許では運転できるが、中型8t限定免許では運転できないということだ。

2009年現在の試験内容であるが、仮免許試験において、場内コースS字・クランク・坂道発進・踏切・信号交差点差右折などの課題を2000mの走行距離の中で行う。
本免許試験に置いては、場内課題で方向変換、若しくは縦列駐車の課題。路上走行で一般課題走行と自主経路設定を行いながら指定された地点に運転しながら戻ってくるというものである。

●取得のきっかけ

今から10数年前の1995年晩秋の頃、私にも運転免許を取得するという時期がやってきた。普通であれば高校生であるから市内若しくは近隣に有る公安委員会指定の自動車学校へ入校し、免許取得に至るというケースが通常であろう。
当時私の父親が、大型一種免許を三重県の運転免許センター(以下、試験場と記す)で一発試験で受け、数回かかったものの無事取得してきた経緯を踏まえて、私もそれで受かるものだと思い込まれたらしく近隣の県公認ではない、単なる練習場へ練習に行き、試験場にて試験を何度となく受けやっとのことで、免許を取得した記憶がある。

そもそもなぜ、免許を試験場で取らされたか?

それは簡単であった。大型一種も指定校に通うほどコストが掛からなかった。ならば、指定校に入校すれば当時で20万円前後するであろう普通免許。ここの受験方法ならば安価に取れるであろうと。ただ単純にそれだけである。

結果は大誤算である。受験回数を重ね、改めて気付いたときは既に遅し。結構な金額を練習につぎ込んだため、もう後戻りして指定教習所に通うことはせず、そこから苦節6ヶ月に及ぶ試験場生活が始まったのだ。

◆普通一種免許取得記◆(免許センター 一発試験)

1995年11月中旬:

地元にあった非公認練習場で練習を開始。練習場での練習においては自動車学校で言う●●段階というもの自体がないため、同乗の指導員?(厳密に言えば指導員資格は持って居なかったはず)の独断にて教習が進む形だ。もちろん試験への「みきわめ」など存在するわけもなく、適宜個人の判断で試験上に受けに行くようなスタイル。そんな感じだった。
ここでも、運動神経の元来の悪さがモロに出てしまい、来る日も来る日もなかなか外周から中のコースに入れてもらえなかった記憶がうっすら残っている。さすが非公認の練習場だ^^;笑

1995年12月初旬:

練習場で練習を開始後すぐに試験場へ仮免許の学科試験を受けに行った。50問、適度に前夜トイレに入りながら勉強した記憶がある。結果、学科は一発合格!。すぐに技能予約を入れ、その足で試験場をあとにして練習場でクルマに乗ったものだ。
当時は、今ほど仕事で曜日ごとに受けていたわけでは無かったので、技能試験の予約に関しても、中3日程度のスパンで受験できていたと思う。

1995年12月中旬:

いよいよ仮免許の実技試験の日が来た。試験場内の検定コースである。確か、初めての試験では試験課題である全部回りきることすら出来なかった覚えがある。縦列か方向変換で脱輪したんだっけ。。課題終盤にある坂道発進や踏切の課題までたどり着くことが出来ずもちろん不合格であった。

今でも覚えているが、当時の三重県免許センターの普通車試験車であった「三菱 教習車(ランサー型)」は、どうもギアの入りが機械的だった。「ゴリッ」と入るというより、各々のギアに「カチッ、カチッ」と入る様な感覚で操作剛性感がそれほど感じられない車種だったきがする。また、当時の三菱車といえば、シート調整ノブも運転席左ひざ下になく、シート右側面で操作する必要があるなど、大多数の市販車とは異なった珍しい配置方法になれる必要も有った気がする。
まあ、このころ運転免許やクルマについては、何事も初めてだったので仕方ない面も多かったが。

1995年12月下旬:

試験3回目。試験場での仮免技能試験でやっと全過程を回って発着場に帰ってくることが出来た。しかし案の定試験は不合格であった。

さて、当時の三重県の試験場は現在の場所に移転してオープンしたばかりであり、設備・舗装・車両ともピカピカだった。S字やクランクのコーナー部分にさしてある棒にしても、上部から吊り下げられており、もし車体がそれに接触しても下部が磁石になっており、「ぶらぶら」ゆれてまた元に戻る。という当時としては画期的なものだった。その反面、運転の練習をしていた練習場といえば、オーナー自らアスファルトの手直しをしている、くたびれた舗装と竹ヤリのようなポールが不均等に刺さったS字やクランクであった。まず、そのギャップに慣れるしかなかった。

そもそも当時は、現在のようにインターネットで欲しい情報が探せば出てくる時代ではなく、採点基準である減点細目の存在も正直知り得ていなかったに等しい。試験対策を練習場と数少ない受験経験から半ば独学で行っているだけなので、早期の合格とはほど遠かった記憶がある。

1996年1月〜2月:

この間に幾度となく練習場で練習し、試験場へ繰り出す。もう実技受験回数も、もう既に10回目である。受験がこの回数になると、幾度となく同じ試験官の警官に当たることも多くなってきた。試験担当の警官も10人前後ではないだろうか。
「何がいけないのか分からず乗っているうちには絶対に合格しない」といわれ、若さのあまり凹む。
確か底の薄いスニーカーを運転専用として、クルマの練習と試験にはいつも持ち歩いていたような覚えがはっきりある。

1996年2月下旬:

仮免許の技能試験も、とうとう試験も11回目となる。
「運転は出来るけど、合格点数には届いていません!」と言われた。ショックである。
まあ、この時期は「何故にこんなに受からないだろう??」と半分落胆しつつあった時期だ。今思えば、そのころの試験後総評は試験車車内で行われており、次番受験者が後部座席で控えていることやそれほど総評に時間が取れなかった為か、本当のワンポイントアドバイスでしかなかった記憶がある。
まあしかし、そんな事も言っておられず、個人的には年度末までに運転免許を取得する必要があったので、いまさらも指定校入校も考えたが混雑具合にあきらめて、ありとあらゆる普通免許所持車に同乗してもらい家にあった軽バンに乗って公道外で練習した記憶がある。

1996年2月下旬:

 またまた試験で今回は数えて12回目。天気も春が近づき心持ち試験日和の日が続いた。やっと何も言われず、フルコース走破!。発進時の確認・合流時の確認・左右確認・後方確認ともこれ以上ないくらいに完成した。結果合格。
同時に本免許の学科試験を翌日あたりの予約に入れて帰った

1996年3月下旬:本免許学科試験1回目

本免許学科試験1回目。。。合格である。学科は問題ないようだ。路上試験をする前に練習場に仮免許持参で訪問。路上練習に向かうのだ。しかし、練習コースをはずれ、そのまま花屋に寄り、お墓の駐車場で暫く待つように指示された。そう、なんと墓参りのアシ代わりの路上教習だった(笑)。。いままで仮免許もとれず、場内をグルグルしていたので、まるで檻から出た動物園の動物状態である。今考えれば、この頃が一番楽しく試験に対して接することが出来ていた時期かもしれない。

1996年4月上旬:

月から三重を離れて過ごすことになった。仮免許を以てその新たな地域の試験場に通うかとも考えたが、そこは交通初心者。そんな挑戦的な事はムリだと思いこのまま三重で受験を完了させることになった。
その時期から、2週間に一度試験を受けるため三重を往復する生活が始まった。 ちょうど三重に戻る電車の車窓から見える車にうらやましくも思った記憶がある。

1996年4月上旬:本免許技能試験1回目

路上試験1回目。路上試験は試験受験者3人+試験官の計4人で1台に同乗し順番に試験をする。ここで、はじめて「あっ、この人駄目だ!」と感じた。たぶんそれは明らかだったからだろう。何らかの理由で免許失効してしまい、普段の乗り方でそのまま受験したのだろうと思う。路上で停止線オーバー・速度10km/h超過。。。これでは、試験結果は、あきらかであった。
というか、免許センターで仮免許学科試験から実技試験まで受験してきたが私と同じ境遇の人は見かけなかった。みな、何らかの理由による免許失効者ばかりだった。その人たちとの会話も「はじめての免許で、ここで取ってんの??」のように驚かれた会話が多かった様な気がする。
しかし、路上試験にもなると気分は仮免許ほどでもない。ある意味気楽に受験できた。当時は、現在の試験制度と異なり仮免許試験ですべての場内課題(縦列駐車・方向変換)を行う。そのため、仮免許取得後の私見と言えば、現在でもある路上試験一般課題と経路設定をする特別課題のみであった。仮免許試験に合格すれば、8割方とれたものと同じ程度と当時はよく言ったものだ。しかし、試験1回目では毎度のごとく不合格であった。

1996年4月中旬:本免許技能試験2回目

路上試験2回目。天気は晴れだった。もう四月も中旬なので、桜も散って少し暑いくらいの時期だ。今日の試験の順番は1番。試験場からスタートで路上試験に向かう。しかし、何かおかしい。ブレーキを踏むたびにバックミラーから後ろの景色が見えなくなる。数分後、しびれを切らして試験官に「トランクが開いているようですが。。」と。トランクも閉まり見やすくなって再スタートである。課題コースと自主設定コースを走行し、私の目的地に到着して試験終了。あとは残り2人の試験を後ろから同乗して眺めるだけだ。そこそこ気楽だったが、人の運転をじっくり見るというのは今までになかったこと。これが今後の参考になったものだ。結果合格である。
しかし、すぐ免許発行とはいかなかった。応急救護講習と高速教習をしなければ免許発行できないのである。

1996年4月下旬:応急救護講習・高速教習(普通車取得時講習)

その後、再度長野県に戻り、指定校で応急救護と高速教習を受けた。ここまで来ることが出来れば免許取得は、もう目の前である。
また今回も試験場での受験時と同じく、何らかの理由での免許失効再取得者と組になって3人で講習を行った
その人たちからは、「昔は、応急救護や高速教習なんて無かった。。」などというような内容の会話が確か出たと思う。そう考えると、この人たちは、おおよそ平成1桁前半以前の普通免許取得者なのだろうか?

それらの講習内容といえば、午前中に応急救護講習、午後に高速教習で高速道路を1区間の往復(往路・複路で運転交代)とこれまた半日がかりである。途中時間調整と休憩のため高速教習のSAにより休憩。ここで、確かアイスを食べた記憶があるが、もうここも初夏の勢いであった。免許を取ろうと思い始めてこの時点で約半年経過している。

その後、事故やアクシデントもなく教習所に無事帰着。その夕方には「講習終了証明書」が発行され帰宅した。 あと残すは、運転免許発行のみだ

1996年5月中旬:運転免許証交付

 再び三重まで帰り、運転免許センターへ向かう。ゴールデンウィーク期間中はこの施設が休みだったので、ここに来たのは2週間ぶりで、前回技能試験に合格して以来である。
先日、長野県内の指定自動車学校で受講してきた「応急救護・普通車取得時講習をして発行された証明書類を持参し仮免許と併せて窓口に並ぶ。
しかし実際のところ、指定高卒業者で合宿免許という形でならまだしも、一発試験合格後に県外の指定校で応急救護講習を受講する例は限りなくゼロに近いはずである。県外発行の応急救護講習終了証明書でいいのか?駄目なのか?どうなのか?と窓口の受付担当は右往左往し聞き回っている。

合格後窓口で、応急救護講習は県外での講習でもOKと確認して、県外で講習を受けたのだから問題ないだろうが、ここでもまたお役所的な作業が垣間見られた一瞬であった。

その後、無事運転免許が発行され長く半年に試験場生活は終了したのであった。補足だが、当日の学科試験もまだ発表されない朝一番に申請したので、免許書交付番号が「00002」と恐ろしく小さい数字であったことを付け加えておく。


内容(記憶の範囲:一部概算で記載)回数
単価
小計
運転練習代(仮免前)
20
4,000
80,000
運転練習代(仮免後)
4
4,000
16,000
運転練習代小計
96,000
仮免学科試験
1
3,100
3,100
仮免技能試験
13
4,750
61,750
本免許学科試験
1
2,400
2,400
本免許技能試験
2
3,400
6,800
試験手数料小計
74,050
一種取得時講習
1
15,000
15,000
取得時講習手数料小計
15,000
合計
¥185,050

◆免許取得後の総括と感想◆

初めての運転免許を試験場の一発受験で受験して合格までたどり着くのは、かなり無頓着な行為だったかもしれない。
今まで何らかの運転免許および公道での運転経験があり、そこから上位免許を取得するために試験に臨むのとはわけが違った。この普通免許の一発試験受験では、経験の無さから難易度が格段に高く感じた。私自身が確認したに過ぎないが、フルビット免許や取得記を覗いても、あまり普通一種で試験場に通ったという記録がなされているのものはなく、皆真面目に最初は指定校に通っている。
違反や事故などで、免許を不運にも失効してしまった人には有効な取得手段だと思うが、過去にまったく免許所持無し=ゼロからの取得では、公安委員会指定自動車学校に通った方が無難かつ確実もしれない。というかそのほうが、教習で丁寧に教えて貰えるので確実に短期間で取得だろうと今更ながら思う。
指定校卒と試験場一発合格。しかし、免許は普通一種免許である。どちらで合格の場合でも技量面で公道に出てもいい最低限の技量しか持ちえていないということを忘れずに運転すべきだろう。
普通免許を取ってからの数ヶ月が一番浮かれ、その間の事故率も格段に多くなるという要注意な時期からだ。

 

                    


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